命の価値は

スカリーが荷台に乗り込むと、ハンリが膝を抱えて端っこに座っていた。

 「……何やってんだ? ハンリ」

 「ア、アフレリレ……じゃない、マイディさんが恐ろしくて……」

 思わずスカリーはため息を吐いてしまう。

 ハンリがここまでマイディのことを恐れているとは思っていなかったのだ。

 (これならマイディに盗賊のほうを任せておいて、その間に説明しておいた方がよかったかもな)

 過去のことを悔やんでもしょうがないので、スカリーは現状の方を見る。

 この先、本格的に襲撃があった場合にはマイディにハンリのことを任せる場合もあるだろう。

 そのときにハンリがマイディに対して萎縮いしゅくしているようでは話にならない。 

 (懐柔かいじゅうというか、説得というか、そういうのは得意じゃねえんだけどな)

 向いていない仕事に限って向こうから勝手にやってくる、などといつも知った風な口を利いていた知り合いを思い出す。

 意外に真理を突いていたのかもしれないと思い、スカリーはすでに死んでしまっている知り合いの評価をほんの少しだけ上げることにした。

 木肌がむき出しの荷台に座る。

 座ると、長身のスカリーでも目線がハンリとあまり変わらなくなる。

 対等の話をするときには同じ目線で。

 スカリーの師匠がいつも言っていたことだった。

 「なあ、ハンリ。俺たちはおめえに頼まれて、カネももらってる。もちろん、きちんと護衛もやるつもりだし、プロとしてきっちり仕事はする。信用に関わってくるからな」

 ハンリは何も言わない。

 「そして、俺たちの最優先事項はおめえの護衛だが、次に大事なのは自分の命だ。ハンリ、おめえはまだほんの少し体験しただけだが、世の中には殺すか殺されるかの世界がある。俺やマイディはそういう世界で生きてきた」

 「わたしにはわかりません……」

 「だろうな。善良な人間には理解できない世界だ。だがな、ハンリ。おめえはもう、そういう世界に巻き込まれてる。いま狙われてるのはおめえなんだ」

 「わたし……わたし……」

 「確かに、おめえを狙っているヤツは自分の都合でやっていやがる。だが、ソイツの好きにさせていいのか? おめえの意思はどうなんだ? オルビーデアに帰りたいっていうのは嘘か?」

 「そんなことありません! わたしは家に帰りたいんです! お父様に、お母様に、にい様たちにも会いたい!」

 初めてハンリがスカリーに大声を出す。

 意思の発露を見て、スカリーは心の中でだけにやりと笑う。

 「そうか。だったら俺たちをもっと信用してくれ。おめえが信用してくれなかった俺たちも守りきれねえ」

 ハンリは黙ってしまう。

 (しまった、外したか?)

 元々スカリーは女心というモノにはうとい。

 特に年下の少女ともなれば、接触した機会自体が少なく、さながら未知の生命体である。

 (マイディは当てにならねえしな……。困ったもんだ)

 どうしたものかとスカリーが思案しているとハンリがぽつりとなにかを呟いた。

 「どうした、ハンリ? なにか聞きてえならできる限りは答えるぜ」

 「……なんでマイディさんやスカリーさんは人を殺せるんですか?」

 完全に下を向いた状態でハンリはスカリーに問いかける。

 ハンリは分からなくなっていた。

 自分を守るために、人が殺されるのが正しいのかどうか。

 この先、オルビーデアへの道すがら何人が死ぬことになるのだろうか?

 自分の命は何十人、何百人の命と引き換えになってもいいものなのだろうか?

 そういった疑問がハンリに中には湧いていたのだった。

 教会は人間の命の尊さを説いている。

 信徒であるハンリもその教えに感銘を受け、将来は誰かを救える人間になろうと決めていたのだった。

 だが、その救おうという人間を殺しながら今の自分はオルビーデアを目指している。

 ハンリが直接的に殺しているわけではないが、ハンリがオルビーデアを目指さなければ死ななかったのかもしれない人間だ。

 生来、真面目で思いやりの深いハンリには自罰的な傾向があった。

 誘拐されて、逃げ出したときには忘れていたソレが、今頃になって顔を出してきたのだった。

 「なんで……なんで人を殺したばっかりなのに平気な顔ができるんですか? わたしはスカリーさんやマイディさんが人を殺したってだけでこんなにも滅入ってしまっているのに」

 ぼそぼそとハンリは呟くようにスカリーに問いかける。

 スカリーからは見えなかったが、その目はよどんでいた。

 「死にたくねえからさ」

 あっけらかんと、まるで簡単な数式の答えを聞かせるかのようにスカリーは答えた。

 「死にたくなければ、人を殺してもいいんですか?」

 よどんだ瞳のままでハンリはスカリーに反論する。

 ハンリの問いに、スカリーは口の端をゆがめた。

 「……昔、おんなじ事を聞かれたことがある。俺はその時と同じ答えを返すぜ、ハンリ。『知ったこっちゃねえ。相手が殺す気なら、先に殺すだけ』。それが俺の答えだ」

 マイディも似たようなもんだろうけどな、とスカリーは付け加える。

 「……」

 ハンリは沈黙したまま、動かない。

 ただじっと、荷台の木目を眺めていた。

 がたがたという馬車の揺れる音だけがしばらくの間、響いていた。

 内心、スカリーは非常に焦っていた。

 ハンリの問いには正直に答えたのだが、上流階級に所属してきた少女には荷が重すぎたのかもしれない、と考えていた。

 スカリーは最悪、この場でハンリが護衛の依頼を解いて、自分だけでオルビーデアを目指すと言い出しかねないような危うさを感じていた。

 (そうなっても、俺には関係のないこと、か……)

 所詮はいきなり現れて、スカリーたちに救いを求めてきただけの少女だ。

 たしかに、ハンリを無事送り届けることができればゴートヴォルク家に縁故ができるのかもしれないが、無理矢理にハンリについて行ってまで得るものではない。

 むしろ、狙われているハンリを護衛するということはそれなりに命の危険が大きい仕事である。

 (潮時かねぇ。ま、オルビーデアには到着できずに、途中で殺されるか、捕まって売り飛ばされるのが関の山だろうけどな)

 スカリーはそう考える自分を残酷だとは思わない。

 自分のことはできうる限り自分でやる、というのがスカリーの信条だった。

 スカリーは足を投げ出して座ったまま、何も言わなかった。

 オルビーデアに帰りたいという思いと、人に死んでほしくないという思いの板挟みになったハンリが堂々巡りに陥っている間、スカリーは一言も発しなかった。

 ゆえに、ただ沈黙だけが時間を埋めていく。

 ハンリは下を向いたままでじっとし続けていた。

 スカリーもそんなハンリに声をかけなかった。

 「スカリー、いい加減にわたくしの誤解を解いてくれませんか? もう町に着いてしまいますよ」

 沈黙を破ったのは御者台に座っているマイディだった。

 スカリーは体をひねってそちらを向く。

 むくれた表情のマイディが何か言いたげな視線を送っていた。

 「んだよマイディ。聞いてたのか?」

 「ええ、もちろん。わたくし、耳は良いのです」

 ふふん、と鼻息を漏らしながらマイディが偉そうにする。

 「つってもよ、ハンリが俺たちを雇い続けるかどうか迷ってるんだ。おめえの誤解を解くとかそういうことよりも先決だろ?」

 マイディは大げさにため息を吐く。

 「これだから信仰心のない人間はダメなのです。よろしい。わたくしがハンリちゃんを説得してみせます」

 「へいへい、お手並み拝見といきますか」

 こういう時のマイディには何を言っても聞かないことは分かっているので、スカリーは素直にマイディにゆずる。

 軽いステップを踏みながらマイディは荷台の方に移ってくる。

 その際にはもちろん馬車は停止させている。

 ハンリの目の前までくると、おもむろにマイディは懐から天秤が彫り込まれたペンダントを取り出す。

 そして、それをハンリの前に突きつけた。

 「信徒ハンリッサ・ゴートヴォルク。マイデッセ・アフレリレンが神の代わりに問います。貴方はどうしたいのですか?」

 天秤の紋章を掲げられての問いは教会の信徒にとっては誠実に答えなければならない質問である。

 信仰心が強いほど、ソレは当たり前になってくる。

 幼いことから教会に通って、神を信仰してきたハンリには効果てきめんだった。

 マイディの問いかけに反応したというよりも、『神の代わりに』という単語に反応してハンリは顔を上げる。

 自然と、マイディによって突きつけられている天秤の紋章が目に入る。

 ハンリの信仰心が、質問には答えなければならないという思いを作り出す。

 勝手に、ハンリの両手は祈るように組まれていた。

 「信徒ハンリッサ・ゴートヴォルクが答えます。わたしは故郷に帰り、家族に会いたいと思っています」

 「神は家族愛を否定しません。それを成しなさい」

 今までのマイディからは考えられないぐらいに、凜とした口調だった。

 「……ですが、わたしが故郷に帰ろうとすれば、神が否定される殺人が起きてしまいます。それに、わたしは人々を救える人間になりたいのです! いえ、それこそがわたしの成すことなのです! ですが、人を殺してまで、わたしがオルビーデアに帰ることを神は許されるのでしょうか?」

 今度はハンリが強い口調でマイディに尋ねる。

 「ならば殺した以上に救いなさい。貴方は多くを救えるはず。ここで死んで良い人間ではありません。あやめることになってしまった以上の人々を救いなさい。施しなさい。導きなさい。貴方が目指していることは正しいことです。ならばそのためには自分がけがれることを恐れてはなりません」

 (初めてマイディのシスターらしいところ見たぜ)

 すっかり出番がなくなってしまったスカリーはそんな感想を抱いていた。

 ぽろぽろと涙をこぼしながらハンリは天秤の紋章を見つめる。

 「わ、わた……しは、許さ……れ、ますか?」

 「正しいことを目指している限り、神は貴方を許されます」

 「う、う、うわああああぁぁぁっ!」

 泣きながらハンリはマイディの胸に顔をうずめる。

 そんなハンリをマイディは優しく抱き止め、頭を撫でてやる。 

 それは泣きじゃくる我が子を慈しむ母親のようだった。

 「ハンリちゃん。わたくしたちは貴方を無事にオルビーデアに送り届けます。そのためにはわたくしたちを信用してください。あと、わたくしに対して『テリヤキ』と言ってはいけません」

 優しくマイディは語りかける。

 ついでに自分に対しての禁句も教えておく。

 「はい、シスター・アフレリレン」

 涙でぐしゃぐしゃの顔を上げて、ハンリは応えた。

 にっこりとマイディは微笑む。 

 「そんなに改まった話し方をしなくても大丈夫ですよ。わたくしのことはマイディと呼んでいいですし、スカリーのこともスカリーと呼んでいいのです。もっとお友達のように話しましょう」

 「……うん、マイディ」

 涙を拭いながらそう答えたハンリからは、先刻まで背後にあった暗いオーラは感じられなくなっていた。

 スカリーは思わず心の中で拍手をしていた。

 正直、マイディがここまで見事にハンリを説得してみせるとは思っていなかったのだ。

 (ドンキーに教育されたのは無駄じゃなかったみたいだな。良いことか悪いことかはわからねえが。つうか、完全にいいところをマイディに持ってかれちまったな)

 やれやれという風にスカリーは頭を振る。

 なるべくハンリを怖がらせないように自分が話をしようというのは間違いだったらしい。

 そんな風に考え、また、暴力に頼らなくとも人を動かすことができるようになったマイディに少しばかりの尊敬の念を抱いた。

 「どうやらハンリは俺たちを雇ってオルビーデアを目指すってことには変わりないみたいだな」

 「うん、スカリー」

 泣いたせいで充血してしまっている目を向けてハンリはしっかりと答えた。

 「んじゃあ、とっとと行こうぜ。追っ手は待ってくれねえしな」

 立ち上がって、スカリーは御者台の方に向かう。

 「あら? スカリー、御者はわたくしが……」

 「しばらくはハンリと一緒に居てやれよ。むさ苦しいおっさんよりも、美人のシスターのほうが気分は良いだろ?」

 「スカリーはむさ苦しい方ではないと思いますよ?」

 「美人は否定しないのな」

 「もっちろんです!」

 「へいへい。んじゃあハンリのこと頼むわ」

 ひらひらと手を振りながら、スカリーは御者台に移り、馬の手綱を取る。

 馬が進むように手綱を操ろうとしたとき、スカリーは看板を発見した。

 〈トモミス この先四キロメートル〉

 「マイディ、喜べ。今日は温泉に入れるぜ。トモミスは温泉が有名だからな。補給が終わったらハンリも入って来いよ。貴族のお嬢さんが汚え格好してるもんじゃねえだろ」

 荷台の方に向かって、そう告げる。

 温泉という単語で非常に盛り上がっているのを聞きながら、女というのはなんでこんなに風呂が好きなのか、とスカリーは思った。

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