ご令嬢、衝突する

 4


 「ったく、司祭サマはお忙しくって大変だねぇ。大事な大事な教会ほったらかしてさんざっぱら盗賊共シバいてるんだからな。へっ、とんだクソ教会もあったもんだな。おめえの神は『血を捧げよ』とか言ってねえだろうな? だったらとっととそんな邪神信仰は止めちまえ。そのうちに体だけじゃなくて、顔面まで人間離れしてくるぜ」

 祭壇に靴の踵を叩きつけるように乗せながら、スカリーは三日ぶりに顔を見せたドンキーに開口一番毒づいた。

 しかし、ドンキーは全く気にする様子もなく、背負っていた大きな布袋を静かに下ろす。

 「いやいや、スカリー。これはね、慈悲なんだよ」

 悠然と微笑んでドンキーは答える。

 微塵も後悔していないという顔だった。

 バスコルディア教会礼拝堂。

 いつものようにスカリーとマイディは飲んだくれていたのだが、留守にしていたドンキーが突然に帰還したのだった。

 とは言っても、二人とも、そろそろ帰ってくるとふんでいのたで特に驚きもしなかった。

 今日はマイディとハンリは静かに教典を読んでおり、一人スカリーだけが酒瓶を空にし続けていた。すでにその数は三本である。

 「慈悲だぁ? 何を寝ぼけてやがる。おめえがシバいた盗賊共が感謝して改心するようなことがあったかよ?」

 「ないね」

 涼しい顔で答えながら、ドンキーは適当な椅子を祭壇まで持ってくる。

 途中、ドンキーに気がついたマイディとハンリに挨拶を返しながら、自分が置いた椅子に座り、そのままスカリーが呑んでいる途中の酒瓶を手に取り、直接あおる。

 「おいドンキー、おめえは『人様の飲みかけを奪い取ってもよし』って母親に教わったのか? 違うんならさっさと返しやがれ。俺の酒だぞ」

 「世界は神が創造なされたのだよ。つまり、この酒ももとを正せば神の所有物。広義では、神の信徒である私の所有物といっても過言ではないから問題は無いね」

 どこかで聞いたような言い訳をして、ドンキーは返す気を見せない。

 いつものことなので、半分あきらめの境地に達しているスカリーは別の酒瓶を取り出そうとして、すでに最後の一本であることを思い出す。

 「……ったく、踏んだり蹴ったりだぜ」

 「踏まれてみるかね?」

 「遠慮しとく。金剛鉄アダマンタイト製でもぺしゃんこになりそうだ」

 美味そうに酒を飲み干していくドンキーに呆れながら、それを傍観しているスカリーだった。

 からん。

 教会のドアにくくりつけられているベルが鳴った。

 「……久しぶりね、ろくでなし共。でも、今日はアンタ達には用はないの。あたしが話したいのはそっちのドロンキー・ガズミスただひとりよ。だから部外者に過ぎないアンタ達は黙ってなさい。一言一句発することを許可しないわ」

 つい三日前にひどいめにあったナンセシーラ・オーテルビエルだった。

 以前と比較しても全く勢いの衰えない早口でそうまくし立てると、ナンシーはそのままつかつかと礼拝堂の中に歩を進める。

 今日は、その後ろにスーツを着こなした初老の男性も一緒だった。

 マイディとハンリは無視し、スカリーとドンキーが飲んだくれている祭壇の前まで早足で

やってくると、ナンシーは出来うる限りの力をこめてドンキーを見た。

 座っているのだが、その頭の位置はナンシーよりも高いので威圧感を感じる。

 事前に情報を仕入れてはいたのだが、実際に目の前にしてみるとその圧力は生半可なモノではなかった。

 「あなたがこの教会の責任者? あたしはナンセシーラ・オーテルビエル。オーテルビエル商会の頭目の孫娘にして次期頭目。今日は商談に来たわ」

 「これはどうもお嬢さん。私はドロンキー・ガズミス。おっしゃるとおり、この教会の司祭です」

 相手に威圧感を与えないためにドンキーは座ったままで対応する。

 本来ならば失礼な振る舞いなのだが、そういったことを気にする余裕は今のナンシーにはなかった。

 無言で指を鳴らすと、後ろで影のように控えていたゼルスが持っていた革カバンを祭壇の上に置く。

 やけに重たい音を立てて置かれたそのカバンには、何かが入っているようだった。

 「単刀直入に言うわ。これで教会の土地を譲渡して頂戴。くだらない駆け引きは嫌いなの。だから、最初で最後のチャンスよ」

 再びナンシーが指を鳴らす。

 ゼルスが優雅な動作で革カバンを開くと、まばゆい輝きがスカリーとドンキーの目に飛び込んでくる。

 入っていたのは、黄金の延べインゴットだった。

 バスコルディア教会の土地を買い取るだけなら十分すぎるほどの値段が付く。それぐらいの価値はあった。

 思わずスカリーは絶句する。

 このバスコルディアの土地を買う、という目的のためだけにこれほどの金額を用意してくるのは予想外すぎた。

 (よりにもよって無法都市バスコルディアの、しかも貧乏人ばっかの東区の土地なんぞに何やってんだ、このお嬢ちゃんは)

 心境としては、兎を狩るのに攻城兵器を持ち出されたようなものに近い。

 「残念だけど、断らせてもらおう。私はこの教会を売るつもりはないよ」

 あっさりと、ドンキーは破格すぎる条件を蹴り飛ばした。

 流石にこの反応は予想外だったのか、ナンシーの眉が角度を鋭くする。

 「……どういうつもり? 金額に不満があるの? こっちはこれ以上無いぐらいに譲歩しているつもりなんだけど? 言ったはずよ、駆け引きはないわ。それでも譲る気は無いの?」

 怒りによって震える手を隠そうともせずに、ナンシーはドンキーに問いかける。

 ぎりぎりで、表情にこそ出してはいなかったが、内心は腸(はたわた)が煮えくりかえっているのは容易に想像がついた。

 「ないね。この教会には換金できないような価値があるのだよ。それを分かるにはお嬢さんはまだまだ幼い。もっと色々なことを積み重ねてみたまえ」

 「お嬢さんじゃない!」

 さとすような調子のドンキーにナンシーは激高する。

 「あたしは次期頭目! そのためには実力を示す必要がある! そのためには、一族の誰も手を出せないでいるココで成果を挙げる必要がある! それを邪魔する気なの⁉」

 もしも、ドンキーという人物について事前調査を行っていなかったのならば、間違いなくつかみかかっていただろうというほどの怒りようだった。

 それでも、ドンキーもスカリーも身動き一つしない。

 ナンシー程度の少女が少々暴れたところでこの二人にとっては猫が暴れているのと対して変わりは無かった。

 その代わりに、背後に控えているゼルスに対しての警戒は欠かしていなかった。

 洗練された動きの裏に、血のにおいを感じ取ったのだった。

 「しかしね、お嬢さん……いや、ミセス・オーテルビエル。商談である以上、お互いに合意がないと成立はしないだろう? 今回は私のほうが承服しかねるワケなのだから、不成立、ということにならないかな?」

 スカリーから取り上げた酒瓶を置いて、しっかりとナンシーに向き合ってから司祭はそう告げる。

 忠告のように。致命的な悪手を牽制するかのように。

 だが、結局それは徒労に終わった。

 す、とナンシーの顔から表情が消える。

 それを見たスカリーはマイディとハンリのほうに飛びだす。

 「……本気なのね。あんたもあたしに刃向かう気なのね。いいわ。殺してあげる」

 ぱちん、と再びナンシーが指を鳴らすのと、スカリーがマイディとハンリを床に引き倒すのは殆ど同時だった。

 ぱりんぱりんと、窓が割れる音が響く。

 ガラスが割られた窓から突き出されたのは、銃口だった。

 銃声バン銃声銃声銃声銃声。

 五つの銃口が一斉に火を吹き出す。もちろん、一緒に銃弾も発射していた。

 だが。

 カキンカキンカキンカキンカキン!

 ドンキーを狙って放たれた銃弾は全てその鋼鉄以上の硬度を持つ肌を貫通することなく、弾かれる。

 ゆっくりと、ドンキーは立ち上がる。

 陽炎のように、その体から『何か』が立ち上っていた。

 「……お嬢さん、どういうつもりかな? 実力行使というものだね、自分のほうが戦力的に優れている場合にのみ有効なのだよ」

 巨大な左拳が握られる。

 すでにマイディは外に飛び出しており、そのまま襲撃者達の迎撃に向かい、スカリーは拳銃を引き抜いてハンリの護衛にあたっていた。

 教会の外から悲鳴が響く。

 ナンシーとドンキーの間に立ち塞がるようにゼルスが割り込む。

 「お嬢様には指一本触れさせられません」

 「ならば休暇を与えてもらったらいい。傷痍しょうい休暇だ」

 ごう、と唸りを上げてドンキーの左拳が振るわれる。

 体重差はあれど、しっかりとゼルスは完璧な防御を行ったはずだった。

 しかし、その体は吹っ飛ばされる。

 まっすぐに吹き飛んだゼルスは、壁に叩きつけられてそのまま床に倒れた。

 「……ゼルス?」

 ぴくりとも動かない執事の姿を目にして、ナンシーは思い出す。

 恐怖という感情を。

 怒りによって一時的に上塗りされていた感情が再び鎌首をもたげる。

 外から響いていた悲鳴はすでに止まっている。

 十中八九、雇ったごろつき達は殺されてしまったのだろう。そして、順当にいくのならば、次は自分だ。

 その事実に気付いてしまったナンシーは動くことが出来なかった。

 ぎちり。

 握りしめられた拳の音がやけに生々しく響いた。

 「遺言はあるかな? 神の御許に送る前に聞いておこう」

 一気に死の実感が襲ってくる。

 カチカチと歯が鳴り、足からは力が抜けてしまって今にも崩れ落ちてしまいそうだった。

 「……ないようだね。では、さようなら」

 「司祭様、待ってください!」

 必殺の一撃をナンシーに放とうとしていたドンキーの目の前に、ハンリが割って入ってきていた。

 両手を広げて、まるで通せんぼをするかのように、ナンシーをかばうかのように立ち塞がっていた。

 拳は握ったままでドンキーは問いかける。

 「シスター・ハンリッサ、何のつもりかね?」

 「ま、待ってください! きっと彼女も何かの理由があったのではないでしょうか? それを聞かずに殺してしまうのは神の教えに反します!」

 殺気こそこもっていないが、それでもドンキーと視線を合わせるにはかなり見上げる必要がある。本来、それだけの背丈の違う相手に対してここまで強く出ることができるような少女ではなかったはずだ。

 「……ふむ。スカリー、どう思う?」

 突然走り出したハンリを追ってきたスカリーに尋ねる。

 脅威は去ってしまったと推測していたスカリーはすでに拳銃をしまっており、後のことは全部ドンキーとマイディに任せるつもりだったので、自分に振られるとは思っていなかった。

 それでも、答えに詰まったりは、しない。

 「どうしたもこうしたもねえよ。ふっかけてきたのはそっちの嬢ちゃんなんだろうが。だったら殺されても止むなしだぜ」

 すでに自分には関係なくなってしまったので、投げやりな調子で答える。

 実際、すでに関心は『なぜハンリがナンシーをかばうのか』ということにシフトしていた。

 元々座っていた椅子に座りなおして、そのまま足を組んで頬杖をつく。

 もはや警戒心は最低限しかなかった。

 「おめえがぶっ殺すのかそうしねえのかは知らねえが、それでも一応、理由ぐらいは聞いといたほうがいいんじゃねえのか? おんなじことの繰り返しになったら堪らねえ」

 もし、このバスコルディア教会の建っている土地自体になんらかの付加価値があって、それをドンキーやマイディが知らないが為に今回の騒ぎになってしまっているということならスカリーにも納得はできた。

 買い上げることに対して異様に金払いが良かったことにも説明が付く。……それ以上の価値を生み出せば良いだけの話だ。

 しかし、その仮定が正しいのならば何らかの手を講じないとならなくなってくる。

 そういった情報は必ず漏れる。

 ここでナンシー達を皆殺しにしても、ナンシー達に情報を提供した者がいるからだ。

 ソイツがいる限りは、根本的な事態の解決にはならない。

 ドンキーが売る気が無い以上、そうなる。スカリーはそう結論した。

 そして、同じような答えにドンキーも至っていた。

 ゆえに、問う。

 「そうだね、聞かせてもらおうかなミセス・オーテルビエル。なぜこの教会にそこまでこだわるのかね? 何かしらの価値があるとは思えないのだが」

 単刀直入の質問に対して、ナンシーは言いよどむ。

 「……大丈夫、司祭様は優しい人だから。正直に話したらきっと分かってくれるから」

 口を開かないナンシーにハンリが優しく語りかけていた。

 (優しいの定義が揺らぐぜ)

 スカリーは心の中で突っ込む。

 横のハンリが手を握ってきたことを、ナンシーは感触から知る。

 ほのかな暖かさは、少しだけ勇気を与えてくれた。

 「……あ、あたしは、お祖父様を……尊敬していたの。で、も、お祖父様は二年前に死んだ」

 唐突に始まったナンシーの身の上話にスカリーとドンキーは怪訝そうな顔をする。

 それが教会の買い上げとどうつながってくるのかが理解できなかった。

 ナンシーの話は続く。

 「死因はよくあることよ。……胃にできものができて、それが原因。……で、でも、教会のやつらは弱っているお祖父様の元にやってきてさんざん寄付をねだるだけねだって、死んだらさっさと引き上げたのよ! お祖父様がどんなに教会に寄付をしてきたのか知っているのに! だから、あ、あたしは教会が嫌いなの! このバスコルディアで成功するなら、その前に存在してる教会をぶっ潰してやろうって決めてたわ!」

 徐々に怒りを思い出したのか、ナンシーはうわずりながらも段々と大声になっていった。

 最後には感情の爆発に耐えられなくなり、ぼろぼろと涙をこぼし始めていた。

 ドンキーとスカリーは顔を見合わせる。

 (馬鹿馬鹿しい)

 お互いにそう思っているのはよく分かった。

 しかし、あまりにも馬鹿馬鹿しい理由過ぎてやる気が完全になくなってしまっているのも事実だった。

 スカリーは肩をすくめて『好きにしな』というジェスチャーを送る。

 対して、ドンキーはどうしたものかと思案する。

 正直、このままナンシーを殺してしまってもいい。それが一番の解決に思えてきてしまう。

 しかし、ナンシーの祖父が教会に多大な寄付をしているというのはまずかった。

 貢献してきた人物の孫娘を殺害したという話が外に漏れてしまえば、バスコルディア教会は破門では済まない。最悪、放置されているバスコルディアに直接管轄の支部を置く可能性もあった。

 そうなってくると、今のようにドンキーが好き勝手に活動することは難しくなってくる。

 難問と言えた。少なくともバスコルディア教会を維持しておきたいドンキーとしては。

 「……っく、ひぐっ……うぅ……」

 本格的に泣き出してしまったナンシーと今更冷静に話をするということはできそうにない。

 「えっと、ナンセシーラ、さん? これ使って」

 大粒の涙をこぼし続けるナンシーにハンリはハンカチを差し出す。

 「……あ……りがとう」

 感情が高ぶってしまったためか、それとも単純に恐怖によって疲弊しているのか、素直に受け取るナンシー。

 それを見て、ドンキーの中に一つの言い訳が思い浮かんだ。

 こほん、と咳払いをする。

 びくり、と肩をふるわせてナンシーが顔を上げ、ハンリは心配そうに見上げた。

 「……ミセス・オーテルビエル。ここはね、教会本部から破門されている。だから厳密には教会ではないから引いてくれないかな?」

 たびたびハンリから理由を尋ねられていたのだが、そのたびにドンキーははぐらかしてきた。

 それが今は役に立つかもしれなかった。

 「…………え? ……うそ」

 信じられない言葉を聞いてしまったナンシーは目を見開く。

 「……うそ、でしょ?」

 「……ほんとう」

 隣にいるハンリに条件反射的に尋ねるが、返ってきたのは肯定だった。

 流石に目を逸らし、その上で非常に申し訳なさそうな表情ではあったが。

 「……うそ」

 魂が抜けてしまったかのようにナンシーは呆然とする。

 今までの恐怖やらなんやらは一体何のために、という思いが渦巻いていた。

 完全に先走ってしまって、余計な損害を出したことになる。

 「う、ぁ……あああ……」

 自責の念が襲ってくる。

 絶えきれずに目を瞑ろうとした瞬間、からんと教会のドアにくっついているベルが鳴った。

 「外は片付きましたよ。ま、わたくしにかかったらあの程度のチンピラなんて一ひねりですけどね」

 脳天気にマイディが入ってくる。

 「あら? なんでしょうか、これ。見たことがあるような……ないような。お仲間でしょうか? なら、もうちょっとだけ痛い目に遭っていただきましょうか」

 入り口の横に倒れていたゼルスに気付いたマイディは血にまみれている山刀を振り上げる。

 何の躊躇もない、道端の石ころを蹴り飛ばすかのような気軽さだった。

 それに気付いたナンシーは制止しようとするが、声が出ない。

 自分が『失敗してしまった』という思いに取りつかれてしまって、とっさに行動することができなかった。

 山刀が振り下ろされようとして……。

 「待って! マイディ!」

 ハンリの制止の声によってマイディの山刀がゼルスの右腕に届く直前で停止する。

 「どうしたんですか、ハンリちゃん? わたくし達に喧嘩をふっかけてきた以上、その代償は高く付いてしまうという授業をしないといけません。神も言っておられます。『汝の眉間に剣を突き立てんとする者がいるのならば、その愚かさを諭しなさい』、と」

 「でもこうもおっしゃってる。『無益に殺め、傷つけるのは止めなさい。それはいつかあなたが背負うことになる』って」

 即座に返されてしまって、マイディも少々考える。元来、論理には疎いが、ドンキーによる矯正によって論理的に破綻している場合は考える癖が付いていた。

 山刀を持ったままで器用に腕を組むと、眉間にしわを寄せる。

 「ぅ~ん。……あ、そうだ。こういうのはどうでしょうか? バスコルディアの第一法則、『人の邪魔をしない。したら殺されても文句言わない』。これに違反したかどで粛正」

 「……マイディ?」

 「じょ、冗談ですよハンリちゃん。可愛いわたくしの他愛のない冗談です」

 年下の少女に半眼で睨まれて、思わず言い訳がましくなってしまうマイディだった。

 (情けねえというか、いつも通りというか……ま、俺は蚊帳(かや)の外だから関係ねえけどな)

 嘆息しつつ、帽子を潰すように抑えるスカリーだった。

 しかし、一応確認しておかなければならないことはある。

 「で、嬢ちゃん。アンタはどうするつもりなんだ? ここは教会とは名ばかりのクソ溜めだってことは分かったろ。まだ買い上げるつもりかよ?」

 すでにその意気がなくなっていることは理解してる。それでも一応本人の口から宣言させる必要がある。口に出すということは、自分自身への宣言でもある。

 一度宣言してしまえば、今度はその宣言を盾にして追い返すことも可能になってくる。

 ゆえに、スカリーは確認した。

 「手を……引くわ。ここを買い上げようなんて馬鹿な考えは捨てる。だ、だからゼルスの事は許してあげて。何なら迷惑料を払っても良いわ!」

 懇願するように、ナンシーはドンキーとマイディを交互に見る。

 教会に入ってきたときとは全く違う、すがるような目つきだった。

 「だとよ。どうすんだ、ドンキー? まだこの嬢ちゃんを痛めつけるつもりかよ? 神は弱い者いじめを推奨してるっていうんならそうしな」

 「そんなことはないとも。神は全てに平等でいらっしゃる。……ミセス・オーテルビエル、今後一切この教会の土地の買い上げを計画しないというのならば……その代わりにキミとそこで伸びている執事殿に手は出さない。神の御名において、このドロンキー・ガズミスが誓おう」

 どごん、と分厚い胸板を叩きながらドンキーは宣言するが、破門されている教会の人間が神に誓ってもあまり説得力はなかった。

 案の定、ナンシーは恐怖と疑いが拭い去れない視線を送っている。

 そんな震えるナンシーの手をハンリはそっと握る。

 「大丈夫。司祭様はちゃんと約束は守ってくださる人だから。それに、もう貴方はそんなことしないよね?」

 子供に諭す母親のように、ハンリは語りかける。

 恐怖と緊張によって固まってしまっていたナンシーにとっては、天使の奏でる調べのようだった。

 「……う……ん」

 こくり、と小さくナンシーが頷いたことを確認して、マイディは戦闘態勢を解く。

 「ありがとう。貴方はもう大丈夫だから。安心してもいいんだよ」

 「……ぅ、ぅ……うぁぁぁぁあああああん!」

 過剰なストレスから解放されたことで、押さえつけられていた感情が爆発したナンシーは、思わずハンリの胸に頭を埋めて泣いていた。

 それは、母の胸で泣く赤子のように、純粋で、無垢なものだった。

 「うんうん、神の前では皆赤子と同じ。大いに泣きたまえ。そして明日からはその分だけ強くなっていれば良いんだよ」

 「イイカンジにまとめてんじゃねえよ」

 分かったような顔をしてうんうん頷いているドンキーの頭をはたきながらスカリーは嘆息した。



 翌日、バスコルディア教会の隣にあったボロ宿がきれいさっぱり無くなって、更地になってしまっていた。

 バスコルディアでは良くあることなのでスカリーは気にせずにそのまま通り過ぎた。

 


 

 次の日、更地には立派な商店が建っており、次々に荷物が搬入されていた。

 おそらくはすでに建設されていた建物を魔法で転移させる手法を用いたのだろうと推測して、嫌な予感がしつつもスカリーは教会のドアを開けた。

 「だーかーら! ハンリはあたしの店で働いてもらうんだから! こぉんなに良い子がこんなクソ教会にいることが間違ってるのよ! ああ、破門されてるから教会でもないんだったわ!」

 「いーえ。ハンリちゃんは歴としたこの教会のシスター見習いなのです。その点は譲れません。……なにより! ハンリちゃんにはシスターの格好が似合っているに決まっているのです!」

 「分かってないわね、このアバズレ! ハンリにはフリフリドレスで接客してもらうの! そっちが良いに決まってるじゃない!」

 激しく言い合っているナンシーとマイディがいた。

 お互いに譲れない部分らしく、その主張はずっと平行線であり、教会内にいたハンリとゼルスも苦笑いを浮かべていた。

 ちなみに、ドンキーは昨日から井戸を掘りに行っている。

 「なんだ……こりゃ?」

 思わず呟くスカリーにハンリが寄ってくる。

 「ナンセシーラさん、じゃない、ナンシーちゃんなんだけど、教会の隣に出来た店ってオーテルビエル商会なんだって。で、そのオーナーがナンシーちゃん」

 分かっていた。何しろでかでかと看板が掲げてあったのだから。

 問題はそこではない。

 「いやいや、なんでそのナンセシーラお嬢様がこの教会でマイディと馬鹿みたいな口論してんだ? なあおい、執事さんよ」

 話を振られたゼルスは、やはり苦笑いを浮かべた状態で答えた。

 「……どうも、お嬢様はハンリッサ様を気に入られたご様子でして。バスコルディア支店で雇うと言って聞かれないのです」

 「アホみてえな理由だな」

 天に座すと言われる神を仰ぐようにしてスカリーは教会の天井を見上げた。

 (また馬鹿が増えやがったぞ、おい。この街は馬鹿の投棄場所じゃねえだろ)

 生憎と、視線だけでは神には全く届きそうもなかった。

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