第56日「ポッキーゲームって、やったこと、ありますか?」

 # # #


 あんなことを考えていたから、昨日はなかなか寝付けなかった。

 布団に入ってから意識が落ちるまで、1時間はかかっただろうか。悶々としていた。

 ……さすがに、夢に出てくるようなことはなかったけれど。そこまでいってしまったら、本格的にまずいと思う。何がとは言わないが。


 寝付けなかった上に、午前中のうちにスマホのアラームに起こされて、自分で自分を殴りたくなった。

 別に、あいつ後輩ちゃんから呼び出しがあったわけじゃない。どこかに行く用事があるわけでもない。

 ただ、11月11日の、午前11時11分11秒をきっちり認識して、その瞬間に何かアクションを起こしたくなってしまった。それだけで、休日だというのに朝の10時に目覚ましをかけたのである。

 1が揃うというだけで、これだけわくわくしてしまうのだから、俺もまだ子供だなあなどと思ってしまう。


 昨日の俺は子供だったよ。本当に。朝起きるのがこんなにつらいことも把握してなかったんだから。

 でも、ここで諦めてしまったら、ダメだ。QOS(クオリティー・オブ・スリープ)が目覚ましによって下がってしまう上に、予定していた行動が取れなくなる。どっちつかずは、良くない。

 意を決して起き上がって、リビングに出ていく。

 母親がびっくりした顔で、声をかけてきた。


「あら珍しい。お出かけ?」


「違うよ」


「なんかあるんでしょ。白状しなさい」


「いや、本当に今日は何もないって」


 ほんと~? とじろじろ見てくるが、無視して適当に朝ごはんを食べた。


「じゃあ今日は家にいるのね」


「うん」


「真春ちゃんに報告しておくわ」


「ぶっ」


 さらっと衝撃的なことを言われて、口に含んだコーヒーを吹き出しそうになった。


「あの、今、何と?」


「真春ちゃんって言ったわよ。いいじゃない別に」


 もしかしなくても、後輩ちゃんです。米山真春ちゃんですね。本当にありがとうございました。

 どうせ、あいつのことだ。人当たりのいいような感じを出して、俺の行動を教えてもらっているんだろう。何してんのさ、本当に。


「はい……」


「お昼は? ひとり分で大丈夫?」


 どうしてあいつが来るかも、みたいな話になってるんだよ。


「ひとりで十分だよ」


「もー、恥ずかしがらなくていいのに」


「そういう話じゃないって。今日は別に約束してないし」


「じゃあ明日はお出かけなのね。行ってらっしゃい」


 こう言って、母親は洗濯をしに消えていった。

 何で知ってるのさ。母の勘なのか、それともあいつからのリークなのか。


 時計を見ると、そろそろ11時を回りそうだ。

 儀式の、準備をしよう。


 買っておいたスナック菓子を机の上にいい感じに並べて、スマホのアプリで、いい感じの写真を撮った。

 Twitterを立ち上げて、文章を打ち込んだ。

 パソコンでは正確な時間を表示するサイトにアクセスした。

 11時11分11秒が、もうすぐやってくる。

 せっかく準備をしたからか、こんなくだらないことでも、わくわくしてくる。


 あと、10分。

 Twitterをぼーっと眺めている。


 あと、1分。

 時計をじーっと見ている。


 あと、10秒。9……8……

 ぴったり合わせた時刻にツイートしようと思っていた俺の意識を逸らしたのは、インターホンから鳴る音だった。


「慶太ー、出なさい!」


 母親の声にも、注意が持っていかれる。


「あー、はいはい」


 11時11分の10秒だか11秒だか12秒になっちゃったかはわからないけれど、とにかく「ポッキー&プリッツの日おめでとう!」という旨のツイートをして、俺は席を立った。


 * * *


 せっかく口実があるので、せんぱいのおうちに来てしまいました。

 自転車から降りると、スマホに通知が届いていました。お母さまからのメッセージです。ふむふむ。せんぱい、今日は一日中家にいる予定らしいです。問題ないですね。


 かごの中には、途中寄ったコンビニで買ったお菓子が入っています。

 だらだらしていると、どうしてもおなかが空いてきちゃいますからね。糖分の補給はだいじです。

 今日は、ポッキーを売ろうと店員さんが必死だったので、それをメインで買ってきました。


 インターホンを押すと、ピンポーンというおなじみの音が聞こえてきます。

 しばらくして、スピーカーから声が聞こえてきます。


「はい、どちらさま……って、お前かよ。いいとこだったのに」


 せんぱいでした。


「どうして来た」


「説明するので、入れてください」


 せんぱいは意外とあっさりと、ドアを開けてくれました。


 # # #


「『今日の一問』だ。何しに来た」


 のっけから先制攻撃だ。明日、出かける約束はしてやったのに、今日はどうしてやってきた。


「遊びに来ました。せんぱいで」


「『で』なの?」


 せめて、「と」にしてくれよ。


「ざんねんながら、『で』ですね」


 そうか。

 そんな残酷なことを、ぺろっと舌を出して言う後輩ちゃんの手を見ると、レジ袋を提げていた。中に、赤い箱が透けて見える。


「そりゃ残念だ」


 俺の部屋に入って、出しておいたクッションに腰をおろした後輩ちゃんが、しみじみと言う。


「しかし、相変わらず本ばっかりですねー。他にやることないんですか?」


「勉強とか」


「本じゃないですか。教科書とか問題集とか」


「え、教科書と本って別物じゃない?」


「書って言ってますよ」


「うーん……」


 注釈ついてたり、色々魔改造されてたり、要らない「やってみよう」みたいなのがついていたりするからか、あんまり俺は教科書を「本」と意識することはない。


「まあそんなことどうでもいいんですけどね」


「おい」


 後輩ちゃんが、レジ袋から、赤い箱を取り出した。


「せんぱい、今日が何の日か知ってますか?」


 意地でも答えてやらないからな。さっきな、11月11日にまつわるツイートしようとした時に予習済みなんだよ。


「鮭の日」


「は?」


「十一十一って2つをつなげると、つくりの部分になるから」


「へー」


「あと、チンアナゴの日」


「あ、それ知ってます。あの砂に入ってるのですよね」


「そうそう。1111って並んだ感じがそれっぽく見えるからって」


「なるほどー」


 まだまだあるぞ。


「もやしの日、麺の日、いただきますの日、豚まんの日……」


 全部、「1111」と関連しているらしい。


「あーもう、ぜったい知ってますよね? 言う気がないならわたしから言いますよ。きょうはポッキーの日です」


「ダウト!」


 あ、ついついツッコんでしまった。まあいいか。


「今日、11月11日はポッキーの日じゃないからな。一応言っておくが」


「え? コンビニにポッキーの日って書いてありましたよ」


「違うんだよ。今日はな、『ポッキー&プリッツの日』なんだ」


 緑色のパッケージの子のことも、忘れないであげてください。


「いいじゃないですか、どうせ食べるのはポッキーなんだから」


「プリッツだってサラダ味とかおいしいだろ、いい加減にしろ」


「訂正します。『どうせこれから食べるのはポッキーなんだから』」


 まあ、「Pocky」って書いた赤い箱が出てきた時点で、そんなことはわかってるけれど。

 俺の机の引き出しの中にも、赤と緑と、両方の箱入ってるし。


「おやつには早くねえか」


「10時のおやつですよ、いいんですそこは。それより、『今日の一問』です。せんぱい」


 さっき「何の日?」って聞く時に使えばいいのにと思っていたけれど、温存していたのか。


「せんぱい、その……ポッキーゲームって、やったこと、ありますか?」


 聞いてくるんじゃないかと、うすうすは思っていた。11月11日といえばポッキー、ポッキーといえばポッキーゲーム。

 古今……かはともかく、東西……も釈然としないが、とにかく、現代日本においてはベタなネタである。


 一本のポッキーの両端をふたりで咥えて、少しずつ食べ進めていき、唇が触れないギリギリを攻めるゲームである。

 もちろん、やったことはない。


 そんな関係の相手はいなかったし、同性でそんなバカをやるような相手もいない。


「ないけど?」


「奇遇ですね。わたしもないんですよ」


 彼女はそう言いながら、赤い箱をべりっと開けた。

 中のアルミのパッケージから1本をつまみとって、タバコみたいに人差し指と中指で挟んで、口もとに持っていく。


「だから――やってみませんか?」


 ポッキーの、チョコのついていない方の側をくわえて、俺の方に顔を近付けてくる。

 目と鼻の先で、黒いチョコレートのコーティングされた細い棒が、後輩ちゃんの呼吸とともに、ゆらゆらとしている。


「……負けねえからな」


 そう言って、ポッキーを口に含む。チョコの香りが口いっぱいに広がる。


 目の前の後輩ちゃんと目配せをして、お互い、ぽりぽりと、ポッキーをかじり始めた。

 ところで。

 これ、勝敗って、どうやって決めるんだ?


 最初は10cmくらいあったお互いの唇の距離が、7cmになり、5cmになって。

 唇より前に触れたのは、鼻だった。

 ふたりともポッキーに集中していたからか、全くノーマークの刺激にびくんとなってしまい、両端からかじられたポッキーは、床をころころと転がっていった。


「落ちちゃいましたね」


「ああ」


「どっちが先でした?」


 鼻が、熱い。鼻血が出そうだ。


「今のは同時だろ」


「そうですね」


「じゃあ、決着つけましょう」


「鼻ぶつかるから、顔傾けないといけないんだな」


「そうですね」


 今度は、俺がビスケットの方をくわえた。

 無心で食べ進める。チョコの味がするようになって目を開くと、後輩ちゃんの顔が目の前にある。

 眼。まつげ。鼻。頬。唇。どこを見てもぷるぷるで、つやつやとしていて、美人というか、かわいい。

 そんなかわいい顔が近づいてきて、近づいてきて、もっと近づいてきて。


 止まった。


 互いの唇の距離は、1cmくらいだろうか? 5mm? もはや、俺達からは判断がつかない。

 ちょっとでも、どちらかが、前後に動いてしまったら、その瞬間に距離がゼロになってしまうだろう。

 というか、止まったということは、俺が食べるのをやめて、後輩ちゃんも食べるのをやめているということか。


 彼女の顔を見る。

 耳まで真っ赤になって、こっちを睨んでいる。声をつけるなら、「はやく離してくださいよ、せんぱい!」ってとこだろうか。

 こっちにだって、意地ってもんがある。負けないって言った以上は、負けない。


 後戻りはできないから、現状維持に意識を割く。

 できるだけ呼吸で体が動かないようにして、後輩ちゃんの動きもよく観察して。


「ちょっと慶太ー?」


 また、ポッキーが転がった。


「真春ちゃん来たならちゃんと教えてよ、お茶出せないじゃない」


 ふたたび俺の意識を逸らしたのは、やっぱり母親の声だった。


「お茶、いらない」


 部屋の外に、怒鳴った。


「あら、そう?」


 噛む回数が多いのだ。唾液は十分。そんなことより、決着だ。


「今のも引き分けですね」


「ああ、今度こそ」


 みたび、後輩ちゃんがポッキーをくわえる。


 結局、俺たちは、母親が昼ごはんに呼びにくるまで、決着のつかないポッキーゲームを繰り返していた。

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