第66日「せんぱいって、ポケットに何入れてるんですか?」

 # # #


 電車に乗って、立って、後輩ちゃんと向かい合う。

 いつも通りのことなんだけれど、それがいつもと同じようにできていることに内心感謝して、でもそれは表には出してやらない。

 だって、ねえ。恥ずかしいじゃん。照れくさいじゃん。


「さむいですねー」


「電車の中は暖かいだろ」


 ドアをくぐった瞬間に、メガネが曇ってしまうくらいには暖かい。


「ドア開いたらさむいです」


「人通らなきゃいけないからな。当たり前だな」


「通り抜けフープ作ってくださいよ」


「どっちにしろ風は通るんじゃねそれ?」


「あー……」


 ぐだぐだと、ぐでぐでと。

 今日も俺たちは元気です。


 * * *


 せんぱいは、今日もすこし眠そうです。いつものことですけど。


「せんぱい?」


「なんだよ」


「眠そうなので手突っ込んでいいですか?」


 わたしの冷え症できんきんに冷えた手を、せんぱいの首筋に当てたいなあって、ただそれだけの話ですけど。

 こないだ急にやっちゃったのは、さすがに反省してます。


「いや、だめでしょ。俺が風邪引くわ」


「じゃあ手貸してください」


「俺の手も冷たいからな? 知ってるだろ」


「じゃあポケット」


「ポケット?」


 せんぱいが、意外そうにこちらを向きます。


「いや、自分のに突っ込めよ」


「いいですから」


 せんぱいのPコートの左側のポケットに右手を、右側のポケットに左手を突っ込むと、せんぱいは身をよじってわたしから逃げようとします。


「近いっつの」


「いいじゃないですか、べつに」


 照れてるんでしょうか、これ。

 1駅くらいの間手を入れていると、なんだかあったかくなったように感じました。


 # # #


 やっとこさ俺の拘束を解いた後輩ちゃんが、手すりにつかまって言う。


「ポケットといえば、『今日の一問』です」


「つながりが見えないけど、まあいい」


「せんぱいって、ポケットに何入れてるんですか?」


 昨日とはえらい落差だなおい。


「コートにはイヤホンくらいだぞ」


 とはいえ、答えようがないし。


「制服の方だと?」


「それでも財布と携帯と、あとハンカチくらい」


 ハンカチが右前、携帯は左前、財布が左後ろのポケットというのが、自分の中での決まりである。


「ふつうというか、想像の範囲内でした」


「そりゃそうだろな。じゃあ俺も『今日の一問』」


 彼女の眼が、いつも質問する時以上に輝いていたような気がしたけれど、質問を止めるほどではなかった。


「後輩ちゃんは、ポケットに何入れてるの?」


 何でもない質問をしただけなのに、後輩ちゃんがにやにやと笑う。


「おい、一応『今日の一問』だからなこれ」


 笑ってないで答えてくれよ、と言った。


「あはは。はい。えーと、何も入れてない、です」


「嘘だろ?」


 考えてみれば、男はだいたい尻のポケットから定期券を取り出しているけど、女はかばんから財布を取り出すことが多いように思える。


「というか、せんぱい、やっぱり知らないんですね」


「知らないって?」


「女の子の服って、ポケットがほとんどないんですよ」


「え、そうなの」


 何それ。はじめて知った。


「ほんとに知らなかったって顔ですね」


「ほんとに知らなかった」


 カルチャーショックを受けている俺に、さらに追撃がやってきた。


「じゃあ、見ますか?」


 おもむろに、後輩ちゃんが、羽織った紺色のダッフルコートのトッグルを外しはじめる。


「あの、何を?」


 コートの前側が開いて、クリーム色のカーディガンがよく見えた。


「何をって……ポケットの有無の確認ですよ」


 ああ。なるほど。


「ほら、こっち側は一応ついてるんですよ」


 カーディガンをちょっと上げて、右足をこっちに出して、後輩ちゃんが右側のポケットを見せてくれる。


「せんぱいも、手、入れてみますか?」


「からかってるだろお前」


 まったく、油断も隙もないんだから。


「はい。でも、ポケットを確認してほしいとも思います」


 ほんとなのかどうなのか、口車に乗せられて、結局後輩ちゃんのスカートの、太ももの前側に手を伸ばした。伸ばすというか、体全体でにじり寄った感じだ。

 ここですよ、と彼女が記事を持ち上げてくれたので、その部分に手を突っ込もう……とした。


 ポケットは小さくて、人差し指と中指しか入らなかった。


「とにかくちっちゃいんですよ。何も入らないですこんなポケット」


 ここまで愚痴ると、後輩ちゃんがカーディガンを上げたままぐるりと一回転する。

 服ではなく、髪の毛がふわりと揺れる方の様子に目が行ってしまった。


「そして他にポケットはなし、と。せんぱい、わかりましたか?」


 まあ、あることの確認じゃなくて、ないことの確認だから、大丈夫だろう。


「うん、たぶん」


 男でよかったなと、こういう時ばかりは思ってしまう。ポケットが使えない生活なんて、不便で不便でたまらないだろう。俺なら、おそらく耐えられまい。


「どうですか、男の人的には。ポケットってやっぱり便利なんですか?」


「便利なんじゃね、やっぱり」


 結局、学校の最寄り駅に着くまで、ポケットについて語っていた。

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