第77日「せんぱい、今どこにいるんですか?」

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 12月最初の土曜日。

 いつもの週末と同じく朝からだらだらしている……わけではなく、俺は朝早く(とはいっても9時だけど)から、昨日と同じ、学校へ向かう電車に揺られていた。

 ほんとは布団にくるまって寝てたいんだけれど、もう12月に入ってしまったし、そうも言っていられない。根回し、というか、水面下のやり取り、というか、そういうものをしなければ間に合わなくなってしまう。そんな時期である。

 週末だからか電車はがらがらで、席も空いていたので腰を下ろした。久しぶりに、朝の電車の中で読書をしていると、本当に妙な気分になってくる。コレジャナイ感、とでも言うべきなのだろうか。「いつも」とは違うという、そんな変な感覚を抱えつつ、本を読む。


 妙だったのは気分だけで、読書自体は意外と捗った。


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 学校に到着して、向かったのは教頭室だ。

 普通に慎ましく学校生活を送っていれば足を踏み入れることもない部屋だけれど、素行が良かったり悪かったりすれば結構行く機会はある。俺は生徒会長になる前にも一度だけ呼ばれたことがある。

 まあ、そんなことは置いておいて。生徒側からアポを取るなんてのは、割と稀なケースだろうと思う。


「失礼します。先生と10時にお約束をしています、井口です」


 ノックをして、暖房の効いた部屋の中に入る。あったけえ。


「ああ、井口くん。いきなりどうしたんだい、びっくりしたよ」


 おでこの毛が後退し始めた教頭先生が机の前から立ち上がって、応接スペースっぽいところに来てくれた。下座側に座る。生徒だし。


「一応メールにも書いたんですけれど、ご相談がありまして」


「なんだっけ、あんまり読んでないんだ。今日聞けばいいかなと思って」


 はは、と言って頭をぽりぽり掻く、教頭。まあ生徒からのメールなんて普通は読まないですよねー。忙しそうですもんねー。

 予想はしていたので、落胆を表に出さないようにして、返事をする。


「大丈夫です。えっとですね、校則を、改正したいんです」


「校則? そりゃまたどうして」


 まあそりゃ聞かれるだろうな、という質問が来たので、用意していた通りの答えを返す。


「生徒会長という立場から、校則をじっくりと読み込んだのですけれど、時代錯誤だったり、それはおかしいんじゃないか、という条文がたくさんありまして」


「それで、改正したい、と? 君はそんな公約を掲げていたっけ」


 しょっぱなから痛いところを指摘してくれるんじゃないよ。まったく。


「あー、就任前はあんまり読んでいませんでしたから。でも、こんな校則を放置しておいたら、いつかひどいことになると思うんです」


「ひどいこと」


「ネットで炎上したり、お祭りになったり」


 おじさん世代はネットのことよくわからないだろう、という完全な希望的観測を込めた脅しである。こんなので通っちゃったらちょろすぎる。


「そんな簡単に炎上するもんかね?」


「小さな火種でも大きな炎になってしまうのがインターネットの怖さです。生徒会長として、母校がそんな憂き目に遭う可能性は出来る限り消し去っておきたいのです」


「ほう……」


 あれ、結構いい感じ?


「まあ、とにかく君の話を聞こう。どこが問題なんだね?」


「あ、はい」


 本命は、後に回す。

 とりあえずは、話を進めやすいところからだ。


「まずは、髪型についてですね。第72条、『学生の髪色は全て黒色とする』です。地毛が茶色だったりする人もいたり、外国出身の学生がいたり、そんな場合でもこれを適用するんですか?」


 実際これは、よその学校で大荒れになってたし。


「厳密に適用はしてないじゃないか。さすがに金髪は止めるけれど」


「金髪と茶髪の明確な違いはあるんですか? ヨーロッパにルーツを持つ人で地毛が金色の方なんていくらでもいると思いますけれど」


「日本人で、の話だぞ?」


「理解はしますけれど、そういう言い方は人種差別になりかねないらしいですよ? 面倒な世の中ですね。ということで、改正を推します。改正というか、削除ですね。こんな校則要らないです」


 つかみとしては、いい感じにまとめられた、気がする。


「それは言い過ぎだろう、井口。『金色に染髪することは認めない』くらいでいいんじゃないか」


「あ、それもそうですね」


 詰めが甘かったか。いや、詳しいとこまでは考えてなかったから、ちょうどよかった。


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 うちの学校、探すと結構おかしい校則が出てきた。

 色々、(半分適当に)理由をつけて意見を出して修正されて、最後に本命について切り出す。正直、他は全てカモフラージュだ。これさえ通ればいい。

 そんな態度は表に出ないように、声の調子を変えないように意識する。


「最後ですね。第51条。これもおかしいですよ」


「51か。内容は?」


「『本校の学生同士が男女交際をすることは、これを認めない』。なんかもう色々おかしくないですか?」


「というと?」


 教頭先生、あんまりわかってなかったりするのか、こちらをぐーっと見ている。


「まず、『男女交際』という言葉がダメだと思います。世界全体でみると、いわゆるLGBT、性的マイノリティの比率は7.6%です。13人に1人です。クラスにひとりどころか、3人いてもおかしくないレベルです。このような人たちの心を踏みにじることになるこの条文は、よくないです」


「ちなみに君は?」


「私はいわゆるノーマルですけど、そういう聞き方はよくないらしいですよ」


 あーもう。あんまわかってない。

 これはなかなか、難しそうだ。


「そういう聞き方?」


「LGBTの人たちはあんまり自分の性的指向を表に出していないわけですから。面と向かって聞くのはNGです」


「……難しいんだな」


 人の気持ちが絡むことだしなあ。


「後は単純に時代錯誤なんですよこの校則。男女交際禁止ってもはや意味ないですしこれ適用してないですよね、そしたらいらないですよこんな条文」


「ほう……」


 そういうわけで、微妙な論理武装ではあったけれど、一応話をつける。


「ありがとうございました。それでは、今のお話を元に、生徒会の方で改正案を起草して、先生にお渡しします」


「あ、俺なの」


「はい。先生の方で教員会議にかけていただいて特に問題がないようであれば、年内最後の終業式の一部をお借りして、生徒総会として決議を取りたいと思います。よろしくお願いします」


「生徒総会も必要なのか、大変だな、会長さん」


 先に立ち上がった教頭に、肩を叩かれた。


「頑張ります……失礼します」


 さーて。話はつけた。後は俺(と生徒会の実務担当)が頑張るだけだ。

 教員会議は心配だけど、まあなんとかなると信じてる。


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 時計を見ると、11時を回ったところだった。普段の俺ならまだ寝ている。

 駅に着いて、スマホをいじり始めると、後輩ちゃんからのLINEが届いた。


まはるん♪:せんぱい

まはるん♪:おはようございまーす

井口慶太 :おう、おはよう


 あ。やべ。

 まだ、いつもは起きてない時間なのに、ノータイムで既読をつけて、返信をしてしまった。


まはるん♪:あれ?


 ほらー。気付かれちゃったじゃんか。状況証拠から裏を判断する技術というか思考が彼女はすごいから、こうなったらもう諦めるしかない。


まはるん♪:せんぱい、もう起きてるんですか?

井口慶太 :まあそりゃ、LINEしてる時点で

まはるん♪:そういうことじゃなくて


 うわー。


まはるん♪:あーもういいです。『今日の一問』です

まはるん♪:せんぱい、今どこにいるんですか?


 ひえー。


井口慶太 :学校の最寄り駅


 とはいえ、正直に答えるしかない。


まはるん♪:へー。何するんですか?

井口慶太 :もう帰る

まはるん♪:めっちゃ早起きしたんですね


 土曜日にしては、めっちゃ早起きだったと思う。


まはるん♪:で、なにしてたんですか?

まはるん♪:デートとか?

井口慶太 :相手いねえし


 教頭先生が女の人だったら、デートと言い張れなくもなかったんだけれど。

 あいにく男である。

 そして、何してたか答える義務はないんだ。最初の1問はちゃんと答えたし。


まはるん♪:あら

まはるん♪:わたしがいますよ?

井口慶太 :あのなあ……

まはるん♪:じゃあ、これからデートしましょう

まはるん♪:いいですよね、せんぱい?


 俺が『一問』を使う暇もないまま、集合時間と場所が通告されてきて、会うことになった。

 ……まあ、楽しかった、とだけ。

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