第62日「もし俺が何も言わなかったら、後輩ちゃんはどうなるの?」

 # # #


 後輩ちゃんに、あんなことを言われてしまった翌日。

 皮肉なのかわからないが、空はとてもきれいに晴れていた。晩秋の弱い日差しが照らす中、冷たい風を切って、自転車を漕ぎながら今日のことを考える。


「わたしが、他の男の人から告白されたとき、せんぱいは、どうしてくれますか?」


 ずっと、昨日の後輩ちゃんの言葉が、頭の中をぐるぐるとしていた。


 俺は、彼女にとって、何なのか。

 俺は、彼女に何ができるのか。

 俺が、彼女に対して、するべきことは何か。

 まだ、例の「お願い」すら果たせていないのに。


 そんなことを、昨日から考えていたし、今でも考えている。

 考えていると、いつも通りにすぐに駅近くの駐輪場へと着いてしまう。入り口のおじさんに挨拶をして、自転車を停めて、鍵をかけて。ひとつ動作が完了するたびに、否応なしに後輩ちゃんと会う時間が近づいてくる。

 心臓の鼓動を感じる。自転車から降りてしばらく経っても、まだ息が荒い。俺も、こんなことで緊張するんだなあと、ひとごとのように思った。


「おはようございます、せんぱい」


 改札をくぐると、すぐに彼女は見つかった。もしかしたら、彼女に見つかった、と言った方が適切かもしれないけれど。

 いつもの場所で、いつもの格好で、でも、彼女のまとう雰囲気だけがいつもと違った。両足でしっかりと立ち、ふたつの眼はしっかりと俺の方を見ていた。


「ああ、おはよう」


 今まで通りじゃなくて、これからのふたりの関係を、どうしていきたいのか。どう変えていきたいのか。もっと発達させたいのか、それともこんな馴れ合いはもうやめるべきなのか。

 俺が「決めろ」と。そう言われた気がした。


 # # #


 電車に乗った。

 いつもの場所で、でもふだんと違ってよっかかったりはせずに、しっかりと向かい合った。

 考え方によっては、久しぶりの真剣勝負になるかもしれない。むしろ楽しむくらいの勢いで、でも、ちゃんと話そうと心に誓った。


「はい。それじゃあ、せんぱいの『答え』教えてください」


 返事は、もう決めていた。


「まだ出てないんだな、それが」


 答えは、まだ決まってないけど。


「は?」


 後輩ちゃんが、何が起こったのかわからないという具合に、口をぱくぱくとさせている。

 うん。こういう反応を待ってた。


「あの、せんぱい。状況わかってます? わたし」


「うん、だからこれから決める。情報をちょうだい」


 さすがに、LINEで聞くのは嫌だったからな。やっぱりこういうのは顔と顔を突き合わせて話すものだと思う。


「『今日の一問』。もし俺が何も言わなかったら、後輩ちゃんはどうなるの?」


「そう聞いてる時点で介入にはなってると思うんですけどね」


 あー。なに。俺が後輩ちゃんのことを気にしていることが後輩ちゃんにバレるというか、明確になるって? いやいや。今さらすぎるでしょ。さすがに透けてるでしょ。


「そういうことじゃなくて」


「せんぱい、何もしてくれないんですか?」


「あー、もう、だから……」


 聞き方が悪かったか?


「じゃあ質問を変えよう。もし俺が何も言わなくて、それで後輩ちゃんがもしそのクラスメイトからの告白をOKしたら、だ」


「はい」


「お前はどうなる?」


「さあ。その人と付き合うことになるんじゃないですか」


 そうなんだよな。


「じゃあ、俺たちの関係は?」


 もしそうなったら、この、ぐだぐだになることもあるけれど、朝と週末限定の道連れというか、なんだかんだ一緒にいることの方が多い、俺と後輩ちゃんとの関係は、どう変わっていくんだ?


「うーん……」


 後輩ちゃんがあごのところに指を持っていって、考えるポーズをとる。


「あの人はそんなに束縛は強くないと思うので、案外変わらないかもですよ?」


 まあ、この路線使ってるのなんて俺と後輩ちゃんだけみたいなもんだしな。通学のところが変わる心配はしなくていいのかもしれない。


「あの人て。束縛って」


「女の子の情報網ですよ」


「こっわ」


 俺はどう評価されてるんだろうな。その情報網とやらで。


 まあ、そんなことはどうでもいい。今は目の前の後輩ちゃんとのことだ。

 よしんば平日の朝の通学が変わらなかったとしても、休日にいきなりどこかへ連れ出されるみたいなことはなくなるだろうし、寝る前のLINEも(まだ一度しか飛んできてないけど)送り先が変わってしまうだろう。

 うーん。

 今までそこにあったものがなくなってしまうというのは、寂しくなってしまいそうな感じがする。


「うん、わかった。じゃあ、昨日の後輩ちゃんの『質問』に答えるわ」


 もう少し、この曖昧な関係を続けていたい。友達でも、親友でも、まして恋人でもなく、断じて「先輩と後輩」なんて言葉では言い表せないような、このぬるま湯みたいな関係が心地良いのは確かなんだ。

 俺は俺で、ゴールというか終点というか、とにかくひとつ、決めてはいるのだ。ここまでには、この日までにはこうしようって。そのためには、その何日か前までに、後輩ちゃんからの「お願い」を叶えなければならないところまで、考えてある。


 無粋な闖入者に、俺と彼女との関係が引き裂かれるのは嫌だと思った。

 勝手に早送りされてしまうことすら、嫌だと思った。


 すこしずつ、すこしずつ。それこそ、1日1問ずつくらいのペースで歩み寄っていくのが、俺たちには合っていると思っている。

 だから――揺れる電車の中、手すりを支えにして後輩ちゃんの方を向いて、「クズ」と言われてもおかしくないようなセリフに万感の気持ちを込めた。


「俺のこと、待っててくれないか? 校則変えろってのもまだできてないし」


 後輩ちゃんがうつむいて、ひとつ大きなため息をつく。


「まったく。いつまで待たせる気ですか?」


 肺の空気を空にしてから顔を上げた後輩ちゃんは、ほのかに笑みを浮かべていた。


「ほんと、せんぱいなんですから」


 少なくとも、失望されたわけではないようだ。


 こうなったら、後輩ちゃんに宣言せざるを得ない。

 えーと。終業式は12月22日で、23日の天皇誕生日以降は冬休みだよな。そうなっちゃうと会う機会も減るだろうし。

 そういや、後輩ちゃんの誕生日も近かった気がする。12日だっけ? ほんとはここまでにできれば一番いいんだろうけど、ちょっと厳しいかな。


 だから、終業式までに、ぜんぶ終わらせよう。


「年内。年内に、ぜんぶカタをつけてやるから、待ってろ」


「わかりました。待っててあげますよ、せんぱいのこと」

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