おにのかくらん

びょうにんはおとなしくしていましょう


 「……スカハリー、ここにいなさい。絶対に自分から開けちゃダメだ。いいな?」

 「……まって、おとうさん。ぼく、怖いよ」

 まだ幼い少年は不安に揺れる瞳で父親を見上げる。

 今にも涙をこぼしそうに揺れるその目を見て、父親は罪悪感を覚えたのだが、なんとかそれを呑み込むことに成功した。

 撫でるように、少年の頭に手を乗せる。

 昔からこうだった。

 息子が不安になったときにはこうやると不思議ということを聞いてくれるものだったのだ。

 ゆえに、緊急事態の現在も頼った。

 生死を賭した数時間を生き延びるために。息子だけでも生き残るために。

 「……スカハリー、父さんは皆を避難させに行ってくる。お前はここから出るんじゃない。いいか、お父さんは必ず……お母さんも、皆も避難させて帰ってくる。……約束だ」

 父親はそう言いながら小指だけを立てた右手を差し出す。

 ――――――やめろ。

 「?」

 不思議そうな顔をする少年に対して、まだ教えたことがなかったことを思い出した父親は苦笑する。

 「スカハリー、これは約束の儀式だ。ほら、小指を出して」

 おずおずと、少年は小指を伸ばす。

 小さく細いその指に、父親は自分の指を絡めた。

 「……たがえるときあらば、この身、この魂全てをゆだねん」

 ――――――やめさせろ。

 誓いのような文句の後に、父親は力強く頷いた。

 つられるように少年も頷く。

 「よし。これで絶対に守る。お父さんが嘘ついたことあったか?」

 ぶんぶんと少年は首を横に振る。

 父は常に正直だった。

 自分の過失を素直に認める人間だった。

 だからこそ、少年は大人になっても父親のような人間になろうと思っていた。

 だからこそ、父親が帰ってくるという話を信じた。信じてしまった。

 ――――――くそが、やめろ!

 「おとうさん、ぼく待ってるね」

 「ああ、安心しなさい」

 最後に見た父親の顔に浮かんでいたのが、死相だということを知ったのはこの何年か後だった。

 分厚い隠し扉が閉じて、少年の居場所を知っているのは父親だけになった。

 

 


 目を開けると、見えたのは安宿の天井だった。

 「…………ちっ、なんで今頃になって……」

 毒づきながらスカリーはベッドから身を起こす。

 気分は最悪だった。

 思い返したくもない記憶。そういう類いのものを掘り起こしてしまった状態で気分が良くなるはずもなかったが。

 気分を切り替えるために、ベッドの脇に置いてある水差しから一気に水をあおる。

 生ぬるい水は、お世辞にも良い物だとは言い難かったのだが、それでも多少の気休めにはなった。

 (別に深酒したってわけじゃねえんだけどな……)

 昨日の記憶はしっかりとしている。いつものようにマイディの戯言たわごとを聞き流して、ハンリに歴史の講義をして、その後適当に酒場をはしごしただけだ。特に問題はないはずだった。

 「……ったく、マイディ辺りが一服盛りやがったのか?」

 以前一度盛られて以来、基本的にマイディが出すものは口にしない主義なのでその心配はないはずである。

 疑問が解決しないままながらも、スカリーはとりあえずベッドから降りようとして……床に倒れた。

 (……あん?)

 ぐらんぐらんと視界が回る。

 手足に力が上手く入らなかった。

 めまいがした。

 倒れているのに、まるで空中にでも浮かんでいるかのように安定感がない。

 (……おい、これは……やべえか?)

 かなり久々の感覚をスカリーは思い出す。

 子どもの頃の記憶。不安に押しつぶされそうになっていたときに、側にいてくれた母親の姿。

 全身全霊の力を振り絞って、なんとかスカリーはベッドに戻る。

 動くことが出来なかった。

 全身がけだるく、感覚が遠い。

 「……まずいな。こりゃ風邪だ」

 スカハリー・ポールモート、賞金稼ぎ兼何でも屋。

 現状、病人。


 1


 「おこんにちは。ご依頼あらば即参上、今日の情報は今日の内に、明日の風はいずこに吹くのか。兎人ラビッタ郵便の速達でございます」

 決まり文句なのか、流れるようにつらつらと述べながら、二足歩行で服を着た兎が教会のドアを開いた。

 「はい?」

 並べられている長椅子の拭き掃除をしていたハンリは疑問符を浮かべる。

 「おやおや、これはこれはうるわしいお嬢さん。ワタクシ、兎人郵便速達担当のモシェル・ビンコと申します。以後お見知りおきを」

 おそらくは制服であろう、かっちりした服に身を包んでいる兎人は直角に頭を下げる。

 「あ、どうもよろしくお願いします」

 思わずハンリも深々とお辞儀をする。礼儀正しいが、即応力には欠ける少女である。

 「さて、このたび参上致しましたのは、ひとえにご依頼があったからでございます。ワタクシ共兎人郵便は迅速、確実にお客様の要望にお応えするために日々研鑽を積んではおりますが……」

 「あの、すいません。ご用は?」

 長くなると判断したハンリは失礼と知りつつも口上をぶったぎることにした。段々とバスコルディアに慣れてはきている。……主にマイディのせいで。

 指摘された兎人はきょとんとした表情をした後に、思い出したかのように肩から提げている鞄から一通の封筒を取り出した。

 「ワタクシ共兎人郵便が請け負うのは郵便でございます。……そも、ロンティグス大陸における通信の殆どは郵便に依存しております。そのため、我々のような機敏な種族が特に必要とされているわけですな。まァ、ワタクシはその中でも特に速度を優先する速達の担当。つまりはエリートというわけなのですが」

 「……えっと、宛先はここで間違いないですか?」

 九割が要らない情報だったことには突っ込まずに、ハンリは訊かなければならないことを選り分ける。

 「はいもちろん。バスコルディア東区ミリドリード通り三番脇道十五の教会」

 宛先は間違いない。

 しかし、ハンリがこのバスコルディア教会に滞在してから始めての郵便だった。

 「……差出人は?」

 ハンリには恨まれる覚えはなかったのだが、他の協会関係者は恐ろしい量の恨みを買っていることは知っている。ゆえに、こういう場合に警戒すべきはそういった筋の差出人である。

 危険物やら脅迫文やら、呪いの手紙というセンもあった。

 「スカハリー・ポールモート、となっておりますな。証明としてこういったモノを預かっております」

 再び鞄を漁り、今度は小さな円筒の様なモノを差し出す。

 「?」

 よく分からなかったので、近づこうとしたハンリは優しく肩を掴まれる。

 「いけませんよ、ハンリちゃん。危険物の可能性があるときはわたくしが対応します」

 天上の梁を掃除していたマイディだった。

 音もなくハンリの背後に着地して、そのままやりとりを観察していたのだが、滅多にこない郵便物に対しては口を挟むことにしたのだ。

 「わたくしが拝見します。見せてくださいますか?」

 「どうぞ。ワタクシ共はきちんと危険物でないことをチェックしておりますので無用な心配であるとはお断りしておきますが」

 丁重ながらも毒のある言葉は無視して、マイディは兎人の手に乗っているモノを検分する。

 「水銀封入弾頭弾マーキュリーバレット……の薬莢ですね。こんなモノを使ってるのはスカリーぐらいですし、本物みたいですね、その手紙」

 「当然でございます。そも、郵便というものはですな……」

 「お疲れ様です」

 猫でも持ち上げるように兎人の襟を掴む。

 「……む? ぬぉわぁっ!」

 そのままゴミでも放り投げるかのように教会の外まで投げ出すと、その勢いのままに扉を閉める。

 「……ふぅ、全く。話の長い人物にロクなのはいませんね。わたくしは忙しいのです。あ、もちろん司祭様は除きますよ?」

 今は裏で庭いじりをしているため、ドンキーに聞こえることはないのだが、マイディに刻まれている“教育的指導”への恐怖がそうさせた。

 「えっと、マイディ。手紙は?」

 「もちろん頂いていますよ。ほらこの通り」

 意外に素早いマイディなのである。

 迷うことなくそのまま手紙を開封する。封蝋が見るも無惨に砕けたのだが、そんなことにはお構いなしだった。

 現れたのは一枚の紙片。

 読解に苦労する悪筆でたった一言が記されていた。

 〈風邪引いたから治るまで来ねえ〉

 「……」

 「……」

 沈黙。

 ハンリはなぜこんなことをわざわざ手紙で伝えるのかが理解できなかった。

 しかしながら、次のマイディの台詞によって分かってしまう。

 「よし。わたくしに黙ってもうけ話を独り占めしようとしているわけではないみたいですね。……しかしながら、このまま見過ごすわけにはいきませんね。一世一代のからかいチャンスですからね」

 邪悪に笑うその姿は、本物の教会関係者がみたら激怒しそうなぐらいには冒涜的だった。

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