第87日「あしたも、いっしょに帰ってくれますか?」
# # #
昨日、寝る前に、後輩ちゃんとこんなやり取りをした。
井口慶太 :明日、後輩ちゃん2限からだろ?
まはるん♪:あ、はい。
井口慶太 :俺1限からだから
まはるん♪:しってますよ
井口慶太 :……合わせなくていいからな、時間
だいぶ昔の後輩ちゃんだったら、テスト当日だろうがなんだろうが無理やり俺と時間を合わせてきたんじゃないかと思うけれど。
俺は合わせなかったしなあ、文化祭の時。その時は俺の方が時間が遅かったが、今回は後輩ちゃんの側が1コマ分集合時間が遅いことになる。
ただでさえ俺は割と早めに学校に着くようにしているが、テストの時はさらに1・2本早い電車で行くのだ。
まはるん♪:わたしテストの日にははやめに行く習慣があるんですよ
井口慶太 :奇遇だな?
井口慶太 :俺もだ
まはるん♪:あらまあ
井口慶太 :というか、それが普通では?
まはるん♪:せんぱい、どの電車乗るのかおしえてくださいよ
まはるん♪:こちらもそちらも、むだな労力をさいているよゆうはないですし
いつも同じ時間に学校に着いているふたりが、テストだということで特別に注意して早めに学校に行きます。ただし、ひとりはもうひとりより1時間早くテストが始まるので、それに合わせた時間の電車に乗ります。さて、ふたりが同じ電車に乗車する確率は何%でしょう?
……限りなく低そうだな。
テスト当日に、遅くまで寝ていられるところを無理に早起きさせたくはない。
まあこんなこと正直に言ったら、「どうせ当日勉強しますから!」とか言ってついてくるのは間違いない。だって後輩ちゃんだもん。
だからと言って、「直前の詰め込みをするから相手できない」というのも邪険すぎる。第一、直前の詰め込みはあまり役に立たないものだ。教科書の隅っこで目には入っていたりしても、どうせ覚えられていない。
でも。
彼女に会いたくないのか、と言われたら、会いたいのは事実である。感情的な話ではなく、用事的な意味で、だ。
せっかくなら、当日がいいし。
と、いうことで。ひとまず予定の確認をする。
井口慶太 :よしわかった
井口慶太 :明日は後輩ちゃんも3限までだろ?
まはるん♪:はい
井口慶太 :その後暇でしょ? 勉強以外は
まはるん♪:まあ、はい
* * *
明日の期末試験は、わたし達1年生は2時限めから。つまり、1限には行かなくてもよいのです。
もっとも、行かなくてもよいだけで、早くから行っているぶんにはだいじょうぶだと思いますが。
テストの時はいつもより早めになる、ということで、せんぱいにどの電車に乗るのかを聞いたのですけれど、そうしたらこんな提案をされてしまいました。
井口慶太 :一緒に帰る。これでどうだ?
せんぱいといっしょの電車に乗って学校に行くことはあっても、帰ってくるのはあんまりありませんでした。
しかも、「いつも」を繰り返していただけでしたし。わざわざ約束することはすくなかった、はず、です。
このやりとり、チャットでよかったです。通話だったらだまりこんだり、声が裏がえったりしてたでしょうし、顔もちょっとだけ赤くなっちゃってる気がします。……ちょっとだけです。
井口慶太 :お互い、放課後に用事もないだろうし
わたしが返事をできないでいると、せんぱいのメッセージが追加で画面に浮かび上がりました。
画面の向こうで、せんぱいもあわてちゃってたりするんでしょうか。そうだったら、おもしろいですね。
まはるん♪:わかりました
まはるん♪:駅で待ち合わせしましょう
井口慶太 :ういっす
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テストは、無事に終わった。
いや、まだ終わってないけど。まだあと3日あるけど。もうつかれた。おひるねしたい。
昼飯を食べに行く悠長な奴らを横目に、とっとと教室を出て、駅に向けてすたすた歩く。
歩くスピードを変えたところで、今日は意味ないかもしれないけど。
そんなことを思っていると、後ろからとてとてという足音が聞こえてきた。
「せんぱーい!」
後輩ちゃんだった。
「待ち合わせの必要、なかったな」
「ですね」
ふたりして頭を掻いて、歩き始める。
「時間変わんないし当然か」
「頭回ってなかったですね」
「頭回ってねえしとっとと帰って寝るぞ」
「寝ちゃうんですか……」
テストの手応えなどを話していると、体感ではあっという間に駅に着いた。
「テストはでもやっぱり疲れるよなあ」
「ああ、それはわかります」
珍しく、後輩ちゃんに同意された。
「えっ?」
素直に同意されると思っていなかったので、びっくりしてしまった。
「なんでびっくりするんですか」
「びっくりしたもんはびっくりしたんだよいいだろ」
「いいですけど……」
すごく失礼な言い方をすれば、後輩ちゃんに「頭を使う」というか、「頭を捻る」イメージがあんまりなかったから、なんだけど。
いくら勉強してないとはいえ(勉強してないからこそ、か?)、そりゃあ50分×2の時間、頭を全力稼働させたら疲れるよなあ。
と、大した意味がないことを言い合っていると、電車がやって来た。
朝のラッシュの時間でも、帰宅時間とも違って、車内はがら空きである。
ひとりだったら座るんだけど、どうしようかな……
俺が迷っていると、後輩ちゃんはいつもの場所に収まったので、俺も彼女に合わせて立った。
手すりを掴む。
電車独特のプシューという音を立てて、ドアが閉まる。床が少し傾いたように感じて、電車が発車した。
後輩ちゃんはというと、何かへの期待を瞳の奥に隠して、俺の顔をじっと見ている。
わかったよ。
今しかないよ。そりゃそうだよ。というかあからさまだよ。絶対わかってるでしょ。わかってるからこうやって無言の圧力をかけてきてるんでしょ、後輩ちゃん。
こうなっちゃうと、なんか恥ずかしいなあ……
* * *
「後輩ちゃん」
車内は空いていましたけれど、せっかくなのでいつもの場所でせんぱいと向かい合いました。
せんぱいを凝視していると、せんぱいもこちらに視線をあわせて、名前を呼んできます。
「はい」
「いや、米山ちゃん? よねちゃん?」
「は、はい?」
ひとつ前より、語尾が半オクターブくらいあがってしまいました。
いきなりなんなんですか、もう。ずっと「後輩ちゃん」って呼んでたくせに。
「それとも、『真春ちゃん』の方がいいか?」
せんぱいにこう呼ばれた瞬間、なぜか、心臓がとくん、とはねた気がしました。
顔は赤くなってしまったかもしれません。視線は逸らしてしまいました。動揺が悟られないように、憎まれ口を叩くのが、せいいっぱいです。
「……なんでもいいです」
「じゃあ、後輩ちゃんでいいや。これが慣れてるし」
ちょっと残念です。でも、これ以上呼ばれちゃったら心臓が保たない気もするので、ちょうどよかったかもしれません。
ところでせんぱいは、「慶太くん」とか呼んだら、どんな反応をするんでしょうね? いつか、試してみましょう。
せんぱいはかばんから袋を取り出すと、わたしに差し出して、にっこりして、こう言ってくれました。
「はい。後輩ちゃん、16歳の誕生日おめでとう」
「16歳ですねー。民法上結婚できちゃいますね」
「俺はまだだけどな」
男性は18歳からですね。
そんなことより、ちょっと気になる言い方です。
「ん? 『俺が』って言いました?」
「『俺は』って言った。普通に一般論としてだっつの」
「意識しちゃいました?」
「そりゃこっちのセリフだよ。俺『が』まだ、だったら完全に婚約者じゃないか」
カウンターを食らいそうなので、がんばって話を逸らします。
「あいにく、まだ婚約は受け付けておりませんので」
「初耳だよ」
「今きめましたもん」
「なるほど……」
うまいこと逸れてくれたので、手渡しした時の姿勢のまま放置されていたプレゼントに話を戻しましょう。
「ところで、プレゼント、今日じゃなくていいって言ったじゃないですか」
「いいだろ、別に」
「まあそりゃいいですけど。とにかく、ありがとうございます」
「どういたしまして」
渡された袋を揺らして、せんぱいに確認します。
「開けてもいいですか?」
「もちろん」
テープをはがして袋を開けると、中からは2つの品が出てきました。
1つは小ぶりな箱に入ったクッキーです。おいしそうですね。後でいただきましょう。
そして、もう1つはというと。
「シュシュ、ですか?」
「いかにも」
ほのかな桜色のシュシュが、透明なビニールのパッケージに収められていました。
「せんぱい、シュシュなんて知ってたんですねー」
「髪飾りくらい知っとるわ」
そのようすだと、名前はほんとに知らなかったかもしれないですね。まあ、いいです。
今日はテストだったので、髪の毛はさっとくるりんぱしてきただけ。ちょうどいい、ですね。
# # #
ぺりっとシュシュを取り出して右手首にはめたかと思うと、後輩ちゃんが後頭部に手をやった。
何かと思う間もなく、後輩ちゃんはすすーと、まとめていた髪の毛を解いてしまう。
プレゼントしたシュシュを俺の手のひらに載せて、後輩ちゃんは少し挑発するような口調でこう言う。
「せんぱいのお好きなように、結んでくださいね?」
まるで、結べるもんなら結んでみろ、と言わんばかりに。
彼女はそのままくるんと半回転して、窓の方を向く。艶のある茶色い髪の毛が、俺の前で翻った。
俺、一人っ子なんだけどなあ。女兄弟いないんだけどなあ。何なら、女子の髪の毛触るのとか初めてなんだけどなあ。
髪型……髪型……
まあポニーテールでしょ。どっかのアイドルグループも『ポニーテールとシュシュ』とか歌ってたし。あの瀧くんだってポニーテールは作れてたし。いけるいける。
万が一にも引っ張りすぎないように、やさしく、後ろ側の髪の毛をまとめる。
ここにシュシュをはめればいいんでしょ。それくらいはわかるよ。
んーと……これだとシュシュが落ちるよなあ。一重だと緩すぎる。
二重ならどうだろう。手を離しても、一応落下はしないみたいだ。なんか毛がふわってなっちゃってるから、締め足りないのかなあこれ。
でも、三重にしようとすると、うまく毛が通ってくれない。どうしようこれ。
結べてないわけじゃないし、これでいい……のか?
「どうなってんですか、ただのポニテですよね?」
「俺が聞きたい」
俺が匙を投げると、後輩ちゃんは軽く結び目あたりを触って、状況を確認する。
そのまま直すでもなく、スマホを取り出してご満悦だ。え?
「直さなくていいのか?」
「どうせ家帰って勉強するだけですし」
「そういうもんなの?」
「そういうもんです」
そんなこんなで、プレゼントを渡したり色々していたら、あっという間に家の最寄り駅に着いてしまった。
駅のホーム、改札を出る前に、向かい合って話す。いつもは人がたくさんいるからいいけれど、今の時間帯には閑散としていて、ちょっと変な気分だ。
「改めて。後輩ちゃん、誕生日おめでとう」
「テスト期間中なのに、ありがとうございました」
「いやいや。むしろ雑な感じになっちゃってごめんって感じ」
ぼちぼち帰るかなあ、という感じに改札の方へ歩き出すと、後輩ちゃんはまだ動かない。
「あの、せんぱい。誕生日プレゼントの追加、というか、お願い、というか」
歯切れが妙に悪い。なにこれ。恥ずかしがってるの?
「えっと。『今日の一問』があります」
何聞かれるんだ。今さら恥ずかしいことなんてあんまりないぞ。多分。
「あしたも、いっしょに帰ってくれますか?」
目を逸らして、耳は少し赤くして、後輩ちゃんはこんな『質問』を俺にした。
「返事の前に、俺から『今日の一問』していい?」
「……はい」
「後輩ちゃんは、俺と一緒に帰りたいの?」
絶対に正直に答えなければならない、『今日の一問』である。
憮然として、そして恥ずかしがりながら、彼女はいつもより小さい声で、答えてくれる。
「そりゃ、いっしょがいいですよ……もう、なに言わせるんですかせんぱい」
あんまり恥ずかしがるものだから、こっちまで恥ずかしくなってきてしまう。
だから俺は、定期入れを取り出し、改札の方を向き赤くなってしまった顔が見えないようにして、こう答えたのだった。
「ありがとう。じゃあ、明日も一緒に帰ろうな」
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