第9話2.晴れた気持ちはいつも

 私と和ちゃんの家は学校から少し離れた所にある。歩いて行けない距離ではないが、時間は意外とかかる。


 ただ自転車はよっぽどのことが無い限り使わない。


 何故なら坂道が意外と多いからだ。自転車であの坂道を上り下りするのを考えればまだ歩いた方が楽かもしれない。


 だから基本電車通学をしている。電車通学といっても電車で2駅なのだが。


 和ちゃんはちらっと腕時計を見ながら、今日はどっちにする?と訊いてきた。基本は電車を利用するがたまにバスも使う事もある。


 ただ、バスの料金は電車より高い。


 しかも定期は電車の定期しかないからバスを使うときは現金が必要になる。 


 迷うことなくわたしは電車といった。


 和ちゃんは「そうかぁ」と少し落胆気味に返した。


 電車だと駅から家まで少しまた歩かないといけない。


 でもバスは和ちゃんの家の真ん前に停車してくれる、今日の彼女はバス気分だったらしい。



 人影のない駅のホーム。浜から来る潮風が私の髪をたなびかせた。



 電車が来るまであと10分ほどある。


 和ちゃんはホームのベンチに座り足を延ばして「あーあ」と伸びをした。


 それを後ろで感じながら私はホームに立ったまま線路をだまってみつめていた。


 「巳美、最近元気ないね」和ちゃんがまた心配そうに言う。


 「そんな事ないわよ」


 「そうかなぁ、なんとなくこの前から抜けがらみたいだよ」


 和ちゃんは私がお父さんを訪ね東京に行った事を知らない。でもその時抜け落ちた私の心を感じ取っていた。


 「何があったかは知らないけど、今の巳美は巳美じゃない」


 「……そう」ひとことでた言葉だった。


 遠くから踏切の音がかすかに聞こえてくる。


 陽炎の向こうから電車が来るのが見え始めた。駅横の踏み切るが鳴りはじめ遮断機が下りようとした時、猛ダッシュでその遮断機をくぐる男子の姿を見た。


 彼は階段を駆け上がり私たちのいるホームへとやって来た。


 「大島君ギリギリ間に合ったね」息を切らしている彼に和ちゃんほひょいと立ち上がりながら言った。


 「お、おう、何とかな」


 彼の名は大島 和也(おおしま かずや)


 私たちと同じクラスの男子生徒。


 彼の家は私の家の近くにある。大島君の家はおじいさんの代から酒屋を営んでいる。今は大島君……和也のお父さんが次いでお店をやっている。


 夏休み、和也は補習が終わるとよくお店の手伝いをしていた。自電車で近くの家々に配達なんかもしていた。



 和也はあまり他の人とは交わらない。



 クラスでも大人しい男子生徒だった。


 どちらかというと少し不登校気味な生徒。だから遅れている分、誰もいない教室で一人補習を受けている。


 「補習今お終わったんだ」


 彼は小さく頷いた。


 私も和也とは学校ではあまりしゃべらない。


 和也自体が学校で話をしたりするのがあまり好きでないことを知っているからだ。


 電車を降りると和ちゃんは眠たそうにあくびをして


 「あーーあ、それじゃ巳美」といって自分の家の方に向かった。私と和ちゃんの家は駅から反対方向にある。


 手を軽く振って眠たそうに歩く和ちゃんの後ろ姿を追った。


 そして私と和也はゆっくりと歩き出した。

 

 特別何も話したりする事もなく、ただ熱くなったアスファルトの上を歩いた。


 じりじりと照り付ける陽の光の中向かう向こうには陽炎、逃げ水が見える。



 どこからともなくするコールタールのにおい。何となく私は夏の暑い日に嗅ぐこの臭いが好きだった。



 通りの軒先に吊るしてある風鈴の音が静かに耳に入る。ほんのわずかな時間、私と和也の手は一つになっていた。


 意外と大きくてちょっとごつごつとした和也の手。


 その手の感触を感じながら歩いた。でも、それは本の少しの間だけ、もう和也の家が見えて来ていた。



 思わす手を離し和也はちらっと私の顔を見つめ家に入った。



 それを見ぬふりをしながら私は歩いて行った。


 家までは駅から歩いて15分はかかる。


 私の家にはエアコンはない、閉め切った部屋は蒸し風呂の様に暑いだろう。それを思うと家に帰る気が失せて来た。



 潮風がまるで私を呼んでいるかのように髪をたなびかせた。



 足を止め、後ろの角を見つめると自然と足はその方向に動く。


 そのまま真っすぐ、道の向こうに青い海が真っすぐ先に見えてくる。道が途切れ視界一面に海が広がった。


 防波堤のコンクリートは熱く手で触れるとその熱さがすぐに伝わってくる。その熱いコンクリートの上に乗り視界を海に広げた。


 海風が私の体を透け抜けるように立ちさる。そうこのスカスカになった心の体を吹きぬけた。


 海は広し……かぁ。当たり前の事を何となく口にしてみた。思わずプっと噴き出す。


 なんだかなぁと、自分でもかなりセンチになっているのを感じた。お父さんの所に行って、お父さんの背中を見ただけ。


 ただそれだけの事だったけど、隣にいた綺麗な女性(ひと)の事、そしてその真ん中にいるベビーカーに乗った小さな命。


 なんか信じられなかった。



 ううん私が受け入れたくなかっただけ。



 そう、もうお父さんは私のお父さんではなくなったんだと、あの時私は現実を見たはずなのに、気持ちが私の中でそれを受け入れてくれていない。


 現実と、気持ち、私はどちらをこの広い海に捧げればいいんだろう。どちらを私は持ち続けていればいいんだろう。


 ……そんな事もうすでに分かり切った事なのに。


 私はどちらともつかないこの思いを引きずりながら、ただ海を眺めていた。


 辺りが少し薄暗くなるころ、風がやんだ……



 「蒔野」



 配達途中の和也が私を呼んだ。


 和也は自転車のスタンドをたて、防波堤に上り私の横に立つと。


 「蒔野お前あれからずっとここにいたのか」と私の制服姿を見て和也は言った。


 「だから……」だからそれがどうしたと言うのか、私はただ何となく海を見ていただけ。


 「だからって、お前……」


 和也は学校では無口だけど、私とこうして二人っきりでいる時はよく喋る。


 人見知りなのはわかるけど、始めはどうして私なんだろうって思った。




 そうね、初めは私とも何も話さなかったわよね。




 あの時も初めはそうだった。




 私がこの街に越してきてまだ間もない頃、私はこの防波堤によく一人で来ていた。 


 東京にいた時は海に行くことはあんまりなかった。幼い頃両親に連れられてこの宮城の地に来た記憶がうっすらと残っている。


 ここではなかったけど、その海の広さと青さはまだ私の記憶の中にある。


 今までとは違う環境に来た私、その環境を受け入れようとすればするほど何となく気持ちがすさむ。


 だから私はこの防波堤で海を見つめていた。海を眺めることで、すこし気持ちがやわらぐ様に思えたから……


 和也と初めて出会ったのはこの防波堤だった。



 あの時私はこの防波堤で泣いていた。



 正確には悲しくて泣いていたわけではなかった。


 ただ何となく涙が流れていた、この広い海を見つめていると自然と目が熱くなって涙がこぼれていた。


 どうせ誰も見ていない。


 どうせ私の事なんかここじゃ誰も知らない。


 だから気にする事なんかしなくていい。



 そう思う事で少し素直な自分に出会えるから。

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