第58日「せんぱい、体に不安を抱えているところってありますか?」

 # # #


「月曜日ですね! おはようございます!」


 朝早く、寒風吹きすさぶ晩秋の駅で、後輩ちゃんが笑顔を向けてくる。


「なあ、なんでそんなに嬉しそうなの?」


 こっちは眠いんだよ。ああもう。

 最近は特に寒いから、布団から出るのが辛くて辛くて。


「せんぱいに、会いたかったから……」


 伏し目がちになって、胸元でぐっと小さな拳を握り込んで声を絞り出す後輩ちゃんにどきっとしてしまう。

 眠気が一瞬で吹き飛んで、思考がクリアになって、同時に気づく。

 どう見ても演技です。はい。


「嘘つけ。昨日も会っただろうが」


「なーんて。せんぱいが眠そうにしてるの見るの、面白いんですよ」


 この答えが本心である保証もないけれど、とにかく、割と斜め上を行く返事だった。

 何それ。人が眠そうにしてる様子って、どういうこと?


「って、起きちゃったんですね。なーんだ」


「俺はおもちゃか」


「わたしの趣味、人間観察ですからね」


 そんなこと、確かに、言ってたね。


 * * *


 せんぱいは、朝、たまにとても眠そうにしている時があります。月曜日は確率が低いですけれど。週の後半になるほど、確率が高くなっていきます。

 そんなときに、わたしが話をせずにだまっていると、まぶたがすーっと閉じていくのです。よく見ると、目のまわりの筋肉は開こうとしているのに、まぶたのシャッターだけが降りていきます。

 ときどき、くわっと目を見開いて、そのまま5秒くらいは維持できるのですけれど、また眠気に負けて上下のまぶたがくっついてしまったりもしています。

 ふだんは強気なせんぱいですけれど、睡魔に負けそうになって目を閉じている顔は安らかで、ギャップがおもしろいんです。


 今日は駅のホームの時点でもう眠そうだったので、そんな様子が見られるかな? とも思ったのですけれど、しっかりはっきり目が覚めてしまったようです。見れなくて残念ですけれど、おはなしができるので帳消しですね。

 それじゃあ、もう少しはっきり、起きてもらいましょうか。


「ていっ!」


 せんぱいの首筋、ブレザーの下、シャツと素肌の隙間に、手を伸ばして、突っ込みました。

 びくん、と細い体が跳ねて、せんぱいが身をよじりました。


「ちょ、何すんだよ! 冷たいわ、おい」


「せんぱいは、あったかいですね」


「そりゃ手先よりは暖かいだろうな」


 ああまだ寒いわと、せんぱいが悪態をつきます。

 謝ったりなんて、しないですけれど。


「冷え性じゃないのか、それ。さすがに冷たすぎるだろ」


 電車の中は暖かいのに、なかなかその暖かさが爪先の方まで伝わってこないです。


「せんぱいはどうなんですか、そんなこと言うなら」


「俺も、わりと冷え性気味だけど」


「ほんとですか?」


 はい、と両手を上に向けて、せんぱいの方に突き出しました。


「なにこれ」


「察してください」


「あのなあ……」


 せんぱいは文句を言いつつも、わたしの冷えきった手のひらを、上から大きな手で包みこんでくれました。

 わたしとせんぱいが、2本の腕の橋でつながります。


「……冷たいですね?」


 ほとんど同じ温度でした。

 もしかしたら、わたしの手の方が少しだけあたたかいかもしれないレベルです。


「痩せてるしな」


「手が冷たい人の……」


「心は温かい、だったか? そしたら俺たちはあれだな。ほかほかだな」


「ほかほか、ですか」


 心に「ほかほか」っていう表現を使うことってなかなかないですよね。お弁当じゃないんですから。


「ポケットに手入れると少しはマシなんだけどな」


「そこは手袋しましょうよ」


「スマホ使う時面倒じゃん」


「まあ、そうですけど」


 とにかく、せんぱいも冷え性みたいです。おそろいですね。


 # # #


 いきなり冷え性トークになった。

 後輩ちゃんに手を突っ込まれた瞬間、心臓麻痺になるかと思った。冷たさと、あとはびっくりとで。何するんだよほんとに。手の小ささも、やわらかさも、感じる余裕がないまま身をよじっていて、気がついたら手は元の場所に戻っていた。


「ところで、『今日の一問』使っちゃいましょうか」


「軽いな?」


「質問は割と重いですよ」


「え」


「せんぱい、冷え性以外に、体に不安を抱えているところってありますか?」


 不安て。そもそも冷え性は「不安」で片付けていいのか?

 まあ、心当たりがないこともない。


「んー、花粉症」


「春ですか」


「スギはまだ寒いうちに飛ぶじゃん」


 2月とか、3月とか。


「そうみたいですね」


「なにその他人事みたいな」


「実際、ひとごとなんですもん」


 あー。花粉症じゃないタイプの人か。いいなあ。


「後輩ちゃんこそ、何か病気持ちだったりするの?」


「よくぞ聞いてくれました。でもわたし、至って健康なんですよ」


「おい」


「それこそ、冷え性くらいですよ。困ってるのは」


 健康ってのは、それだけでうらやましいなあ。

 世間からすれば、俺も十分健康な方だとは思うけれど。


「困るか? 冷え性」


 あまり困った記憶がない。


「寝るときとかめっちゃ寒くないですか」


「布団かぶればいいじゃん」


「それでもあたたまらないから冷え性なんじゃないですか」


「え?」


 いや、ふつうに寝れるでしょ。


「せんぱい、それはエセ冷え性です。本当の冷え性の苦しみを知るべきです」


「俺の冷え性加減なめんなよ? 健康診断の採血で、細い血管が縮こまりすぎて危うくやり直し食らうところだったんだからな」


 ストーブも置いてない寒い廊下で長い時間待たされて、温まる暇もなく注射針を刺される感じだったので、血行が悪いままだったらしい。通常ならすぐにいっぱいになるはずのシリンジに、血液が半分くらいしか流れ出さなかった。


「あ、わたしもそうなりかけたことあります」


「まじかよ……」


 お互い、割と重症みたいだ。


「せんぱいこそ、夜眠れます?」


「ぽかぽかするまでスマホいじってればいいんだよ」


「ふーん」


 俺に向けられたのは、何度も見た覚えのある、後輩ちゃんが狙いを定めた目だった。


「じゃあ、せんぱい。今度わたしが眠れない時はラインしますから、つきあってください」


「え?」


「せんぱいも眠れない。わたしも眠れない。お互い冷え性。時間は、あたたまって眠れそうになるまで。いいですか?」

 

 どうせ、拒否権はないのだ。放っておいたところで、こいつは間違いなくメッセージを飛ばしてくる。


「……おう」


 今度は寝る前の時間まで、後輩ちゃんに染められて、占められてしまうみたいだ。

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