第51日「というか、何でピッタリわかったんだ?」

 # # #


 今週も月曜日がやってきてしまった。

 週始めを月曜日とするか日曜日とするかには根強い論争があるけれども、まあどっちでもいいよ。どっちにしろ、週が始まってすぐに、忌まわしき月曜日は来てしまうのだ。


「基本に立ち返りましょう」


 電車にすっと乗り込んで、いつもの場所に収まると、後輩ちゃんがこんなことを言い出した。


「うん」


 眠い目をこすり、まだ覚醒しきっていない意識を引き上げるようにしながら、生返事をした。


「って、え?」


 今起きた。はい。完全に目が覚めました。


「なんだって?」


「ですから、基本に立ち返りましょう」


「基本って何だよ、基本って」


 俺がその言葉を発するのを待っていたかのように、彼女が、にやりとする。


「知ってますか?」


 えっへん、となぜか威張るようにして、後輩ちゃんが聞いてくる。


「昨日が、50問目だったみたいです。『今日の一問』」


「もうそんなにいったのか」


 9月の真ん中ぐらいに声をかけられて、今はもう11月だ。2か月弱。言われてみれば確かに、50日くらいが経過している。


「50ですよ、50」


「五重の塔?」


 五十肩って言おうと思ったけどやめた。


「それ、ただ5じゃないですか。ファイブじゃないですか」


「あう」


 * * *


 そう。50日が経ったんですよ。

 いや、正確には52日ですか? 最初の週末は会えもせずラインも交換してなかったので、質問もしませんでしたから。


 ふーん、という顔をしていたせんぱいが、思いついたように質問してきました。


「というか、何でピッタリわかったんだ?」


 その瞬間、わたしの思考は凍りつきました。

 いや、まさか、そこを聞かれるとは思っていなかったんですよ。これは話の枕というか、とっかかりの予定だったので。なんでそういうところばっかり、気がきかないんですか、せんぱい。


「……だめです。言いません」


 嘘をついて切り抜けるなんていうのは、さすがにアンフェアな気がしました。でも、素直に答えるのも何かが違っていて、わたしが選んだのは、ひとまずの時間稼ぎの道でした。

 ちなみに、「言えません」じゃないのがミソですね。黙秘権なんて、今に限っては、ありません。なんせ、わたしたちの間には、あの取り決めがあるんですから。


 こちらの気持ちを考えていないのか、それとも察した上で、わざとなのかはわかりませんが――いや、ぜったい後者ですね。にやにやしてます――、せんぱいはわたしにトドメを打ち込んできました。


「『今日の一問』、な」


「あーもう……はい。白状しますよ」


「何それ、そんな重大なやつなの」


「いいえ、その……」


 あー、はずかしいです。誰にも言ったことなかったのに。たぶん、親にもバレてないのに。


「日記、つけてるんですよ」


 その日あったことを書くだけの、簡単なものです。

 スマホのアプリで日記なんて、いくらでもありますけれど、わたしは紙のノートに書いています。気合を込めるべく、新しいノートを買ってきて、題を書いて、机の引き出しにそっとしまいこんでいるんです。


 # # #


 ずいぶん恥ずかしがるから(かわいい顔が真っ赤だ)何かと思ったら、日記をつけているらしい。

 いいこと、だと思う。人間の脳という記憶媒体はひどく不良品で、記憶(こういう言い方をするなら「記録」か)はすぐにぼやけて、不鮮明になって、そしていつか忘れ去ってしまう。だから、その日のできごととか、あるいは自分の考えとか、果ては想いなんてものを、なにか形あるものとか、文章として残しておく行為は、素晴らしいものだと思う。

 いいことなんだろうな、と思いつつ、なかなか心理的な余裕がなくてできないんだけれど。


「へー、いつから?」


 だから、続けたこの質問も、本当に、何の気なしに聞いたのだった。

 小学校の頃から続けているんだったら立派だし、もうそれは習慣になっているんだろう。高校生になってから一念発起で始めていても、それはそれで良い心がけだと思う。


「9月の14日です」


 ずいぶん細かく覚えてるんだな、と思った。

 ずいぶん最近だな、とも思った。まだ2ヶ月経ってないじゃないか。

 ここで、違和感に気付いた。


「んん?」


 2ヶ月弱って、さっきも、そんな話をしたような気がする。

 確か、なんだっけ。そう。後輩ちゃんの累計質問が、50問を超えた、みたいな。


「そーですよ。せんぱいとはじめておはなしした日からですよ! 悪いですか!」


 ああ。

 繋がった。


「まあ別に悪くないんじゃない?」


「なんですかその、まあ別にって……」


「個人の自由だろ、そんなん」


「そういうことじゃ……はあ。もう、いいです」


 日記をつけたくなるような何か――いや、具体的には俺との会話だったんだろうけど――があった。それだけでいいんじゃないか。


「にしても、日記かあ」


「なんですか、ほじくる気ですか」


「手書き? スマホ?」


「手書きですよ」


 うわあ。本格的。


「というか、わたしばっかり、不公平ですよ。せんぱい、『今日の一問』です。せんぱいは、日記とか書いてますか?」


 いきなり攻守交代を食らった。


「昔は書いてたんだけどなあ」


「昔?」


「小学校の頃」


 1年生の時、担任に「日記を書きましょう」と言われて、クラスの全員が書き始めた。

 2年生に進級する頃には、面倒になったのか、日記をちゃんと書く者は半分になっていた。

 さらにその翌年も、その次も、日記を書く人はだんだん減っていき。卒業式の日まで日記を書き続けたのは、俺ひとりだった。

 日記って、何の意味があったんだろう。

 幼心にそんなことを思ってしまって、俺も卒業とともに、日記を書くのをやめてしまったのだ。


「へー、そんな過去があったんですね」


「今にして思うと続けておけばよかったなって思わなくもない」


「今度読ませてください」


「え、やだ。文章になってないぞ、小学生なんだから」


「小さいころのせんぱいの文字が見たいです」


「やだやだ」


「今度おうちに伺ったとき、ぜひ見せてくださいね」


「あの」


「約束ですよ?」


「しないっての」


 向かい合わせでキラキラした眼を向けてくるが、そんな手には乗ってやらない。


「そこをなんとか」


 ひとつ、いい条件を思いついた。


「お前の日記と交換なら検討してやる」


「え? ほんとですか?」


 ぱっと一瞬だけ笑顔が咲いたと思うと、すぐに下を向いてぶつぶつ言い始めた。


「あ、でもわたしの見せないといけないんですね……」


「そりゃあ、な」


 実は、ちょっとだけ、この後輩がどんな文を書くのか気になっていたりもする。


「ぐっ……せんぱいの小さい頃の文章……魅力的ですが……」


 後輩ちゃんが葛藤し、悶える様子を眺めていると、いつの間にか、電車は学校の最寄り駅に到着していた。

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