第57日「わたしは、ここに何を見に来たでしょう?」
* * *
日曜日。
「にちようび」って、漢字にすると回文みたいになるんだな。「西葛西」みたいだ。
今日は朝から後輩ちゃんに呼び出されて、電車に乗っている。
いつもと違う方面へ行く電車で、週末だからか空いている車内で、いつもと同じ場所に立つのもおかしい気がして。
結局、長椅子にふたりで並んで座った。
「なあ」
うう。まだ微妙に眠い。やっぱり週末は昼まで寝るべきなんだよ。
「なんですか、せんぱい」
左の後輩ちゃんがこちらを向く。長い髪が揺れて、ふわっとした香りが漂った。
「我々はどこへ行くのか」
「我々は何者か」
「我々はどこから来たのか」
「……家ですね」
「そういうゴーギャン的なことを聞いてるわけじゃないんだって」
なぜか、高校生クイズの答えになってそうな絵の話になっていた。それにしてもこのタイトル、哲学的だよなあ。自問自答してるだけで夜が明けるよ。
というか、後輩ちゃんが文化祭に出す絵の取材、みたいな流れだったよな。ほんとにどこ行くんだ。
「『今日の一問』。俺たち、これからどこ行くの?」
「海の方です」
「今、秋だよ? というかそろそろ冬だよ?」
海水浴なんてしたら、心臓麻痺で死ぬわ。
「いやいや、水着とか持ってきてるわけじゃないですし。それともせんぱい、わたしの水着が見たいんですか?」
「ぐっ……」
見たくないと言えば、嘘になる。
「まあ、それは置いておきましょう」
こら。人を弄ぶんじゃない。
「海の方に行くんですよ、海の方」
「寿司を食べに行く」
「交通費の分で高いのが食べられますね」
「釣りしに行く」
「嫌ですよ、寒いのに」
俺も嫌だ。防寒具とか、持ってきてないし。
「じゃあ何だ?」
「もー、察しが悪いですね。水族館ですよ、水族館」
あー、そんな施設もあったね。
「それが、取材?」
「はい」
んー、こっち方面の水族館ってどこがあったっけ。
「遠いよな」
「確か、1時間ちょっとかかります」
せっかく座っているし、空いているし。今なら集中できそうだ。
「なあ、本読んでいいか?」
彼女は、ため息をひとつついた。
「……どうぞ」
* * *
せんぱいが読書をしているので、わたしはスマホをいじっていましたが、飽きてきちゃいました。
なんだかんだ、向かい合わせでなく隣に座るなんて、レアな気がするのですけれど。せんぱいにそんな意識はないんでしょうか。
このまま何事もなく到着してしまうのもつまらないので、ちょっとしたいたずらをしてみることにします。
スマホの画面をロックして、手に握ったまま目をつぶって、体の力を抜きます。
さすがにすぐだと不自然なので、3分くらい経ったあと。
せんぱいの肩にこめかみのあたりをのせるように、もたれかかりました。
「デートの途中で眠り込んでしまった女の子」ってところでしょうか。まだ朝ですけど。
「おい」
ほんのすこしだけ目を開けると、せんぱいの持つ本のページがめくられるのが見えました。
まだ読んでるんですね。ほんと、本が好きなんですから。
「おい、起きろ」
反応しちゃったら、だめです。
「……えー、ほんとに寝てんのか。マジで?」
せんぱいのひとりごとが、近くで聞こえてきます。
「んー」
ぱたん、という音がしました。本を閉じたのでしょうか。
その、次の瞬間。
肩で触れ合っているせんぱいが少し身じろぎしたように感じて、頭がぞくっと、ふわっとしました。
せんぱいが右手を伸ばして、わたしの頭をやさしくなでているみたいです。
「やっぱり、髪の毛やわらかいな……」
なにしてるんですか。
そして、なに言ってるんですか。
そんな文句を言ってしまうと、たぬき寝入りがバレてしまうので、ぜったいに言えませんけれど。
耳が熱くなっていることがせんぱいに気付かれないことを祈りながら、わたしは寝たふりを続けたのでした。
* * *
「着きましたね」
「遠かったな」
水族館の入場ゲートの前に、たどり着きました。
大きなクジラの模型があって、家族連れが写真を撮っています。
「さて。『今日の一問』です。わたしは、ここに何を見に来たでしょう?」
「それただのクイズじゃんかよ」
「ただのクイズじゃないですって」
覚えてますか?
わたし達が話すようになってまだすぐの頃の、会話の内容を。
「は? え? どういうこと?」
「記憶力クイズです」
「記憶力? だいぶ前……つっても、2ヶ月くらい前の話ってことでいいのか?」
「今日はちなみに57日目ですよ」
「57って、あれじゃん。素数だね」
え?
5+7で12。12は3の倍数なので、めっちゃ3で割り切れますけれど。
「『57という素数がありますね。これには、3と19という約数を持つという特徴があります』って」
「意味わかんないです」
「えらい数学者が言ったらしいよ。グロなんちゃらさん、だったかな」
# # #
「へー。それで、せんぱい。思い出す時間は稼げましたか?」
ばれてーら。
そして、何も思い出せない。
「まったくわかりません」
「しかたないですね。行きましょう」
おい。答え教えてくれないのかよ。
ペアチケットを持っている後輩ちゃんの後を、慌てて追いかける。
「水族館」といえば、どちらかというと薄暗い部屋が多いイメージがあると思う。
この水族館も例外ではなく、少し暗めの展示室が連なっている。
水族館で、絵で描けそうで、映えるもの。なんだろうな。
イルカのショーの案内があった。後輩ちゃんは、見向きもしなかった。
大きな水槽を、大きなサメやエイが泳ぐ展示があった。後輩ちゃんは、やっぱり見向きもしなかった。
そして。カラフルな熱帯魚が入っている水槽の前で止まって、後輩ちゃんはスマホを取り出した。
「ここです。ここ」
水槽の横の案内を見ると、チョウチョウウオだの、キンチャクダイだの、よくわからない名前で、明るい色のついた魚がいっぱい入っているのがわかる。
絵にするなら、やっぱりこういうきれいな魚なのか。でもこれだと、どうして俺に当てさせようとしたのかがわからない。
後輩ちゃんはというと、スマホのカメラを起動して、ガラスに押し付けていた。
そのレンズの先には、黄色がかった白の、トゲがいっぱいついた魚がいた。
和名を、「ハリセンボン」という。
思い出した。
後輩ちゃんと出会ってすぐの頃、彼女が美術部の部員だと聞いて、軽く「今度絵を見せてくれ」みたいなお願いをした。
そのときに、何の気なしに「ハリセンボンの絵でもいいぞ?」みたいなことを言った。確か、約束がどうのこうので針千本飲ます飲まさない的な話が出ていたからだったと思うが。
「お前、あんなの覚えてたのか」
「せんぱいこそ、思い出したんですね。何よりです」
正直、わりと適当な発言だったんだけれど。
敬意はともかく、俺の提案みたいなものに乗って、1枚のイラストを仕上げてくれる(予定)というのは、それだけで嬉しい。
「ありがとうな」
水槽の隅に向かってぼそっと呟いた言葉は、ハリセンボンを観察する後輩ちゃんの耳にしっかり届いたようだった。
「いえいえ。再来週の文化祭、期待しててくださいね?」
その事実が恥ずかしくて、ついつい、憎まれ口を叩いてしまう。
「描き終わるといいな」
「えー、ひどいですせんぱい」
「心外な。こっちは本心から心配してるんだぞ」
「その割には棒読みでしたね」
「ほら、さっさと帰るぞ。作業しないといけないんだろ?」
「なーに言ってるんですか。デートはこれからですよ、せんぱい?」
振り返った彼女は、熱帯魚の泳ぎ回る中でひときわ輝いて見えて。
もう、何も言えなかった。
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