第12話:密室での接近戦で子爵に迫られちゃあ仕方ない件

 事の起こりは、一通の手紙。


「ラピス、君宛だ」

 ブレトンが手紙を持って書庫にやってきた。

「あ、ありがとう。って、手紙!?」

「うん」

「お母さんから?!」

 ばっと受け取って差出人を見ると、知らない名前が書いてあった。

「えっと……。ミケ、ミケル?」

 誰だっけ。

「ああ、ミケル様か。なんでラピスに?」

「……えっと、誰?」

 ブレトンは知っているらしい。

「ほら、子爵のご友人」

「……ああ! あの人ね!」

 思い出す。人が目の前で切られる記憶を。

「嫌なもの思い出したわ……」

 最低。

「へ?」

「いいえ。これ、本当に私宛?」

「そうだよ」

 なんだそれ。


 ***


 ババラから帰って来てから数日たった。

 またしばらく書庫の整理と、本の修理に追われていたのだけれど、思いのほかばらばらになった本が多く、難航中。

 頁番号がないものが多くて、ページを並べなおすことができない。なので一度全部読んで意味の通じる頁順に並べ替えると言うめんどくさい作業を行う羽目になっていた。

 手紙を届けてくれたブレトンが行ってしまってから、びりりと封筒を破る。

「招待状?」

 どうやら私はお茶会に呼ばれたらしい。

「でもなんで私? 子爵は?」

 私は首を掲げながら、この招待状の件を子爵に報告しに行った。


「ああ、その招待状なら私も受け取った」

「あ、そうなんですか」

 やっぱり招待状は子爵にも届いていたみたいだ。

 そらそうよね、私一人が招待されるわけない。

「行くか?」

「え、行かないんですか?」

 こういうのって、断わる権利が私にあるのかどうか。

「君が行きたいのなら」

「……えーっと、私はどっちでもいいんですが」

 その回答を聞いて、子爵はふっと笑った。

「社交界での王子の誘いを『どっちでもいい』か」

「へ? 王子……?」

「いやいや」

 子爵は可笑しそうに笑った。

「行くといい。息抜きも必要だろう」

「はぁ……」


 いや、着飾ったりお上品なふりする方が、疲れるんだけど……。


 ***


「だから……! コルセットは……! きついっての……!」

 ぎゅぎゅーっと締め付けられる胸。コルセットはやはり殺人的に苦しかった。

「ふふ、貴婦人のたしなみですよ? ラピス様」

 着つけてくれるメイド長の女性が笑う。今日も黄色のドレスだ。

「いえ。私は貴族でも何でもないんで……、あの、敬語はやめてもらえると……」

 こんな年輩の方に敬語を使われるとぞっとする。

「あら? ラピス様は子爵の特別な君、なんでしょう?」

「……でも私は、特別な人なんかじゃないんで……ッ!」

 さらに締め付けられて、私はそれ以上喋れなくなった。

「おかしな子ね」

 彼女はふふと上品に笑った。いつもメアリーを叱ってる姿を目にしてばかりだが、彼女はとても優しそうに見えた。

「よく言われます……」

 私はため息をついた。それだけで胸が苦しかった。


 支度を終えて部屋を出ると子爵が待っていた。

「ご苦労」

 子爵はメイド長を労い、それから私の手をとった。

「さあ、行こうか」

「はぁ」

 力なく頷く。

「可愛く着飾っているのだから、可愛らしく返事してほしいものだな」

「…………はぁい」

 私が眉をひそめてそう言うと、くくっと子爵は笑った。


 ***


 屋敷に着くと、ミケルが手を広げて出迎えてくれた。

「やあウィル!」

「久しぶりだな」

 子爵はミケルと握手をして挨拶をした。

「ラピス嬢、ごきげんよう」

「ご、ごきげんよう」

 私も精一杯にこりと笑って見せる。

 挨拶を終えると、私たちは超豪華な部屋に通された。

 その部屋を見渡して、一体この装飾は全部でいくらくらいするのだろう、とか考えてしまう私はかなり庶民だと思う。

「ラピス嬢?」

「は、はい!?」

 しまった、ボーっとしていた。つい飛びあがってしまう。

 ミケルはきょとんとした後、くすっと笑った。

「楽しいお嬢さんだな、ウィル」

「だろう」

 私は楽しくありません……。

「さ、座って」

 指さされるこれまた超豪華なイス。

「あ、ありがとうございます」

 一礼してその椅子に腰掛けると、ふわふわした。

「あ、あの、今日はお招きいただいて、ありがとうございました」

 私はお礼を述べてもう一度頭を下げた。

「いいや、一度きちんと会って話してみたかったんだ。あの時は怖い思いをさせてしまったからね」

「……あ、はい」

 忘れたい。

「リリスが会いに行ったんだってね?」

「え? あ。はい」

 あのご令嬢か。

「仲良くしてやってくれると嬉しい。なんせあの性格だから損ばかりしてて……。とても優しい子なんだけどね」

「あ、はい」

 私、『あ、はい』しか言ってないわね……。

 そこにメイドがやってきて紅茶を入れてくれる。

「美味しい!」

「うん。これはアッサム。東のほうから取り寄せたんだ」

「アッサム?」

「アールグレイの方が好きだったかな?」

「え?」

 どうしよう。何のことか分からない。

「ラピス、気にするな。こいつは紅茶通なんだ。うんちくが始まるぞ」

 子爵が呟く。

「はは、ひどいなぁ」

 ミケルは物腰柔らかく笑った。

「で、今日は何の用で呼んだんだ」

「やだね。お茶に呼んだだけだろ」

「裏がありそうだからな。お前の場合」

「ないよ。ただ、このお嬢さんにもう一度会いたかっただけだ」

 ……モテるな、この人は。と直感した。

 このコミュニケーションスキル。物腰の柔らかさ。女性への気の使い方。――彼は、慣れている。

「あのアーノルド候も認めたそうだからね」

「え?」

 アーノルドって、子爵の伯父? み、認められたの私? 何それ、ガセじゃない?

 訝る。


 しばらくの間、主に子爵とミケルがお喋りをしているの私はただただ眺めていた。おいしい紅茶を飲みながら。

 すると、突然子爵が立ち上がる。

「ちょっと失礼する」

「どうしたウィル?」

「聞くのは嫌がらせか?」

「はは。場所は分かるよね?」

「ああ」

 どうやらお手洗いらしい。

 席を外した子爵のおかげで、ミケルと2人になってしまった。

 特に話すこともなく、非常に気まずい。

 すると彼はそれを見透かしたように、こちらを見てふわりと微笑んだ。

「あ、えーと……」

 何か言わないといけない気になって、言葉を探す。

「し、子爵とはどれくらいの付き合いなんですか?」

「ん? 聞いてない? 幼馴染みたいなものだよ。同い年だし。気が付けば……って感じかな」

「じゃあ……、子爵の、あの……魔女のことも?」

「うん。というか、私も魔女の血を受け継いだ人間だからね」

「え!」

 驚く。彼もまた魔女の世界の一員なのか。

「あはは、ブロイニュじゃあそう珍しくないよ。貴族としては、まぁ珍しいけど」

「……じゃあ、ミケル様も色々、薬学の勉強を?」

「いやいや」

 笑う。

「しないよ。ウィルは熱心だからなぁ。今も勉強してるの?」

「あ、はい。多分」

 本がバラバラになるくらい、読んでるみたいだし。

「えっと……。リリス嬢とは、ご兄妹?」

「あはは、いや、リリスとは従兄妹同士。父が早くに他界してね。ラウル殿に世話になって……。リリスとは兄妹のように育っただけだよ」

「……そうなんですか」

 ああ、もう話題が尽きてしまった。

 そう思った時。

「で、どう?」

「え?」

 突然、身に覚えのない『どう?』が投げかけられる。

「ウィルとは。うまくいってる?」

「……え、っと」

 うまくいくとか、いかないとかではない。

「ま、まあ。それなりに……」

 へらっと誤魔化すと、ミケルはくすっと笑った。

「私が好きになる娘は皆ウィルに惚れてたんだよね」

「へあ?」

 突然何を言い出すのだろう。変な声が出てしまったではないか。

「なのにあいつときたら、特別な女性は作らない、の一点張りで……」

 それ、いくつくらいの時の話だろう。昔からそうだったのだろうか?

「だから君みたいな可愛らしいレディがウィルの側にいてくれて、安心するよ」

「……は、はぁ」

 だんだん笑顔がひきつってきた。何この神々しいスマイル。嘘をついてる私が浄化されてしまいそうだ。

「ねぇラピス。君はウィルを愛してる?」

 紅茶を吐き出しそうになった。

「え!? っと! えっ!?」

 そんな私を見て、彼はふふと笑った。

「嘘の恋人役なら、本当のことを言ってくれていいんだよ」

「……え。あ…………」

 この人は、全て分かってる。

 今の笑顔でそう直感した。

「誰かにばらそうとか、そう言うことじゃないから、安心して」

 ミケルは目を閉じて紅茶を一口飲んで、小さく息をついた。

「今日は、本当は、ウィルにお灸をすえてやろうと思って……」

「え?」

「この間、君を危ない目にあわせただろう?」

 あのパーティでのことだ。

「あんなことのために、こんな無垢な女の子を使うなんて見下げたよ、と言ってやるつもりだった」

 過去形。

「でも、必要ないかな……?」

「……はい」

 頷いた。その話は、一応のところ片がついた。

「良かった。ウィルは本当に君を気に入ってるみたいだ」

「……そうですか……ね」

「そうだよ。こんなに可愛いレディを気に入らないわけない」

 にっこりと笑った彼の手が、ふいに髪に触れる。

「…………。はぁ……」

 私は笑顔を崩さないように、体をこわばらせた。

「綺麗な髪だね」

「あ、よく言われます。髪は」

「あはは」

 ミケルの方が猫っ毛で綺麗な髪だけど。とは言えなかった。

「珍しい色だ」

「母方の遺伝なんです」

「そうなんだ」

「じっちゃんの髪の毛はもっと濃い色でした。綺麗な赤で…………――」

 と、此処まで言って気が付く。

「じっちゃん?」

「じ……ッ!!!!!!」

 この言葉づかいは、出してはいけない庶民の素だ。

「えと! ジ、ジルって名前で……! 孫達にジっちゃんて呼ばせててですね! 祖父は変わった人でして!」

「へえ……? 変わったおじい様だね」

「え! ええ! はい!」

 クスクスとミケルは笑った。

「君も面白いね」

「……そうですか?」

 褒め言葉?

「うん。確かに。これは側に置いておきたいかもしれない」

「え?」

 影が顔にかかる。ミケルが立ち上がって近くに歩み寄り、上から見下ろしてきたのだ。

「あの……」

「私の側にも置いておきたいと言ったら、どうする?」

「え?」

 すっと肩に手が置かれ、綺麗な顔が耳の側に寄る。

「えっ! わ!」

 ぞくっとして反射的に肩をすくめた。

「君のそういう、慌てた顔も可愛らしいけど」

 耳元で優しい囁きが響く。

「ウィルの慌てふためく顔も、見てみたいな」

「な、え?」

 何を言っているのかわからない。というか、この状況は何ですか。

「……ね? ラピス嬢?」

 ふっと笑ったミケル顔が、ようやっと耳元から離れて、気づいた。

 ミケルが今、その美しい目を向けている先に、子爵がいることに。

「……何してる。ミケル」

 少し遠くて、無表情な子爵の感情は読みとれないけれど。

「いや、内緒話だよ」

「……ほう」

 子爵はもしかすると。

「私の特別な娘に、軽率な行動だとは思わんか? ミケル」

 もしか、しなくても。

「あはは、ごめんごめん。そんなに血相変えて怒らなくてもいいだろう」

 やっぱり、怒ってらっしゃる?

 険悪な空気が突然部屋に漂い始めた。

「あ、あの……。し、ししゃ……―――」

 私が何かを言おうとしたら、ミケルの背中で遮られた。

「いいじゃないか、仲を深めるくらい」

「……ふん」

 ミケルの背中で見えなかったけれど、子爵はずかずかと分かりやすい音を立てて部屋の中に入ってきたみたいだった。

「ラピス」

「!」

 と、思ったら、いきなりミケルの背中の向こう、その死角から子爵が現れた。

「は! はい?」

「帰るぞ」

「え! ……で、でもまだっ!」

 出されたケーキを食べ終わってない!

「いい。用事は済んだだろう。ミケル」

「うん。用事って言うか、お茶だけだけどね」

 そんなやりとりを見て、対照的な二人だなとぼんやり思った。

 その瞬間。

「うわ!」

 少々強引に立たされて、肩を抱かれるような形で引き寄せられた。

「えっ子……?」

「失礼する」

「うん、また遊びに来て。ラピスも」

 ミケルはにこっと笑い、ウィンクをした。

「は、はい、是、非ッ……」

 と、言い終わるか否かのところで私は子爵に肩を抱かれたまま回れ右をさせられ、ずかずかと部屋を出ていかされた。

「……はは、初めて見る反応で、つい虐めちゃった」

 ミケルは一人残された部屋の中で笑った。



「……なに怒ってるんですか」

 帰りの馬車の中が、あまりにも嫌な空気だったので空気清浄のためにも訊いてみた。

「怒ってなんかいない」

 ――手ごわいわね……。

 また続く沈黙。

「ミ……ミケル様、好きになった娘が全員子爵に惚れるって言ってましたよ。すごいですね子爵」

「すごくはない」

 ――んにゃろう……!

「ミ……ミケル様って、リリス嬢とは従兄だったんですね。私はてっきりリリス嬢のお兄さんかと思ってました」

 沈黙。

 ――ちょ、なんか言うくらいできるでしょうが?!

「お……幼馴染なんですよね? 小さい頃ってどんなことして遊んだんですか?」

「大したことは何も」

 ――……だんだんこっちまでイライラしてきたわ。

「小さい頃から綺麗な人だったんだろうなー……。リリス嬢も可愛らしいですもんね。親戚だけあってよく似てるし。髪の色とか」

 これだけ話題を振ってもまだ続く沈黙。

 なんだか悔しくなってきたので、私は諦めずにもう1度話しかけた。

「……あ、そう言えば、あの茶菓子に出てたケーキおいしかったですね。全部食べたかったなー」

「……ラピス」

「はい?」

 ――よし、こっち見た! このまま普通の会話に……!

 そう、思ったのに。

 突然すっと腕が伸びてきて、大きな右手が私の髪をかき分け、耳元を覆った。

 馬車か、私の身体かはわからないが、ギシっときしむ音がした。

 子爵が明らかに怒った顔で私の瞳を覗き込んでいたからだ。

「なん、ですか」

 この時の私の笑顔は、多分ひきつっていたと思う。

「そんなにあいつが気にいったのか?」

「へ?」

「ミケルに何を囁かれた?」

「べ、別に何も……」

 子爵の慌てふためく顔が見たい、とか言ってましたが。これは言うべきじゃない気がする。

「っ……!」

 黙っていると、子爵の手がするっと髪の毛を撫でながら動き、顎もとに触れた。

 そして親指で頬を優しく撫でる。

「私に言えないようなことを囁かれたんだな?」

「ち、違いますよ……」

 動けない。

「……本当に?」

 ――……~~~怖いッ!!!!


「ち……違うって言ってんでしょうがッ!!!」


「!!!!」

 それはもう。

 御者のおじさんの心臓を貫きかねない大声でございました。


 ***


「くっくっくっくっく……」

「……笑いすぎだぞブレトン」

「あー……っはは、すみません。つい」

 話を聞いたブレトンは口元を押さえたまま震えた。

「ちっ……」

「舌打ちは下品ですよ。子爵」

 子爵はブレトンを睨みつけたが、ブレトンはまだ笑いをこらえていた。

「なるほど、だからですか? 夕食の時、ラピスが少しだけいつもと違ったのは」

「そうかもな」

 不貞腐れる。

「密室での接近戦で子爵に迫られちゃあ、仕方ないでしょうねぇ。あーおかし」

「そろそろやめろ。笑うのを」

 ブレトンは2度頷いて、なんとか微笑んだ。

「それで? どうだった」

「ええ、そうでしたね……」

 ブレトンはやっと落ち着いたのか、ゆっくりと頷いてからため息をついた。

「……いくつかは一致しました。まだ何とも言えないですが。これがリストです」

 子爵はブレトンから紙の束を受け取ってじっと見つめてから、机にしまった。

「こっちの様子はどうだった。先に帰った収穫はあったか」

「いえ、なんとも。昨日も一日見ていましたが、大したことは何も分かりませんでした」

「そうか」

「……今のところ、信用のおける人物かと」

「分かった」

 子爵は頷いて、ブレトンにもう休むように言った。


 ***


 それから数日たったとある午後。庭先でメアリーがラピスに声をかける

「ラピス! 出かけるの?」

「あ、うん! 今日欲しい本の新刊が出るのよ!」

「あー、相変わらずの本の虫ねぇ!」

「うっさいわよー!」

 あはは、と笑ってラピスは駆けていった。

「…………それで、尾行るんですか? ブレトンさん」

 メアリーはラピスを見送りながら呟いた。

「庭掃除? ご苦労様です」

 ブレトンが微笑みながら、軽やかにやってきた。

「ラピスのこと見張るように、子爵に?」

「うん。まぁ、護衛って感じだね」

「……ラピスには秘密なんでしょう?」

「多分怒るからさ」

「怒るでしょうねぇ」

 メアリーは想像して笑った。


「ダイド!」

 ラピスがダイドを見つけて声をかけると、彼は読んでいた本から顔をあげて微笑んだ。

「ラピス。久しぶり」

「最近どう?」

「うん。いつも通り」

 2人はにっこり笑うと、歩き出した。

「新刊買いに行くんだろ?」

「うん。楽しみ!」

「俺はもう買って今読んでる」

「げ! はっや!!」

「面白くなってきたよ。ほら、印を持った少年が……――」

「ネタバレ禁止!!!」

 吠えるラピスに、ダイドは可笑しそうに笑った。

「……超恋人っぽいじゃん」

 それを陰から見るブレトン。

 これではただのノゾキである。

「ん?」

 そして気づく。

「はー。俺以外に、悪趣味な奴がいるなぁ……」

 そうひとりごちると、ブレトンはにやりと笑った。


 ***


 私は本を購入してほくほくしつつ、ダイドと近くのバールに入ってコーヒーを飲んだ。

「今日はお酒じゃないんだね」

「お酒飲んじゃうと読書する気なくなっちゃうからねー。夜読むの! 今日は徹夜かも!」

「あはは。明日も仕事あるんだろ?」

「あるけど……。内勤、だから……。なんというか、大丈夫……よ」

 いや、絶対に支障があるな……。私は大丈夫と言いながら、そのことを認めていた。

「ラピス。家の人から手紙はきた?」

 ダイドは微笑みながら訊ねた。

「あ……。や。実は、まだ……」

「……そっか。早く来るといいね」

「届いてるかさえわかんないけどね」

 少し、心が陰った。

「でも案外心配してないの。身体だけはすっごく丈夫だからねうちの家は!」

「いいね。いつか会ってみたいな」

「うん。いつか紹介したいわ。ダイドの家族は?」

「俺の家族は……、どうだろ。最近会ってないな」

「え! 離れて暮らしてるの?」

 ダイドは頷いた。

「俺、一人暮らしだよ」

「そうなんだ! 偉いわね、独り立ちしてて」

「ラピス、俺さ……――」


 ガタン!


「!」

「え?」

 突然大きな音がして、バールの扉が開いた。

「ラピス・リブレリーアだな!」

 突然男達が入ってきたかと思うと、大声で名指しされた。

「……懐かしい名字ね」

 ぼそっと呟く。

「え?」

「本屋(リブレリーア)なんて名字。まんますぎて、ありえないでしょうよ」

「あぁ、確かに。でもなんで偽名……――」

「お前だ! そうだな!?」

 今度は指をさされる。

「……はぁ」

 私は仕方なく立ちあがった。

「名字が違う。そんなオッペケペーな名字じゃない」

「うっせぇ! 都の本屋『リブレリーア』の娘だろう! そうだな!?」

「……だったらなによ」

 睨む。ここで怯んだらだめだ。

 相手は、武装した5人。

 まった女一人に随分と……。

「大金を得たまま、トンズラこけると思うなよ!」

「……はぁ?」

「期限は過ぎた! 死んで償え!」

「ちょ、ちょっとちょっと――……」

 ガシ!

「わっ……!」

 突然腕を掴まれ、よろけた。ダイドが腕を掴んでひっぱったのだ。

 彼はそのまま無言で私を引っ張って店内を駆け抜けた。私はもつれる脚を無理やり動かして必死についていった。

 短い悲鳴が左右から聞こえる。それをすりぬけるようにして、私たちは店の裏口から飛び出した。

「走って!」

 ダイドの脚はすごく速かった。私も足には自信があるのに、引っ張られるようにしてなんとかついていくことしかできない。

「広場まで……!」

「う、うん!」

 汗が噴き出す。

「待て!」

 振り向くと相手もなかなか速かった。

 だめだ、追いつかれる! そう思った時。

「ラピス!」

 ダイドが急に立ち止まって振り返ったかと思うと、強く腕を引かれ、私はダイドの後ろに隠された。

「何の用だって?」

 ダイドが低い声で唸る。

「こいつは大金を持ち逃げしたんだ。恨まれて当然だろ?」

 いやいやいや。返済済みですけど。

「で、いたいけな女の子を殺すって?」

 ダイドの背中から感じられる雰囲気が、いつものものではなくなっていく。

「……ダイド?」

「どけ! 優男は怪我するぜ!」

 鞘が地面にいくつも投げ出され、靴が地面を蹴った音がした。

 やばい!

 目を閉じた。

 けれど、目の前にあるはずの背中がいなくなったのを感じてすぐに目を開けた。


「クリスティーナ……」


 そこにいたダイドの動きは美しく、まるで、ナイトオリンピアで美しく舞い勝ち抜いた伝説の人物、クリスティーナ・バルバラを思わせた。

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