第88日「せんぱい、今夜、なにがあるか知ってますか?」
# # #
「せんぱーい、おつかれさまでーす」
昨日に引き続いて、学校から駅へと続く道で、後輩ちゃんが俺に追いついてきた。
今日も1年は2限から、2年は1限から。おかしいだろ……
別に4限までかかってもいいから、朝始める時間を統一してほしい。そうするとあれか。1限から3限に全部が押し込まれてしまうのか。そう考えると、我が校の制度は、まだ、学生への配慮がなされているといえるのかもしれない。
「おつかれさまって割に元気そうだな」
「そうですか?」
「今だって走ってきただろ」
テスト解いたら疲れるし、普通、走る気力なんてなくなってしまう。
……まあ、最終日は終わった開放感があるから走れるけどさ。
「えーだって、頭の疲れと体の疲れって別じゃないですか」
「声だって弾んでるし」
「それは、せんぱいとおはなしできるから……」
それまで元気だった声が、急にボリュームダウンする。斜め後ろの後輩ちゃんをちらっと見ると、耳がほんのり赤くして、俺から視線を逸らしてしまっている。
「そうか……」
とはいえ、恥ずかしがっているであろう彼女をいじって楽しめるほど、俺の気力に余裕はない。普通に俺も恥ずかしいし。誰が好きで自爆テロするっていうんだ。
そういうわけで、少し気まずいような沈黙が、駅に向かって歩くふたりの間に広がってしまった。別にこのままでもいいんだけど、せっかく
「それ、つけてくれてるんだな」
「それは、だって、せんぱいがくれたものですし……」
また目を逸らされてしまった。
「そうか……」
ますます、気まずい、というか、妙な気恥ずかしさを感じるようになってしまった。黙って歩いてるだけなのに。
俺と彼女の無言の行進は、駅の改札を入るまで続いた。
* * *
もー……
最近、ほんとに、みょうに、せんぱいを意識しちゃうんです。なんだか、急にはずかしくなっちゃったり。
ま、せんぱいも、まんざらでもなさそうなので、いいんですけど。ですけど!
……はずかしいものは、はずかしいです。
と。
ちょうどICカードをタッチする音が聞こえたことですし、ここからちゃんと仕切り直しましょう。せっかくいっしょに帰る、というのもあります。
「せんぱい! 電車がきてません!」
「あ、元気良くなった」
にやにや茶化してくるあたり、ほんとにいじわるです。
「わたしはずっと元気ですって」
「はいはい」
「元気なのはほんとです」
「何がほんとじゃないの?」
「電車がこないことです」
わたしがこう言った瞬間、ホームに電車が滑りこんできました。
うまくごまかす、というか、流せたらいいんですけど。
# # #
席は空いているけれど、結局いつもの場所に落ち着く。
「いやー……」
「どうしました?」
「テスト、やっと半分だなあ」
4日間のテスト期間のうち、その半分にあたる2日分が終了した。
あと半分だ。たったの半分。されど半分。
長いようで、短いような。そんな感じがする。
「ですねえ」
俺がテスト勉強の苦しみを思い返してぐぬぬ、となっているというのに、後輩ちゃんは、やっぱり涼しい顔をしている。ずるい……
「1年は科目数も少なくていいよなあ」
「明日は1科目だけなんですよー」
「まじかよ」
「でも、2年生も2科目ですよね?」
期末試験の時間割は全学年に向けて全学年分が張り出されるので、他学年のもチェック可能である。
「まあ、それはそうなんだけどさ……2か1かってだいぶ違うぞ……」
「そんな感じで打ちひしがれてるせんぱいに、『今日の一問』です」
「珍しいな?」
最近、というかここ数日、こんな具合のまともな『今日の一問』が少ないような気がしていたから、ちょっとびっくりしたというか、安心したというか、そんな感じがした。
「せんぱいって、何時頃にテスト勉強終わらせて寝るんですか?」
「まあ明日も1限だしなあ、11時頃?」
明日も計算する系の科目が混じっているから、最低7時間は寝たいところだ。欲を言えば7時間30分とか8時間とか寝たい。
「ふつうですね」
「そりゃ普通だ。徹夜とか冒険しないわ」
「まあわたしもしないんですけど」
「じゃあなんで聞いたし」
後輩ちゃんは、一瞬ぴくっとなったかと思うと、俺にもう一問質問を投げてくる。
「せんぱい、今夜、なにがあるか知ってますか?」
「今夜?」
まさか、冬に花火大会をやるわけでもあるまいし。
「15日近いし、ブルームーンとかじゃないのか」
「15日関係ないじゃないですか」
「いやほら、十五夜的な」
「関係ないです」
馴れ合いというかじゃれ合いというか、とにかくくだらない口論よりも、答えが気になってしまった。
「で、答えは?」
「ああ、えーと、流星群ですよ。流れ星」
「流星群?」
「はい。今日……というか今夜は、ふたご座流星群の極大?、らしいですよ」
「ほー」
星は結構好きだけれど、実は、流星群を狙って見たことはない。
だから、「流星群の極大」と聞いて、ちょっと興味が湧いた。
「『今日の一問』していいか?」
「どうぞ?」
「後輩ちゃんは、流星群見たことあるの?」
「ないです」
即答である。
「今夜は見るの? 明日もテストなのに」
「明日テストだからこそ、ですよ!」
「は?」
「なんか背徳感的なものがあっていいじゃないですか」
「いや、よくないでしょ……」
俺は、はあ、と溜息をついた。
「え、じゃあせんぱいは見ないんですか?」
見な、まで言いかけて、後輩ちゃんの顔を見ると、すごくわくわくした表情をしていた。
まあ、ちょっとくらい、付き合ってやるのもいい、かな。
「勉強終わってから、ちょっとだけなら」
# # #
23時を1分だけ過ぎた頃、机の上のスマホから着信音が鳴り響いた。後輩ちゃんだ。
まあ、勉強はほとんど終わっていることだし、いいか。
ダウンジャケットを羽織りながら、携帯を耳に当てた。
「せんぱーい、ふたご座ってどれですか?」
……ふたご座流星群って、ふたご座見てれば見つかるものでもないんだけどなあ。
後輩ちゃんは、家の庭から夜空を見上げているらしい。
俺もベランダに出てきて、星を探すことにした。
「オリオン座わかるか、オリオン座」
「はい?」
「南東の方に三連星が見えるだろ、その左上と右下に赤と白い星が」
「はいい?」
素人に電話口で星空の見方を伝えるのは、とても難しい。共通の目印がないというのは厄介である。わかってる同士なら一等星を目印にできるんだけど。
ともかく、なんとかオリオン座を見つけさせて、そこからふたご座のカストル・ポルックスへと後輩ちゃんの目を向けさせられたところだ。
外に出てきてから、15分くらいだろうか? そろそろ、流星の一つでも流れてくれれば、彼女と一緒に見られるのに――
いつの間にかそんなことを願い始めていると、視線の先、ふたご座を横切るようにして冬の大三角の方へ向かうように、空を一筋の光が走った。
「あっ!」
流れ星だ、と気がついたのは、電話口の向こうから、後輩ちゃんの叫び声が聞こえた後だった。
「せんぱいせんぱい! 見ました? 流れ星? 見えましたよね?」
「見えたぞ」
大興奮である。
「でも一瞬でしたねえ。あんなのに願い事なんて無理じゃないですか」
「あれはなんか、いつ流れ星を見ても願えるくらい、ずっとそんな願い事を抱えてたらそりゃ叶うだろ、みたいな話だろ」
「夢ないですねえ」
「合理主義と言ってくれ」
「合理すぎです」
実際、願い、叶っちゃったしなあ。
それも、後輩ちゃんと一緒に流れ星を見る、なんていう、とびきりロマンチックな願いが。
こんなの、内緒にしておくしかないじゃんか。
「じゃあ合理主義な俺はもう寝るな。明日テストだし」
「えー、もうですかー?」
「もう、だよ。おやすみ」
「おやすみなさーい」
通話を切った画面の時計は、23時30分を指していた。
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