第8話:嫁ぐ気がないのに婚約者としての品定めをされた件

「私! 愛してますから!」


 なぜ、あんなこといったんだろう。

 ……後悔先に立たず。

 後に、立つ!!


 ***


 ある午後のこと。

「つまり子爵って、魔男なんですか?」

「…………」

 子爵は呆れ顔を見せた。

「その、語弊をうむ呼び方はやめてくれないか」

「? なんで。魔女の男版って、魔男じゃないんですか?」

「……違う」

 ため息をつかれた。

「あ、書庫から持って来いって言ってた本。これでいいですか?」

「ああ、ありがとう。そこに置いといてくれ」

「はい」

 難しくて重い薬学の本を机に置いた。

「じゃ、失礼します」

 さぁ、書庫の片付けを進めよう。

「ラピス」

「ん?」

 と思ったら呼び止められる。

「今日の夜は、あけておいてくれないか?」

「……ええまあ。あいてますけど。なんでですか?」

「伯父が来るんだ」

「おじ……さん?」

「あぁ。その……君に、会いたいって」

「はぁ……」

 なぜ?

「まぁ、いいですけど」

「良かった」

 子爵はにっこりと微笑んだ。


 書庫に向かおうと廊下を歩いているとメアリーは茶色の毛を揺らして駆けてきた。

「ラピス!」

「あ、メアリー」

「ねえ、今度の日曜日暇?」

「え? あいてるわよ」

「やった。ね。外に出ない? 買い物に行きたいの!」

「……外」

「ポルヴィマーゴよ」

「町?」

 出たい!

「行く行く! うわ! そう言えばそういう庶民的な感じなところ! しばらく行ってないわ!」

 超魅惑的! 超魅力的! 其処こそ私の生きるべき土地!

 テンションが上がる。

「良かった。じゃあ、約束ね!」

「うん! わ、ありがとう! 誘ってくれて!」

「なあに? そんなに喜んで……。っじゃ。またね!」

「うん!」

 う、嬉しい!

 思ってみれば借金苦に陥ってから、友人と遊びに行ったことなんてないわ。

 昔に戻ったみたいな、懐かしい気持ちになり、私は相当浮かれていたと思う。


 ***


「ブレトン」

 子爵がブレトンを見つけて呼びかけると、ブレトンはくるりと振り向き、いたずらっぽく笑った。

「なんですか魔男子爵」

「……聞いてたのか?」

「聞いていました。たまたまですよ。誤解なさらず」

「いい従者を持ったものだ」

「そうでしょう。噛み締めてくださいよ。幸せを」

 沈黙。

 本当にこの従者は口が減らない。

「……冗談はこのくらいにして、今日アーノルドが来る」

「おや、お戻りになったんですか?」

「ああ。それで噂を聞きつけてラピスに会いたいと言ってきた」

「まあ、あの人は……」

 言いかけてやめる。

「言いたいことは分かるな?」

「はい。分かります」

「ラピスを、一流の貴婦人に仕立て上げてくれ」


 ***


 悪寒がした。


 本にのりをつけていた手を止めて、思わず肩をさする。

 こののりの匂いも好きだな。

 そう言えば父と母はどうしているだろうか。

 今度の日曜日、町におりた時、実家の方に手紙を出してみよう。

 家は差し押さえられているだろうけど、もしかしたら戻ってるかもしれない。

 それとも友人のメドヴェに送ってみようか。

「ん?」

 のり付けが終わり、乾かしてから新しい本の修理にかかろうとしたら、その本のページがバラバラになっていたことに気付いた。

「うわ……」

 これはページを全部探して、並べなおさなければ。

 しかし、てんでバラバラであるうえに、ページナンバーがところどころ消えている。もしくは破れている。

 これではうまくいかない。

「仕方ないなぁ」

 読むしかない。文脈から判断して、ページを組みなおさないといけない。

 その本の題名は。

「……私の名前だ」

 『ラピス・ラズリ』だった。

 完成をもたらす石、とブレトンも言ってたけど、私の名前って有名な石の名前なのか、と思った。


 名前に由来や意味があるなんて、この国では珍しい。いつも誰かの複製で、自分らしさなど後付けだ。

 そんな中、前国王が王女に月の名前を与えたのは有名だった。

 そしてその王女様が、ある時国王の手により城から無慈悲に追い出される事件が起きた。それは、王が行った数々の愚行の一つだったのだが、誰も止めることができなかったという。

 当時私は、いつ彼女は人知れず城を追い出されるんだろうと、眠る前に心配したものだった。

 それは、少なくとも同情と言う名の正義で、悪だった気がする。


「ラピス!」

「う、おお!?」

 ボーっとしていたところに、突然名前が呼ばれたため体を跳ね上げた。

「え、なにごめん。驚かした?」

 ブレトンがいつの間にか部屋にやって来ていた。

「あ、ああ、ご、ごめん。ボーってしてた!」

「あはは。相当疲れてるね? 休もうよ。お茶持って来たんだ」

「わ、ありがとう!」

 にこっとブレトンは笑った。こういうところ、本当に気が利く男だった。

「……あの、ブレトンさん」

「ん?」

「すごく遅くなったけど」

「うん」

「……あの、パーティの夜。手、はたいてごめん、なさい」

「…………? あぁ、あれ?」

 彼は最初、何のことを言われているかわからなかったようだったが、思い出したようで、ははっと笑った。

「あんなの気にしてないよ! というか、あの時は、悪かったのは僕だしさ」

 いや、一応。少しでも悪いと思ったことは謝らないと気持ちが悪いので。

「それはそうと、今日も僕がドレス係なんだけど」

「え?」

「今日、子爵の伯父にあたるアーノルド候がいらっしゃるから、おめかししないとね」

「え、そんな。前回のパーティーばりに……?」

 あのコルセットは、きつい!

「ええ、あれ。言ってなかったかな。あの方は、ラピスを品定めに来るんだよ?」

「……あ?」

 ついに、かなり下品な感じの素が出た。

「え、品定めって、なに?」

「子爵にふさわしい娘かどうか、でしょ」

「いやいやいや。なにそれ!」

「アーノルド候は、いわゆる伯父馬鹿で……。子爵のことをかなり可愛がってくれた方です」

「……だから!?」

「子爵の婚約に関しても、うるさいだろうねぇ……」

「はあ?!」

 いつ、誰が、婚約!?

「君がヴァーテンホールにふさわしいか、確かめに来るそうだよ?」

「ば……!」

 ばっかげてる!!!!!!

「知りませんよそんなこと!」

「って言われてもねぇ?」

「だいたい私、子爵のこと愛してるわけでもないし! 愛されてるわけでもないんですけど! 私はたまたま……! 囮とか、虫よけにされただけで!!!」

「……うーん。子爵が聞いたら泣くな……」

「え?」

「いやいや、こっちの話。でもまぁ、いったんついた嘘ってのはバレるまで、もしくは時効がくるまでつき続けなければならないものだよ」

「む、向いてない!」

「知ってる」

 ブレトンは見透かしていたように笑う。

「まあ、バラすバラさないのも君の自由だと思うよ。子爵は何も言わないと思うし、もしなんか言われても擁護してくれると思う」

 いや、それはそれで、どうなの?

「でも、物事を一番穏便に片付けるのは、今夜君が完璧なレディを演じる、っていう手だね。男と女なんだから、後日別れたって言ってもいいわけだし。とにかく、目をつけられてちょくちょく様子を見に来られる方が面倒だと思うけど?」

「……~~! わ、分っかりましたよ!」

 負けた。


 ***


「きつい」

 ドレスを着て、髪の毛をセットしてもらっている最中に、つい不満をこぼしてしまう。

「コルセットはねぇ……たしかにきつそう。僕はごめんだ」

 あんたは男でしょ。

「ねぇ、普通こういうのって女の侍女とかがしません?」

「ん?」

「ブレトンさんは……その。一応男なんだし……」

「あ、嫌だった? 一応恥じらう心はあるんだ?」

「おい。本音。隠してくださーい」

 ブレトンは可笑しそうに笑った。

「ねぇ、ラピス。最初会った時はタメ口だったのに、なんで敬語なの?」

「え!?」

 うわ、覚えてた?

 確かに、初めてバールで会った時は、この人のことを単なる庶民だと思ってたから適当な言葉遣いだった。

 でも、馬車に乗せられて子爵に会ったら、この人は爵位ある人の従者だった。つまり、貴族だ。下級か上級かと言うと、まぁ少なくとも子爵よりは下の方だろうけど、貴族には違いない。

 そう判断したから。なんて、ゲンキンか。

「き、貴族だと思ってなかったから……。さ、最初は知らなくて、……失礼しました!」

 忘れてよ、もう。

「え、僕貴族じゃないよ?」

「ええ!?」

 セットの途中だが、思いっきり振り向く。

「こらこら」

 すかさず、ぐいっと前を向かされる。

「なんだ、そんなこと。だったらもう敬語いらないよ」

「え、でも……」

「いらないよ」

 ブレトンは、にっこりと笑った。

「う、うん」

 有無言わさぬ笑顔に、思わず頷いた。

「綺麗な髪だよね」

 少しウェーブした私の髪の毛に触れてブレトンは言った。

「そうかな?」

「うん。良い色」

「ブレトン……は、男なのにこういうの得意なのね」

「うん。だから任されてるの」

「へぇ」

 感心した。私は他の町娘と比べても不器用で髪の毛のセットなんてできない。

「それから」

「ん?」

「無防備な君が、刺客に狙われないように」

「……へー」

「あ、怒った?」

 ため息。

「別に。あの人らしいなって」


 次からこういう仕事の準備は、年輩のメイド長にお願いすることにした。

 メアリーでも良かったけど、友人に身の回りのお世話なんかされたくないから。



 衣裳部屋から出ると子爵が待っていた。

「できましたよ」

 化粧から髪の毛から、完璧にブレトンが仕上げてくれた。

「ああ、綺麗だ」

「……ど、どうも」

 時々思うけど、ちょっとは躊躇してよね! そういうクソ甘い台詞吐くとき!

 そっちは言い慣れてるんだろうが、町娘はそういう言葉をいただき慣れていないので!

「で、いつ、いらっしゃるんですか?」

「もうすぐじゃないか」

 適当ね。

「……一応言っときますけど」

「ん?」

「今日は私……頑張って取り繕いますけど、これからずっとは、嫌ですからね!」

 不貞腐れて、目を合わさずに言った。

「…………。ああ。分かった」

 ん、なに、今の間?

 不思議に思って顔を上げると、少しだけ寂しそうな笑顔が返ってきたので、胸がズキとした。

「なんですか……」

「いいや」

 しかし、それはすぐ意地悪な笑顔に変わり、ぽんと、優しく頭を撫でられた。


 アーノルド候は、それから一時間ほどでやってきた。


 ***


「ウィル!!」

 子爵の母方の伯父である彼は、城に着くなり嬉々とした顔で子爵に近付いた。

「やあやあ久しぶりだな! 元気にしていたか?」

「ええ、おかげさまで。そちらもお変わりなさそうで何よりです」

「ははは。お前、いくつになったかな?」

「25ですよ」

 そこで初めて子爵の年齢を知った私に衝撃走る。

 嘘!? 知らなかった! もっと上かと!?

「……ん。そちらが?」

 う、こっちを見た。

「ああ、紹介します。こちらはラピス。私の特別な娘です」

 相変わらずどうよ、その紹介は?

 心の中でツッコみつつ、仕事開始のゴングが鳴ったので全神経総動員で気を引き締める。

「ご、ごきげんよう。アーノルド様。お目にかかれて光栄ですわ」

 にっこりと微笑み、普段使わないような声で言った。

 ……気持ち悪い! 想像以上に! こんな私、気持ち悪いんだけど!

 自分の声と態度に、少々寒気を覚えるような出来だった。

「……ふむ」

 品定めモードのアーノルド候は、じろりと私を見て、一言つぶやいた。

「胸がない」


 ……………………。


 一瞬の思考停止ののち、私は何とか改めて気を持ち直す。

「い、いやですわ。まだ未発達なんで、そのことは置いておいてもらえませんこと?」

 にっこり笑顔を絶やさず、何とかかわしきる。

 しかして、やはり殺意は湧く。

 ――何この人!!!! 殺す!

 ふと子爵を見ると、彼は明らかに笑いをこらえていた。

 こいっつら……! 血は争えないとはこのことね!

 さらに湧き上がる殺意を、胸を締め付けるコルセットが何とか押さえてくれた。

「大丈夫ですよ、伯父上。時間をかけて私がゆっくりと……ッ!?」

 子爵の語尾が跳ね上がる。

 当り前だ。高いヒールで突き刺さんばかりに踏みつけてやった。

 こういう時、普段は床に擦れて邪魔なドレスのスカートは、とても役に立つものだ。

「さ……さぁ、夕餉は出来上がってますよ。行きましょう」

 子爵はそう言って伯父を廊下の方に進ませた。

「うむ。お前の城のシェフは一級だからな」

 楽しみだ、といった顔つきでアーノルド候は歩きだした。

「……痛いじゃないか」

 それを見届けつつ、子爵がぽそりと私の耳元で囁く。

「黙ってくださいませんこと? 子爵?」

 にっこり。パーフェクトな外面で笑ってやりましたとも。


 ***


 夕食を食べながら、アーノルドは不意に尋ねてきた。

「それで、どこの家の娘なんだね?」

 ギクリとする。これは、どこの貴族令嬢か? という質問だ。

「許しをいただいて私の城に長期滞在しているとはいえ、まだ正式に婚約したわけじゃないですし。刺客に狙われるのを考慮してラピスの家柄などについては秘密にしてるんですよ。伯父上」

「私にも言えんのか?」

「ブレトンにすら話していませんよ」

「……ブレトンはおらんのか?」

「いますよ。後で会いますか?」

「いや、いい。あれはいつもとかわらんだろう」

「まったく。いつも通り生意気です」

「ははは」

 あぁ、彼はブレトンを認めていて、仲がいいんだ。と思った。

「得意なことや趣味は何かあるか?」

 突然私に質問が向けられる。

「え……? えっと」

 なんだろ……。得意なことなんてぱっと思いつかない。

「読書が、好きですわ」

 我ながら無難な回答である。

「ほう? 何か薦められる本はないか? 最近良い本に出会っていない」

 思いのほか、彼は好反応を示した。子爵の書庫の貯蔵量といい、この一族は本が好きなのかもしれない。

「あ、じゃあ、最近出たばっかりの『舞女』はいかがですか?」

「どんな話だ?」

「先日のナイトオリンピアを勝ち抜いた、クリスティーナ・バルバラがモデルになった話です。悲愴感があって、でも心情描写の切なさが良い雰囲気で、読みやすかったですよ?」

「クリスティーナ・バルバラ? あの武民の女か……?」

 アーノルドは一変して眉をひそめた。

「え? や、小説では武民という設定ではありましたが、本人の出自は不明だったかと」

「趣味が悪いな」

 ええ!?

「話自体は面白かったですよ」

 悲恋だったけど。

「そういう問題ではない!」

 ……これはもしかしなくても、なんか怒ってる?

 ちらりと子爵を見る。子爵は苦笑いで首を振った。

 もういいや、と食事に集中することにした。なんか気分悪いわ。

 その後いくつか質問されて、全部無難に応えておいた。

 つまんない人間。

 答えてる自分自身がそう感じたんだから、聞いている方もそう感じたに違いない。

 どんなにうまく着飾ったって、私は所詮中身のない人間なのだ。そう思った。

「ハァ……」

 ため息をついた。

 アーノルド候がトイレか何かで席を立って、気が抜けたのだ。

 私は立ち上がり伸びをした。

「お疲れ様」

「疲れましたよ……もう」

 子爵があくまで自然な流れで私の体を引き寄せた。

「もう少しだ」

「……はぁ」

「もう少しで君のその可愛い姿が見られなくなるのは、惜しいけれど」

「……はぁ?」

「いつも、その姿でいたらいい」

 日常的にこの格好を? と、想像してみる。

「……やだ。肩こります」

 却下。

「……ああ、そう……」

 子爵は苦笑いした。期待した回答じゃなかったらしい。

「ウィル!」

 突然、バーンッと派手な音がして扉が乱暴に開かれた。

「!!」

 思わずのけぞって子爵から離れる。

「どうしました?」

 子爵は何事もなかったかのように私をそっと離し、アーノルドに尋ねる。

「その娘は単なる町娘だそうじゃないか!」

「え!?」

 何故ばれた!?

 動揺して、大きな声が出てしまう。

「先ほどメイドたちが話しているのを聞いた! 次の日曜日に町に遊びに行く約束をしているとかなんとか!」

 うわわわ、メアリーだ!

 まぁ、メイドと町に遊びに行く約束をしている令嬢なんて普通いない。その結論は当然だろう。

「そんな庶民の娘をこのヴァーテンホール家に入れるわけにはいかない! 私はお前たちの婚約を認めんぞ!」

 大丈夫ですから! 私、此処に嫁ぐ気ありませんから!

 と、言いたいところだったのだが、子爵がやんわりと私を背中に押しやった。

「伯父上、黙っていたことは謝ります」

「その娘のどこがいい? 地味でつまらないただの町娘だぞ。……もしくはお前が巧くたぶらかしたのか?」

 私が!? やらないわよ!!

「お前には女の見る目がないと初めて知ったぞ、ウィル! そんなことではいつか誰かに付け込まれる。ヴァーテンホール家を守ることはできんぞ!」

「伯父上」

「もう今夜はいい! また後日来る! それまでに別れていることだ!」

「伯父上……」

 子爵がアーノルドを落ち着かせようとするが、彼の怒りは収まらないようだった。

「帰る! 人を呼べ!」

 アーノルド候は踵を返し、ずかずかと部屋を出ていった。

 バターン! とひどい音がして扉が閉まる。

 残される沈黙。

「………………子爵」

「ラピス、日曜日は出かけるのか?」

「はい、メアリーと……。じゃなくって!」

 慌てふためく私とは裏腹に、子爵は穏やかに微笑んだ。

「しょうがない。あの人はああなってしまうと頭冷やすのに時間かかるから。あのまま言い争ってると埒が明かないし」

「でも!」

「いいよ。大丈夫。後でうまいこと誤魔化すし、今日はもう……」

 でも。と、思わずにいられなかった。

「……でも。子爵」

「ん?」

「私…………、やっぱり」

「うん」

「やっぱり、行ってきます!」

 私は走り出していた。走り出さずにはいられなかった。

 そしてバタバタと、自分でも可愛げないと思うような走り方で階下へ駆け下りた。

 あの人は馬車で来ていたたから、馬の繋ぎ場へ行けばいい? いや、玄関へ行けば会える?

「ああもう!」

 考えたって、結局出口は、一つだ。


 ***


 ガタタンガタタンと心地よい音とともに馬車が走り出した。

「ふぅ」

 アーノルドは一人、馬車の中でため息をついた。

「まったく、あの娘……」

 子爵とラピスに対しての怒りこそ冷め始めていたが、呆れは消えない。

 もう一度深いため息をつこうとした、その瞬間だった。

「止まって!」

「!」

 突然バカでかい声が外から聞こえ、馬車の中にも響いた。

 馬が荒ぶって鳴き叫び、かなり無理矢理馬車が止められる。

「!? な、なんだどうした!」

 アーノルドは思わず馬車から身を乗り出して、外の様子をうかがった。

 そこにいたのは、”あの娘”だった。

 門のところまで走ってきたらしい。髪の毛は乱れ、息が荒れ、仁王立ちで肩を弾ませて立っていた。

「……確かに」

 彼女は震える息で、話しだす。

「確かに、私、単なる町娘です。都で育った、借金苦の娘です」

 アーノルドは眉をひそめた。何を言い出すのかと思った。

「だから貴族の趣味とか分からないし! 正直、こういの全然向いてません!」

「はぁ……?」

「ダンスだって踊れないし、嘘だって……下手です!」

 一体、何なんだ。

「でも、子爵のこと! 騙したり! かどわかしたり! 誘惑したり! 私は一回もしたことありませんから!」

 彼女の表情は、先ほどまでの張り付いたような笑顔ではなく、半ば睨むような眼をしていた。

「確かにつまんない女ですけど! 私、ちゃんと……!」

 一瞬ためらうような顔をした後、息を大きく吸い込んだ。


「愛してますから! 私!」


 さっきと同じくらいの大声だった。

「あ! 愛してますから! 子爵のこと!」

 眼は潤み、頬には汗が伝っている。

 必死なのだけは、よく分かった。

「子爵が騙されて女に付け入られるなんてこと! 絶対にないんで! 確かに私みたいなつまんない女相手にしてるけど……! 見る目が……、子爵の人を見る目がないっていうのは! 訂正してください!」

 そして目を泳がせ、しまいには顔をそむけた。言いたい言は、全部言えたらしい。

「そ……! それだけです! では! ごきげんよう!」

 そう叫ぶと、彼女はドレスの裾を掴み走り出した。もはや気品のようなものを演出するのは諦めたようだった。

「待ちたまえ!」

 今度はアーノルドが叫んだ。

 彼女は恐る恐る振り向いた。泣きそうな顔をしている。

「……悪かった」

「え?」

「カッとして、言いすぎたのは認める。差別的な事を言ったことも、謝ろう」

「……?」

 彼女は首をかしげた。

「……まったく、あいつは昔からゲテモノ好きだったからな……」

「……は?」

「いや」

 アーノルドはふっと笑ったが、彼女は怪訝な顔をしていた。

「また会おう。次は、こちらに来ると良い」

 彼女はしばらくきょとんとした後、大きく頷いた。

「はい!」



 ガタタンガタタン。馬車が揺れ、森を行く。

「……まったく、嘘が下手な娘だ」

 城を出た馬車の中で、アーノルドは一人、笑った。

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