第97日「こわい、ですか?」

 # # #


 いやー。昨日はひどい目にあった。

 土壇場で、後輩ちゃんに、裏切られた。

 いや、裏切られたわけではないんだけど。化かされた? やられた?

 実害はそれほどでもないんだけど、なんというか、な。まさかあんな場所でやられるとは思わないじゃん。

 後輩ちゃんの前で気を抜いてはいけないということが、よくわかった。最近は確かに気が緩み切ってたから、隙を見せることも多かったのだろうけど、さあ。


 全校生徒の前で搦め手使ってまであんなこと言わせるのはさすがに想定外だよ……


 聞いてた人は幸いそんなに多くなさそうだったから、最小の被害で切り抜けるために最小限の動揺と最速の解答をしたけど、クラスの方ちらっと見たら出塚は大笑いしてたし。ふざけんな。後輩ちゃんのことLINEで問い詰めてる最中にもちょっかいかけてくるし。もうほんとなんなの。

 「即きょうの一問」とか、ほんとよく考えたよなあ。まあ不自然さは残らなくもないけど、日本語の乱れで押し通せる範囲だし。


 なんだかんだ、はぐらかしたりごまかしたりせず、真摯に質問に答えてしまったし、後輩ちゃんと結んだ約束も、ちゃんと果たした。

 ……彼女のことを、彼女との関係のことを、大事に、大切に、思っているんだなあ、俺は。

 今は午前11時くらいだろうか?

 すっかり太陽も高く昇っているのだけれど、せっかく学校がないのだし、外寒いし、布団でごろごろしながらこんなことを考えていると。


 枕元に置いたスマホから、LINE通話の着信音が鳴り出した。

 後輩ちゃんだ。


「おはようございまーす」


「お前なあ、昨日はよくも」


 LINEで問い詰めはしたのだけれど、結局あまり納得のいく返事はもらえていない。


「せんぱい、デートしましょデート」


 無視しやがった。


「いつもの駅に、12時集合です。遅刻はだめですよ?」


「いやまてお前、まだ俺布団の上なんだけど」


 それにまだパジャマなんだけど。


「それくらいわかりますよ、相変わらずねぼすけなんですねえ、せんぱい」


「はあ」


「じゃあ、そういうことで」


 抗議の声を上げようとした瞬間、独特の音がして通話が切られた。あいつ……


 結局、慌てて着替えて家を飛び出す羽目になった。

 なんか、こうやって振り回されるのも、久しぶりだな。


 * * *


 きのうから、わたしの学校は、「男女交際禁止」ではなくなりました。

 つまり。せんぱいも、男女交際禁止ではなくなりました。いえーい。


 他の人につかまっちゃう前にせんぱいを遊びに誘おうと思ったのですが、いつまでたってもラインの既読がつきませんでした。

 しかたないので通話をかけると、スマホから、少しまだぼんやりしているせんぱいの声が聞こえます。

 いつもの週末の通り、寝てたんですね。ふふふ。


 で、ですね。せんぱいを、その、お出かけに? お誘いしようと思ったのですけれど。

 ……あらためて意識すると、はずかしいです。これ。

 ぶっきらぼうに、せんぱいの同意もとらず、適当に集合時間を決めてしまいました。


 # # #


「気合入ってるな?」


 後輩ちゃんの私服を見るのもだいぶ慣れてきたけれど、今日はいつも以上にかわいさマシマシだった。


「デートですもん」


 心なしか頬を赤く染めた後輩ちゃんが、こう言いながらぷいっとそっぽを向く。


「はいはいかわいいかわいい」


 何かしらのレスポンスが返ってくると思ったのだけれど、後輩ちゃんは無言で。

 俺の左手をがしっと掴んだかと思うと、そのまま駅のコンコースを歩き出す。


「えっと?」


「せんぱいがはぐれたら大変ですからね。わたしが特別に手をつないであげます!」


 なかなか動こうとしない犬を引っ張る飼い主みたいに右手だけを後ろに伸ばして、後輩ちゃんがどんどん歩いていく。俺はというと、なかなか状況が呑み込めなくてあたふた横向きに引っ張られている。


 なんで手繋いでるんだ、俺ら。後輩ちゃんが俺の手掴んだからか。

 いやまって。おかしいだろ。手を繋いだのなんて、いつかの「頭の悪い会話」の時くらいしか記憶にないぞ。あの時は確かに、ノリで恋人繋ぎだったけど。

 

 それに、この駅だって何回も来ている。というか俺のホームグラウンドだし。冬休みシーズンだとはいえ今日は平日だし、そうそうはぐれることはないはずだ。

 みたいな理屈を並べて、後輩ちゃんの手を振りほどくことは容易かったけれど。

 ちらっと見えた彼女の横顔が緩んでいて、幸せそうだったから、その表情に免じて、このまま引っ張られてやることにした。別に、ほんのり冷たい彼女の手が心地よかったからとかそういうわけではない。


 * * *


 せんぱいは朝ごはんも食べずに家を出てきたそうなので、まずはランチすることにしました。せんぱいからするとブランチですね。

 前から目星をつけていたイタリアンのお店に、せんぱいを引っぱりこみます。物理的に。


「強引だなあ、まったく」


「せんぱいこそ、強引に振りほどいたっていいんですよ?」


「ぐっ……」


 へへーん。

 せんぱいの方こそ、いつの間にか、自分からわたしの手、にぎりしめちゃって。


「ま、まあ、もういいだろ」


 さすがにお店の中入ってまで、つないではおけないですね。

 どちらからともなく、手をほどきました。


「で、何だここ。はじめて来たわ」


 せんぱいが知ってたらびっくりしますよ。


「そりゃ、はじめて連れてきましたもん」


「何、俺後輩ちゃん無しじゃお店開拓できないとか思われてんの」


「はい」


「ひどい」


 まあ、わたしも、このお店ははじめてなんですけどね。

 ランチセットのパスタはちょうどいい量で、おいしかったです。


 # # #


「ふう……」


 食後の紅茶を飲んで、一息ついた。


「なにぼーっとしてるんですか、せんぱい」


「いや、お腹いっぱいで」


「大盛り頼むからですよ」


 いや、朝飯結局抜いちゃったし、100円増しで麺1.5倍なら頼んじゃうよ。


「で、この後何するの?」


「何しましょうか」


 えっと?


「決めてなかったの?」


「はい」


 こいつ、言い切りやがった。


「何も?」


「はい。せんぱいこそ、なにも考えてないんですか? まったく……」


「いや俺通告されたの2時間前なんだけど」


「じゃあ、しかたないですね」


 それは「しかたない」で引き下がるのか。


「おさんぽでもしましょう」


 そういうことで、行き当たりばったりの散歩をすることになった。

 なぜかまた、後輩ちゃんに手を引かれて。元気だなあ。


 * * *


 せんぱいを引っぱって……いえ、せんぱいと手をつないで、町をてくてく歩きます。

 ほんとに、何しましょうか。こうやって歩いて、ほどほどにせんぱいをいじるだけでもたのしいですけど。それは別にデートじゃなくてもできちゃいますし。


「で、どうするんだ」


「せんぱい、行きたいところありませんか?」


「寒いから部屋の中がいい」


「ですよねー」


 冬の風がだいぶ厳しいです。

 あたりを見回すと、看板がひとつ、目に入りました。


「せんぱい、これ、どうですか?」


A型:ピンチ!

B型:大ピンチ!

AB型:超ピンチ!

O型:大ピンチ!


 ピンチじゃない血液型があるのか、むしろぜんぶ平等にピンチじゃないんじゃないかとも思いますけれど、とにかく、献血を呼びかける看板です。


「献血か」


「どうです?」


「そういやいつだったか約束したなあ」


 血液型聞いたときですから、ほんと、だいぶ前です。

 せんぱいが覚えててくれて、ちょっとうれしいです。


「突っ立ってても寒いし、中入るか」


 手はなぜか結んだまま、こんどはせんぱいが前に立って、献血ルームに入りました。


 # # #


 あったけえ。

 全体にクリーム色の柔らかい感じの空間で、受付と書かれたカウンターに向かう。


「こんにちは。献血カードはお持ちですか?」


「いえ……」


「献血は初めてですか?」


「あ、はい」


 いつの間にか横に顔を出していた後輩ちゃんを見て、献血ルームのお姉さんが言う。


「おふたりとも?」


「そうです!」


 お姉さんがちょっと嬉しそうな顔をして、案内を始めた。


「本日は献血ルームにお越しいただき、ありがとうございます。基本的には400mLの全血献血をお願いしているんですが……」


 後輩ちゃんをちらっと見た。


「体重によっては、200mLにさせていただきます。大丈夫でしょうか?」


 それくらいしか抜かないんだな。多めに取って、貧血起こされても困るんだろうけど。


「それではまず、献血カードを作りましょう。何か身分証はお持ちですか? それと、こちらにご記入をお願い致します」


 そう言ってタブレットをぽん、と渡された。氏名、住所などを入力する欄がある。


「はい、わかりました」


「ああ、そういえば。ひとつだけご確認してもいいですか? 大事なことですので」


 ちゃっちゃと入力しようと思ったが、お姉さんが真剣な目でこちらを見てくるので、背筋を伸ばした。


「はい……?」


「6か月以内に、新たな異性との性的接触があった方からの献血は、お断りしているのですが……その、お二人の仲がよろしいので……無駄骨になってしまうのもなんですし……」


 耳が熱くなる。首をぎぎっと回して、隣の後輩ちゃんの方を見る。

 俺と似たような表情をしている。


「べ、別に、そんな関係じゃないです。ま」


 あぶねえ。動揺して「まだ」って言うところだった。


「まったく。恋人とかそんなんじゃありません」


 しつこくないくらいの笑みをにやにやと浮かべながら、お姉さんが追い討ちをかけてくる。


「キスもダメですよ?」


「だから、してませんって!」


 後輩ちゃんが食い気味に答える。してないもんな


「……大丈夫そうですね。失礼しました。どうぞ、入力してください」


 まさか、こんなところから爆弾を放り込まれるだなんて、思ってなかった。


 # # #


「今日の一問、です。せんぱい」


「なんだ?」


 献血が終わるまで外さないでくださいね、と言われた紙のリストバンドをいじりながら、後輩ちゃんがこちらを向く。


「こわい、ですか?」


 自分は不安そうな顔して、でも無理やり笑みを作っている。

 今日の一問だからな。正直に答えてやらないといけない。


「針がめっちゃ太いって言われたから、ちょっとは、な」


 献血前に採血して検査するなんて、知らなかったよ。輸血用の血のクオリティを保つためなんだろうけどさ。

 その時に看護師に言われたのだ。「本番の針はもっと太いですよ」って。


「まあでも、後輩の前だし、そんなビビるわけにもいかないか」


「あはは、なんですかそれ、かっこつけないでください」


 いいだろ別に。


「後輩ちゃんこそ、今日の一問」


「なんですか?」


「怖くないの?」


「なんか、変にかっこつけてるせんぱいみたらどうでもよくなってきました」


「そうか」


 なら、よかった。


 # # #


 特に問題も生じず、献血は無事終わった。後輩ちゃんは体重足りなくて、200mLだったらしいけど。

 献血ルームって、菓子食べ放題、飲み物飲み放題で、あんな居心地がいい空間なんだな。ちゃんと水分補給してから帰ってって言われたから、あえて居心地よく作ってあるんだろう。全然知らなかった。


 そして。またひとつ、後輩ちゃんとの約束を、ちゃんと果たすことができた。

 よかった。

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