番外編

第410日「今日しかできないことをやりましょう」

 # # #


 10月も今日が最終日。

 秋の日はつるべ落とし、とはよく言ったもので、18時前にはもう真っ暗になってしまう。


「ただいまー」


「あら、おかえり」


 リビングを通って、とりあえず自分の部屋にカバンを置きに行く。

 ドアを閉めるとき、たまたま見えた母親の顔が妙ににやけているのが気にかかったがスルー。


「ふう……」


 やー、今日も疲れた。

 定位置に通学カバンを放り出して、制服のまま倒れ込んでしまおうかとベッドの方をちらりと見た。


 おかしい。

 何がおかしいって、掛け布団がきれいにかかってるのがおかしい。

 普段、俺は寝起きが悪いのだ。朝なんて着替えてご飯食べて顔洗うだけで手一杯で、布団までいちいちきれいにしてられない。おかしい。


 でもまあ、これだけなら、母親が干してくれたりしたと考えれば筋は通る。

 極めつけは――


 そのきれいな掛け布団が、盛り上がって・・・・・・いる。

 なんでやねん。


 ……まあ、察しはつくんだけど。

 にしても、なんでやねん。

 俺は、いったんそちらを無視して着替えてしまうことにした。


 * * *


 がちゃん、と玄関のドアが閉まる音がして。

 かすかに、せんぱいの足音がして。

 がちゃん、とリビングのドアが閉まる音がして。

 どたどた、せんぱいの足音がして。

 かちゃり、とせんぱいの部屋のドアが開く音がしました。


 これ、ぜんぶ、せんぱいのお布団の中から聞いてます。なにしてるんですか、わたし。


 いや、別に、かくれんぼしてるとかじゃないんですよ。

 今日ハロウィンだし、せんぱいちょっと帰り遅くなるっていうし、だったらわたしがせんぱいのおうち行けばいいかなって、来てみたはいいんですけど、特にやることもなく。

 もう10月も終わるし、けっこう寒くなってきたなあ、って思って、気付いたらせんぱいのお布団の中に入ってました。それだけの話なんです。


 ちなみにこれ、せんぱいはわたしに気付いてるんでしょうか?

 完全に布団に隠れてしまっているので、せんぱいの様子がうかがえないのがつらいです。

 音から察するに……着替え中、ですかね。でも、独り言を何を発さないのがあやしいです。これ、気付いてますね。気付いた上であえて無視して泳がせてるパターンですよきっと。

 と、なれば。


 部屋のドアがまた開いて、せんぱいの足音が遠ざかっていくことを確認してから、わたしは動き出しました。


 # # #


 制服を脱ぎ捨てることによって発生した洗濯物をかごにシュートして、部屋に戻る。


 とはいえ、ただ戻っては芸がない。なんせ部屋の中には、きっと彼女がいるのだ。

 彼女が何を企んでいるのかは知らないけれど、何か企んでいるとわかれば、それを封じることだってできる。

 そう。

 後輩ちゃんが何かいたずらを仕掛けてくる前に、こっちから仕掛けてやればいいのだ。

 どうせ布団の中に潜り込んでいるんだ、こっちの動向は聴覚だけで捉えているだろう。

 だったら忍び寄って、布団の上からでもがっと捕まえてやればいい。物理的な意味でマウントポジションを取ってしまえば、そう大したいたずらはできないだろう。


 こう考えた俺は、帰りはなるべく忍び足で歩く。

 親に変な目で見られながら、途中のドアもそっと閉め、廊下をすり足で抜け、自分の部屋のドアをそろーりと開ける。

 人ひとりがギリギリ通れるくらいの隙間を作って、膝とか肘とかをうっかりぶつけて物音を立てないように注意しながら、忍者の気分で部屋に入り込んだ。


 どうしてたかが自分の部屋に入るのにこんな苦労してるんだ、とため息を……押し殺して正面を見ると、さっきまではなかったものが立っていた。

 びっくりして足がびくんと跳ね、床を叩く音がしてしまう。

 するとそれを聞きつけたのか、白い塊が身じろぎをして――


「メジェド」


 ここ1年強、毎日のように聞いている声でこんなことを言った。なんなら今朝にだって聞いた声だ。


「……いやお前なにやってんの」


「めじぇど♡」


「ちょっとかわいく言っても無駄だから」


 布団を腕がぬーっと持ち上げて、かわいい彼女の顔が覗いた。


「かわいいですか?」


「はいはいかわいいかわいい」


 かわいいのは事実だから困る。


「えへへー」


 ハロウィンならそこはジャック・オ・ランタンじゃないの、とは突っ込めない。

 俺の掛け布団を裏返しにして被った、中途半端な妖怪後輩ちゃんがそこにいた。


 * * *


 甘い甘い。せんぱい、砂糖シロップに砂糖をかけたより甘いですよ。

 あんなにばたんばたん音をさせていったのに、急に音がしなくなれば誰だって警戒しますよ。

 とはいえ、ドアのすぐ前に陣取っておいて正解でした。ベッドの上に仁王立ちってのも考えたんですけどね。


 さて。

 せんぱいに「かわいい」なんて言われちゃったので、わたし照れてます。このせんぱい息をするようにかわいいって言うのに、いまだに慣れないわたしも悪いんですけど。ちょろすぎですね、ほんと。

 布団を被ったまま、せんぱいのベッドに戻って、体勢を整えます。というか元の体勢に戻ります。


「そこで戻るのかよ!」


「もどっちゃダメでした?」


 お化け屋敷でお客を驚かせた後、戻っていくお化けのイメージでしょうか。

 とにかく、せんぱいが最初に来たときの姿勢に戻りました。あ、お布団は裏返しのままですね、まあいいです。


「そもそもお前何しに来たの?」


「ハロウィンなので」


「答えになってないぞ」


「遊びに来ちゃいました」


「はあ」


 さて。

 わたしのいたずらがこれで終わったと思ったら大間違いですよ、せんぱい。

 布団の下っていいですよね、見えないから。わたしはこっそりと、仕込んでおいたものを取り出します。


「というかせんぱい」


「なんだよ」


「気付いてましたよね? わたしいること」


「ぐっ……」


 せんぱいがうなってるうちに、っと。

 よし。これで準備完了です。


「なんで無視したんですか?」


「その方がおもしろいかなって」


「ま、結果的に後輩に手玉に取られてちゃだめですよねー」


 布団から顔を出してみると、ぐぬぬ、とせんぱいの顔がゆがんでいるのが見えました。


 # # #


 なにこれ。挑発されてんの、俺?


「にしても、せっかく彼女・・が部屋にいるのに、何もしないなんて」


 俺が見えない状況に飽きたのか、後輩ちゃんが布団から顔だけひょこっと出す。

 ほんのり頬がぷくっとむくれていて、かわいい。


「いや、あのなあ」


「はいはい。そういう律儀なところもすきですよ」


 さっきは足が跳ねたけど、今度は背筋が跳ねた気がした。変な声が出た。


「不意打ちずるい……」


「あ、照れてる照れてる。かわいー」


「お前な……」


 結局、いつもこいつに振り回されてばっかりだ。


「まあ、これはいつでも見れるので、ね。今日しかできないことをやりましょう。せんぱい、『トリック・オア・トリート』です」


「いやお前もう十分トリックしただろ」


「そうですね、じゃあせんぱいのターンです」


 なんか、すごく誘導されてる気がするんだけど。うかつに返そうものなら大けがしそうな気がする。

 でも、「どうぞ?」と後輩ちゃんが微笑んでいるのには抗えなかった。くっそ。かわいいんだよくっそ。


「じゃあ……『トリック・オア・トリート』」


「かもーん」


 即答だった。

 なに? トリックしろってことなの? おかしはないからかかってこいって?


「いやお前な」


「ほら、せんぱいのまはるんですよー」


 俺に何をさせたいというのか、こいつは。文句は聞かないからな。

 はあ、とさっき押し殺した分のため息までついてから、彼女に近付く。


「今ならどんないたずらしたって……えへっ」


 布団の上から馬乗りになった途端、めっちゃいい笑顔を浮かべる真春。かわいすぎかよ。

 いたずらって言ったらこんなもんだろう。というか布団があってよかった。これ以上くっついたらちょっと理性が爆発しそう。


「ほら、これで満足か?」


 とどめに耳元で囁いてやる。シャンプーの香りをいつもより強く感じて、俺もとどめをさされそうです。


「んーん」


 いつの間にか布団から出されていた真春の両腕が、俺の首の後ろで組まれた。上下が逆の抱っこみたいな姿勢になってるんだろうか。

 そのまま彼女の顔が近付いてきて――あるいは俺の顔が下がっているのかもしれない。とにかくふたりの顔が近付いて。


 唇が触れた。


 しかも結構強く押しつけられた。

 いきなりのことにびっくりしつつ、でも幸せだなあとか思ってぼんやりとしていると。


 ころん、と口の中に何かが転がり込んできた。


「おっと」


 いつの間にか俺の頬に触れていた彼女の手が、唇をぎゅっと上下から押さえつけて、俺の口が開くのを防ぐ。


「なにこれ……甘い?」


「ふふ、おかしですよ」


 やっと何が起こったのかわかった。早い話、後輩ちゃんにこれを口移しされたのだ。


「これなら、トリックもトリートもできますからね。せんぱい♪」


 へへーんとウィンクをする後輩ちゃんは、真春は、最高にかわいくて。

 怒る気なんて、どこかに消えてしまった。

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