第55日「せんぱいって、絵を見るのは好きですか?」

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 11月も、今日で3分の1が過ぎてゆく。眠い目をこすりながら、今日もいつものように


 ところで、「◯◯の秋」シリーズのうち、昨日は話に上がらなかったものが、ひとつあった。

 「芸術の秋」である。

 美術館とかがここぞとばかりに宣伝して、客を集めようとしているけれど、キャンペーンの効果はどれくらいあるんだろうか。


 そんなことを頭の隅で転がしつつ、目の前の、美術部幽霊部員である後輩ちゃんに聞いた。


「なあ。『今日の一問』なんだけど。結局、文化祭って何やることになったんだ?」


 日程を確認したら、文化祭が行われるのは意外と先だった。今月の最後、25日・26日の週末だ。

 その存在に気付いた日に、後輩ちゃんがうちの教室にやってきて一悶着があったのだけれど、それは置いておいて。


「絵を描くことになりました」


 まあ、そりゃそうだ。美術部の展示で、一番ベターというか、素直に連想されてくるのは、絵だろう。


「間に合うのか?」


 油絵とかでまともなものは、最低でも数ヶ月はかかるイメージがある。

 あれか。毎日描いてれば間に合うものなのか? でも、こいつの実働時間はなんだかんだで短そうである。しょっちゅうどこかに行ってそう。


「さあ?」


「さあって。後輩ちゃんの仕事だろうが」


「仕事じゃないですけどねー。バイト代が出るわけでもないですし」


 仕事って、給料もらうやつ以外にも、タスクというかそんな感じのニュアンスもあると思うんだけどな。まあいいや。そこが本題ではない。

 言葉選びを気にしていると、後輩ちゃんから逆に質問を受けた。


「せんぱいって、絵を見るのは好きですか? 『今日の一問』です」


「なんか、難しい質問だな」


「二択じゃないですか。マルかバツか」


「そうは言っても、ね」


 絵を見ることが、好きか嫌いか。うーむ。


「絵ってさ、絵じゃん。いっぱいあるじゃん」


 画像のうち、写真を除いたものを「絵」と呼んでいいだろう。

 もっと言うなら、視覚情報のうち、文字と写真を除いたら、残るのは「絵」だ。

 世の中には、意外とたくさんの「絵」がある。


「はい?」


 電車の網棚の上の広告を指差した。イラストが書かれている。


「極論言えば、あれだって絵じゃん」


「まあ、そうですね」


 窓の外にも、広告が溢れている。写真も多いけど、絵だって多い。


「好きも嫌いもなくない?」


 文章でなく、文字が好きか? と聞かれているようなものだ。

 単純接触効果、という奴だったか。触れる回数が多いほどその対象に好意を抱く、みたいな。


「わかりました。聞きかたをかえましょう。せんぱいは、どんなタイプの絵が好きですか?」


「どんなタイプ、か」


「油絵とか、鉛筆デッサンとか、デジタルとかそういうので言えば」


「あー」


 うーん。


「油絵みたいな、『俺が芸術だ!』みたいなのはあんまり好きじゃないな」


「ほうほう」


 文章はまだ、読めば意図が伝わってくるからいい。

 美術館に置いてあるような絵は、むずかしいと(勝手に)思っている。時代背景とか、その画家の生涯とか、そういうのまで込みで鑑賞しないといけない気がするのだ。


「普通のデジタルイラストがやっぱり一番見るし、一番好きなんじゃないかな」


 軽い読み物(ラノベとかだ)の挿絵だったり、Twitterに流れてくるイラストだったりは、やっぱり、ふと眺めた瞬間に心がなごむように感じる。


「へぇ~」


 これを聞いて、後輩ちゃんがにやけた。


「せんぱい、いいおしらせがあります」


「嘘だ」


「ほんとですって。文化祭でわたしが出す絵、デジタルなんですよ。パソコンで書きます」


「設備あるの?」


「やっすいペンタブを持ってます」


「意外とガチだな、おい」


 最近だとタブレットとか、果てはスマホとかにそのまま書く人も多いらしいけれど、やっぱり、デジタルの絵といえばペンタブというイメージはあると思う。


「そんなこと、ないですよ」


 お見せできるような絵は描いてません、と彼女は言った。


 * * *


「で。何描くかは決まったの? もう2週間とちょっとだろ」


 美術部の先輩からは、出すこと自体は大歓迎だと言われました。部員が少ないから、とも言ってましたけれど。

 そのかわり、出すと決めたら、必ず出してくれ、とも言われました。


 でも、まだ描きはじめてはいません。

 何を描くのか自体は決まったのですけれど、それをどうやって描くかが、ぜんぜん浮かんできません。


「まだです」


「大丈夫なのかよ、おいおい」


 だから――せんぱいに、付き合ってもらうことにしました。取材に。


「せんぱいのせいですよ」


「は?」


 ぐっと、せんぱいに一歩近づきました。


「せんぱいが、文化祭参加しないのって聞いてきたのが悪いんです」


「いやそこかよ。おかしいだろ」


 わたしの理不尽な言い方に、せんぱいは苦笑しています。


「明日か明後日、つきあってください。わたしに」


「俺の週末……つーか何すんのさ」


「取材ですよ取材」


「へ?」


 答えが降ってくるとは思っていなかったというような顔で、せんぱいが間の抜けた返事をします。

 たしかに、いつもわたしが誘うときって、場所だけ指定して、なにするかはひみつのままでしたからね。めずらしいかもしれません。

 今回も、具体的なことは伝えてないんですけれどね。


「いいですか?」


「……じゃあ日曜で」


「わかりました。また集合とかは連絡しますね」


 これでよし、と。


「おう」


 # # #


 俺に約束を取り付けて、ご満悦の後輩ちゃんを眺める。

 ベージュのセーター(いつのまにかカーディガンから変わっている)を上に着て、少し明るい髪を伸ばし、薄く紅色をのせた唇はぷっくりとしていて、それからえーと、あ、目がこっち向いた。大きい瞳が窓から入る光を反射して揺れる。

 うん。これじゃ、眺めるというよりガン見してるんだよな、俺。


「せんぱい?」


 いきなり黙り込んだ俺を見て小首を傾げる、そんな仕草が、やっぱりかわいい。いや、これはあざといのかな。違いがよくわからない。

 さっき、俺がネットに流れるようなデジタルイラストを好むのは、単純接触効果が理由じゃないかみたいなことを考えた。

 その後も、ずっと俺の中で、それに関する思考が転がっているのだ。


 そう。

 後輩ちゃんのことだ。


 後輩ちゃんは、彼女は。米山真春は。

 間違いなく、俺が、ここ2ヶ月くらい、最も密接な関係にある異性とみていい。あっちの側からどうかは知らないけれど。

 というか、異性どころか同性まで含めても、毎日これだけ話している人はいないかもしれない。

 単純に、接触回数が多いのだ。物理的接触はそれほどでもないけれど、言葉のキャッチボール的な接触回数でいえばもうそれはピカイチだろう。

 好きに、なってしまうんじゃないか。

 あるいは、もう俺は彼女のことが好きで、自分でもそれに気付いていないだけなんじゃないか。


 そんなことを、考えていた。


「せんぱーい?」


 後輩ちゃんが首を伸ばして、俺の顔を覗き込んでくる。若干頬を膨らませているのは、俺に相手をされないことが不満なのか、それとも。

 そろそろ、返事をしないわけにもいかない。


「はいはい」


「なに考えてたんですか? わたしの方見ちゃって」


 気付かれてるかあ。気付かれてるよなあ。

 あんだけガン見してたら、そりゃあなあ。


「いや、何も考えてないぞ? ただ眠いだけだ」


 ただな。これは別に「今日の一問」じゃないから、嘘をついたっていい。

 嘘というか、ごまかしか。


「ふーん」


「ほんとだってほんと」


 後輩ちゃんがにやにやとした顔をするものだから、居心地が悪くなってくる。


「まあ、いいです。そういうことにしておいてあげますよ、せんぱい」


 そう言ってウィンクを決めた彼女は、とてもかわいく見えた。

 もう俺、逃げられないかもしれない。

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