第41話3.残された……想い

 目の前にいる、将哉に


 一筋の涙が頬をつたいこぼれた。



「どうした、歩実香」


「ううん、なんでもない。ようやくコート将哉に渡す事が出来たんだって思ったら、なんだか涙が出てきちゃった」

「そうかそこまでして………」

 様子がおかしい。

 その時初めて歩実香の様子が今までと違っている事に気が付いた。

「歩実香……向こうで何かあったのか?」

「どうして?」

「何となく………そんな気がしたから」

 歩実香はにっこりと微笑んで何事もないようなそぶりをしていたが、でもあまりしつこく詮索することは彼女にとって逆効果であることは十分知っている。だからそこで話を止めた。

 それに、どうして急に歩実香が東京に来たことも訊こうともしなかった。

 本当は歩実香を目の前にしているとものすごく不安になる。

 多分何か彼女の身の上にあったことは確かだと思う。

 そろそろ出よっかァ

 歩実香が外の景色を見ながら言う。

「また来てくださいね。何時までもお幸せに」

 店主の言葉に送られ僕らは店を後にした。

 ぶらり町の中を二人、行先も無く歩き始めた。

「変わってないなぁ………」

「もう何十年も来ていなかった人の様だね」

「まったく将哉ったら懐かしさに親しんでいるのに台無しじゃない」

「ごめん、ごめん。でもさぁ僕も本当は懐かしく感じているんだ。こうして二人でこの街を歩くことをね」

「そうね、何年ぶりかしら、二人でこうして歩くの」

「3年ぶりくらいかなぁ」

「もうそんなに経つんだ。早いね」

「うん、早いね………」


「そうだ将哉、高校の時通っていた塾に行ってみよ」

「え、塾に?」

「うん、そんなに遠くないでしょここから」

「まぁね、でもなんで塾なんだ」

「いいから、行こ、将哉」

 高校の時通っていた塾。僕が医大を受けると決めた時、この塾通いが始まった。

「あった、あった」塾の看板を目にして歩実香が声を上げる。

「ほんとここも変わってないなぁ」しみじみと僕はあの頃の事を思う。

「そうね、この塾の玄関、本当………懐かしいなぁ」

 あのとき、僕らがまだ正式に付き合う前、あのまだ寒さを感じる時期、歩実香はこの玄関の前で僕を待っていた。


 白い手袋、長い髪に真っ赤なマフラーを巻き、あの寒い夜僕をこの玄関でずっと待っていた。

 その時駅の前で僕に無理やり渡された彼女からの手紙。

 そこから僕らは………いや、違う。

 本当は僕はあの頃歩実香、歩実香先輩が好きだったんだ。ずっと前から……。

 その想いを僕はずっと胸の奥に仕舞い込んでいた。

 バスケ部のキャプテンと付き合っているのも知っていた。そして別れたことも………


 歩実香は僕の事が好きだった。だから……キャプテンとも別れた。

 それを僕は本当は感じていた。知っていた。それでも彼女から彼女の気持ちを伝えられた時も僕は動かなかった。

 僕は自分から動ける人間ではなかった。

 歩実香に、押され支えられ、今の僕がいや僕たちがある事をこの塾の玄関口をながめ思った。

 知っている。僕は弱い人間である事を

「将哉、なつかしいね。ここで私どんな思いであなたを待っていたと思う。でもあなたは私に返事をくれなかった。私のタイムリミットギリギリ、押しかけちゃったのよね、私」

「うん、そうだったね。僕は歩実香の気持ちに何も返さなかった。あの時僕は逃げたんだよ。多分」

「逃げた?そんなに私の事が怖かった?それとも本当は嫌いだった?あなたの前で倒れて搬送されて、それで責任を感じて付き合うようになったのかなぁ、将哉君は?」

「そうだといいね………」

 ゆっくりと塾の玄関前から離れ

「僕はずっと前から歩実香が好きだった………マネージャーをしていたころ、僕がバスケ部に入部してから、ずっと………ずっと好きだったんだ」

「知ってるよ………将哉がずっと私の事をみていたのを私は知っているよ」


 小さな住宅街の中にぽつりとある公園。そのベンチに歩実香はゆっくりと座り、青かった空が次第に変わりゆく姿を目にして

「あなたは本当に優しい人。あの時私が付き合っていた彼とも仲が良かった。みんなに慕われバスケもうまくてカッコよかった。それでも私は自分の心にずっと嘘を言っていた。将哉はいい人なんだって」

 歩実香の隣にゆっくりと腰を落として

「いい人かぁ………、ただの意気地なしだよ。そんな僕を歩実香は引っ張ってくれた。医大に合格できたのも、そして卒業できたのも、歩実香が傍にいて僕をいつも支えてくれていたから、僕は一人では何も出来ない弱い人間なんだよ」

「弱い人間、それをいうなら………私の方よ」


「弱いのは私、私は自分の心に支配されてしまう弱い人なの。その私を真っすぐに導いてくれていたのは将哉、あなたのなの。離れて暮らして私はあなたに本当に支えられていたんだと解った」

 また歩実香の目からは涙がこぼれ始めていた。

「歩実香、辛いことがあったのか?何か傷つくようなことが……」

 小さな声で暮れ行く空をみつめながら、喉元で引っかかっていた言葉を出した。

 歩実香は小さく頷く

 でも……言葉はなかった。

 歩実香の心が傷ついている。もしかしたら病んでいるのかもしれない。

 その原因は………どうして、歩実香は


「ねぇ、将哉、私の事……愛してる?」



「何を今さら………」


「そうよね。将哉は何も変わっていない……変わってしまったのは……私の方だから」

 かそぼい声で歩実香はこたえる。

 そして溜めていた涙をあふれさせた。僕にしがみつき大きな声を上げ泣き出した。今まで本当に我慢をしていた想いを一度に噴出させたかのように


 周りなんか関係なかった。将哉にしがみついている事が精いっぱいだった。想いが、心が何もなくなったはずの私の心の中にはずっと将哉がいてくれていた。

 彼の躰をそして涙を染み込ませ、私は私の中にいる将哉にもう一度再会できた。

「歩実香」そっと私の名を呼んでくれた。その声は私の中に響いた。


 何もなくなった私の心に将哉が暖かい温もりを射してくれる。


 想えば想うほど苦しくなる私の心。その心と今まで戦ってきた。

 もういい、もう心に背くことを止めにしたい。

 素直な自分の気持ちを将哉と一緒に過ごせる時間を持とう。


 私は東京に来てよかったと思う。

 将哉に会えて良かった。

 荒れ果てた心の大地にようやく緑の新芽がまた生え出してくれた。

 二人でこの新芽を育てたい。


 それが今の私の願い


 それが今の私の想い


 私の心は将哉にあった。真壁信二ではなかった。


「ねぇ、将哉……これから話す事、聞いても私を愛してくれる?」


 やっぱり、私の口では言えない。

 すべてを将哉に告げないと、告げる事それは私が決めた事、それでも将哉がこんな私でも愛してくれるのか……私だけの気持ちだけじゃ……駄目だから


「落ち着いたか歩実香。今日はこっちに泊まれるんだろ」

 ゆっくりと将哉の躰からじぶんの体を放していく、将哉の温もりが離れていく。


 うつむいたまま静かに暖まを左右に振り

「今日帰らないといけない」小さな声で言った。

「だいじょうぶか?無理するんじゃない。おばさんには僕から連絡しておいてあげるから。僕がずっと傍にいてあげるから」

「ううん、大丈夫。将哉にあったら溜まっていた想いがいっぺんにでちゃっただけ」

 赤い目をしながら歩実香は笑顔で応えた。

「ああ、今度はもっとゆっくり時間つくってくるね。もう乗る新幹線の時間だよ」

「そうか……」その言葉しか出なかったでも、本当は歩実香をこのまま秋田に返してはいけないと言う思いがどこかに潜んでいた。

 このまま返す事は……

 でも歩実香は帰らなければいけない。今住む場所に

「送るよ東京駅まで」

「いいわよ、将哉も疲れているでしょ。今日は笹山先生に感謝」

 歩実香は立ち上がり背伸びをしながら言った。

「そうだね笹山先生に感謝だ」


「………やっぱり東京駅まで送るよ」

「どうしても送りたいの?」

「ああ、どうしてもだ」

「別れた後、また私が泣くと思ってんでしょ」

「ああ、絶対また泣くから」

「残念でした、さっき全部泣きつくしましたから、もう出る涙はありませんわよ」

「それでもついていくよ」

「もう意地っ張り!」

「それはお互い様だろ歩実香」

「知らない勝手にして」歩実香は駅の方に歩みだした。

 その後を追う様に僕は歩実香の手を取り一緒に歩いた。

 二人一緒に

 電車の中でも僕たちは手をずっと繋いでいた。


 ずっと………繋いでいた。二人の手を。





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