第90日「今日、楽しかったか?」
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2年生の、2学期末試験。最後の科目は、世界史だった。
それも、もう終わる。教室の時計で、残り時間があと1分になったことを把握する。
いくつかある面倒な記述はとっくに書き終えて、すごくざっとではあるけれど、見直しも一応済んでいる。済んでいる、のだけれど。
一個だけ、どうしても、思い出せない。単語の穴埋めが。
資料集のあの辺に書いてあった奴だよなあ、とは思い出せるんだけど。カタカナの並びが、どうしても出てこない。
ええい。
とりあえず適当な人名を錬成して、ペンを走らせた。何も書かないよりマシだ。カタカナが60種類としたら1/60のn乗で正解できる。
書き終わって、残りは30秒。
んー、ほんとになんだっけなー。
もやっとしつつ、ついに俺たちは、
3……2……1……
「終わったー!」
クラス全員の魂からの叫びが、教室中にこだました。
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テスト用紙を回収し、「この後ホームルームだからちゃんと残れよー」と言い残して先生が出ていく。
伸びをする者、教室の外に駆け出していく者、スマホを取り出して電源を入れる者と様々いるが、俺は真っ先に足元のかばんから資料集を取り出した。
えーと。ここじゃない。あ、あった。
……フィリップ4世でしたー。はーい。終了。
メジャーな名前使ってるんじゃないよ。もっとユニークな名前使ってくれよ。覚えにくいだろうが。
まあいい。これで終わったんだ。後は年明けるくらいまではゆっくり……はできないか。少なくとも、勉強はしなくても大丈夫になる。
ふー。
日頃、一応勉強しているとはいえ、やっぱりどうしてもテストは疲れる。
机に左頬を押し当てたような形で突っ伏しながら、携帯の電源を入れた。
まずはTwitterでも……と思った瞬間に、LINEの通知がカットインしてくる。
まはるん♪:テストおつかれさまでした、せんぱい!
相変わらず元気なことで。
井口慶太 :フィリップ4世
まはるん♪:はい?
井口慶太 :フィリップ4世てめー許さねえからな
井口慶太 :ボニファティウス憤死させやがって
まはるん♪:優等生も大変ですねえ
井口慶太 :ひとごとみたいに……
まはるん♪:ひとごとですもん
それはそうだ。
まはるん♪:ところでせんぱい
井口慶太 :ん?
まはるん♪:このあと、どうします?
井口慶太 :HR
まはるん♪:じゃなくて。
まはるん♪:その、
みなまで言われなくても、わかっている。
井口慶太 :いやさすがにわかる
井口慶太 :どこ行くかってことでしょ?
試験期間に被ってしまった後輩ちゃんの誕生日を、盛大に祝ってやらなければいけない。
まはるん♪:はい
いくら試験があったとはいえ、1年に1回の大事なイベントである。
無策というわけもなく、いくつかプランを考えてはある、が。
井口慶太 :そういや後輩ちゃんは
井口慶太 :クラスメイトからお祝いされたりはないの?
まはるん♪:ぜんぶ断ったので
まはるん♪:だいじょうぶですよ
井口慶太 :は?
素で、変な声が出そうだった。
まはるん♪:今日のわたしはせんぱいのものです♪
井口慶太 :言い方もう少しどうにかならんのか
まはるん♪:え、いいじゃないですか別に
まはるん♪:誰に見られるわけでもないですし
お前なあ……
今お互い教室にいるんだぞ? 周りにクラスメイトいっぱいいるんだぞ?
見られるリスクだって、なくはない。
俺の方はほぼゼロだからいいけどさあ。
井口慶太 :はあ。
まはるん♪:はい。
井口慶太 :はうっ
まはるん♪:はえー
井口慶太 :はーお。じゃなくて。
井口慶太 :とりあえずいつも通り浜急線で。
どうせみんな遊びに行くんだ。
いつも通り、俺たちの路線なんかに来る人はいないだろう。
まはるん♪:はーお。
* * *
せんぱいがいうには、いつも通りきてください、ということでしたね。
ホームルームが終わって、みんなにあいさつをして、いつも通りにみんなと別れて、いつも通りの道を歩きます。
せんぱいの姿は……見えませんね。
まはるん♪:せんぱい、どこです?
井口慶太 :今終わった
ホームルームって、クラスごとに終わる時間に差が出ますよね。
伝える内容はほぼ同じはずなのに、どうしてなんでしょうね。わたしの担任の先生ははやく終わらせる方なので、助かってます。
井口慶太 :どっかそのへんで待ってろ
まったく、いつも通りあつかいが雑なんですから。
まはるん♪:はーい。
さてさて。
せんぱいのこと、どのへんで待ちましょうか。
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どっかそのへんで待ってろ、とは確かに言ったけどさあ。
いきなり曲がり角から飛び出てくるとは思わないじゃん。
「びっくりしました?」
「いや?」
「ぴくってなったせんぱい、おもしろかったですよ?」
「うるせえ」
「あ、照れてる照れてる」
「照れてないっつの」
テストが終わった解放感がやっぱりあるのだろうか。若干いつもよりテンションの高い後輩ちゃんと、駅までの道を歩く。
「にしても、わたし、どこに連れて行かれるんですか?」
「秘密」
「えー」
「いつもはお前に引っ張り回されるんだ。たまにはいいだろ」
「まあ、いいですけど」
セリフ自体は不承不承な感じだったが、それを乗せた声は、どことなく弾んでいる気がした。
俺の声も、客観的に聞いてきたら、弾んでたり上ずってたりするんだろうか。
* * *
せんぱいに促されるまま、電車からおりて、歩いて、たどり着いたところは。
「ラウンドワン、ですか」
「だな」
カラオケをはじめとした、色々なことが楽しめる施設でした。
「ここなら、後輩ちゃんの気分に応じて色々できるな、って思って。何がしたい?」
せんぱいにしてはめずらしく、気が利いてますね。うれしいです。ちょっとだけですけど。
「んー」
あ、そうですね。
「『今日の一問』いいですか?」
「はい」
「せんぱいって、ボウリング得意ですか?」
「んーと、男子平均のちょっと下くらいじゃないか? 苦手って言い切るにしては苦手じゃない」
「言い方があいかわらずめんどくさいですね」
「うるせえ」
わたしは女子の中だと平均より上の自信があるので、案外いい勝負かもしれませんね。
「じゃあ、ボウリングにしましょう」
レーンの申込用紙をとって、名前のところだけ埋めてしまいます。
「お前なあ……」
「だめですか?」
「いや、別に」
こうして、「センパイ」VS「コウハイ」のボウリングタイマン勝負がはじまりました。
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3ゲームやったが、いずれも一応俺の勝利に終わった。運動エネルギーは物体の質量に比例して、速度の2乗にも比例するからな。物理でやった。
早く投げられる、すなわち筋力が強い方がさすがに有利なんだろう。
「あの、せんぱい?」
「はい」
「わたしが今日はお祝いされてるんですよね? ゲストですよね?」
「うん」
「花持たせてくれたっていいじゃないですか!」
「いやあ、勝負だし」
「ぐぬぬ……」
「別に勝ったからって何も要求しないから大丈夫だって」
何なら、今日の代金は全部俺が持っているくらいだし。
「わかりました、じゃあ、せんぱい、あれやりましょう」
有無を言わせず、プリクラの機械に連れ込まれた。
お互いが写った写真が一枚ずつ増えたから、よかったかもしれない。
* * *
ラウンドワンから出ると、あたりはすっかりまっくらになっていました。
ごはんはどこかで食べて、ケーキを買って帰って、せんぱいのおうちで食べよう、ということになりました。
選んだお店は、和カフェ、みたいなところでした。カフェごはん、みたいな。
ほどほどにおしゃれで、ほどほどにおいしかったです。
せんぱいのおうちに着くと、事情を聞いていたのか、お母さまが紅茶を淹れてくださいました。
せんぱいの部屋で、前みたいにふたりで一枚の毛布に足を入れて、電気を落として、ろうそくをつけて、火を吹き消しました。
「ちょっと遅くなっちゃったけど、誕生日おめでとう。後輩ちゃん」
「ありがとうございます、せんぱい」
* * *
ケーキも食べ終わって、のんびり紅茶を飲んで、時刻は夜の10時です。
「あの、せんぱい」
そろそろ、今日のお礼を言わないといけません。
「その前に。『今日の一問』していいか?」
「はい……」
「今日、楽しかったか?」
まじめな顔して、まじめなこと聞いてくるんだから、せんぱいったら。
「ずるいです」
「え?」
「わたしが、たのしかったです、ありがとうございましたって言おうとしたタイミングで、そういう質問するの、ほんとずるいです」
「はあ……」
「でも、たのしかったのはほんとです」
「そいつはよかった」
「せんぱいにお祝いしてもらって、うれしかったです」
いつもより本音をたくさん言っている気がするのは、夜遅いからということにしておきましょう。
「ありがとうございました」
そんなこんなでお開きの流れになって、別にひとりで帰れます、と言おうとしたのですが。
「ちょっと、慶太? こんな夜遅くに女の子一人で放り出す気? 送ってきなさい!」
せんぱいのお母さまがこんなことをおっしゃって、おうちまで送っていただくことになりました。
星がきれいに見えるくらいに暗い道を、ふたりで並んで歩きます。
「夜に家まで送るからって、彼氏面しないでくださいよ?」
別に、とか、誰が、とか、そういう返事がくると思っていたのですが。
せんぱいの返しは、予想のちょっと斜め上でした。
「まだ、違うからな」
ぼそっと、わたしから視線を逸らして、でもつまることなく、せんぱいは言い切りました。
からかってやろうと思った口はぱくぱくとしか動かず、耳はほんのり熱くなってしまったわたしは、街灯の電球がちょうど切れかけていることを感謝せずにはいられないのでした。
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