第49日「せんぱいって、どうして本が好きなんですか?」
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朝8時に、目が覚めた。というか、目が覚めてしまった。
1年に1度の、お祭りだ。わくわくしないわけがない。
どうして昨日は起きられなかったんだって話になるけど……まあ、たぶん、平日の疲れが溜まっていたんだろう。
さて、と。早く行ったところで、開催自体が10時からなんだよなあ。
のんびり朝ごはんを食べて、着替えることにした。
* * *
昨日聞いた通り、朝10時に合わせて、神保町駅に向かいました。
日曜日だからか、電車の混み具合はそれほどではありませんでした。
「お、来たか。おはよう」
朝なのに目がキラキラしているせんぱいと言うのも、なんだか新鮮です。いつもは眠そうにしているのに。
「はい、おはようございます」
「じゃあ、行くぞ」
あいさつもそこそこに、せんぱいが地上につながる階段の方へと歩きはじめてしまいます。あわてて、わたしも、後を追いかけることにしました。
ふだんはわたしが先に行くので、これも新鮮……では、ないですね。学校に行くときはいつもこんな感じでした。せんぱいが先に校門をくぐっちゃうので。
いつもはもう少し距離があいてるのと、あとは制服じゃなくて私服なところが、はじめてなポイントです。
それにしても、せんぱい、こちらをぜんぜん見てくれません。ふりかえって、くれません。
階段にさしかかって、わたしの2段上を歩くせんぱいの目は、目の前の広告スペースに釘付けのようです。
「神保町ブックフェスティバル、今年は3日間の開催!」と大きな文字で書いてあります。今日は二日目なんですね。
まあ、いいですよ。昨日、「相手はしない」って言われて、こちらもそれをわかった上で来ているので。高望みはしませんよ。
* * *
地上に出ると、日の光がさんさんと降ってきて、まぶしく感じました。
先ほどの広告によると、1本の道路が歩行者天国みたいになって、本が屋台で売られるみたいなイメージでしょうか。「雨天中止」と書いてあったのは、本がぬれると困るからでしょう。
「晴れでよかったですね」
「気象庁に嘘つかれたらどうしようかと思ったよ」
あいかわらず、せんぱいは前だけを見つめてずんずん進んでいくのですが、会話は成立するようです。
地下鉄の出口から1ブロック進むと、もうそこがブックフェスティバルの会場のようでした。通りの入口には横断幕がかけられ、道路の真ん中には、2列になってたくさんのワゴンが並んでいます。
「朝10時です。ただ今より、第27回神保町ブックフェスティバル、2日目を開催いたします!」
スマホを見ると、確かにちょうど10時です。
ぱちぱちぱち、とまばらな拍手が聞こえてきました。斜め前のせんぱいも、手を叩いています。
「毎年のことながら、天国だ……!」
ぎりぎりわたしの耳に届いたつぶやきから、せんぱいなりにわくわくしているんだということがわかりました。
「よし。行くぞ?」
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後輩ちゃんがちょっと早く来てくれたから、2日目とはいえ、開始に間に合った。
コミケでもそうだが、「祭り」が始まる瞬間の、この独特の緊張感と高揚感、みたいなものは、ただの参加者からしてもたまらない。
ここにいる人は、売る側も、買う側も、ほとんどが「本好き」である。
とにかく、そういう共通項があるだけで、あとは赤の他人(が多い)。そういう人たちが集まってこういう空気を作り出すというその事実に、俺はわくわくするのだ。
テンション上がってきた。
今日の予算は、10000円ぽっきり。1000円札10枚で持ってきた。
けっこうな割引が行われているから、これでも相当な数の本を買えるはずだ。また積ん読が増える。
さーて、今日はどんな本に出会えるかな。
面白いやつがいいな。
俺はそんなことを考えると、手近のワゴンに集まる群衆のひとりになった。
「これいくらですか? ……500円? やっす、買います!」
「この本ください!」
「なにこれすごい! はい、1000円から!」
やっぱり天国だ。
さーて、次は、と。お、早川書房じゃないですか。期待で胸がいっぱいになっていると、後ろから、左手首をぐっとつかまれた。
後輩ちゃんが、頬を膨らませていた。
「せんぱい、あの」
「なに?」
「はぐれちゃいそうなので、にぎってても、いいですか?」
確かに、人が多い。
人混みが苦手な彼女からしたら、ひとりで放っておかれるのも辛いんだろう。
本当は、俺は、ひとりでぼんやりとブックフェスティバルに浸りたかったんだけれど。
「仕方ないな」
「ありがとうございます」
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「……読みにくいな?」
次のワゴンで、この体勢の問題点に気づく。
左手が塞がっているから、使えるのは右手だけだ。
片方の手だけを使って、ワゴンから気になるタイトルの本を掘り出し、中身をチェックするのは、めちゃくちゃ難しい。G難度くらいの技だ。
それに、できなくはないんだけれど、本が傷む。見切り品で50%オフとか70%オフとかついているが、一応売り物である。読書家の端くれとしても、粗末な真似はしたくない。
「だめですか?」
「ちょっと、一旦邪魔だから」
ワゴンの前は、本を見る人でごった返しているのだ。話し込んだりしたら邪魔になる。
「んーと、手が塞がるとやっぱりちょっと厳しいんだよ。だから」
かばんの紐でも持ってくれ、そう続けようとしたことばが、後輩ちゃんの動きで打ち消されてします。
「じゃあ、腕なら」
隣に回った後輩ちゃんが、右手を俺の脇の下に回し、左手もぐっと添えて、俺の腕を完全に包み込んでいた。
あれである。カップルがよくやる、腕を組むみたいな感じだ。
「問題ないですね?」
確かに、これなら、手は自由である。
左の上腕には彼女の胸が押し付けられていて、問題があるといえばあるのだけれど。
俺の両腕を自由にしつつ、ふたりがはぐれないようにするという当初の目的は達成されている。
「そっちこそ、いいのか?」
「いいですよ。せんぱいなら」
それは、胸が当たるのが的な意味なのか、それともカップルと勘違いされても的な意味なのかとは、聞けなかった。
ちょっとでも気を抜くと腕の方に意識がいってしまいそうになって、本を選ぶのに集中するのが大変だったことを、付け加えておく。
* * *
ワゴンが並ぶ通りを、腕を組んだまま2周しました。
ちょっと恥ずかしかったけれど、はぐれないためなので、しかたないんです。ええ。
せんぱいも十分に本を買えたということで、遅めのお昼ごはんにしようということになりました。近くのファミレスに入ります。
「ふわぁ……」
席に座ったとたん、疲れているのを自覚しました。
ソファ席のクッションが、ここちよいです。
「どうした、あくびなんてして」
「つかれました。せんぱいがあんなところやこんなところをあれこれするから」
「言い方! それなんか違うでしょ!」
「てへっ」
「てへぺろじゃないよ」
適当に注文をして、ドリンクバーも頼みました。
のみものを取ってきて、ほっと一息です。
「せんぱい」
「なに」
「『今日の一問』です」
「うん」
「せんぱいって、どうして本が好きなんですか?」
「どうして、かあ……」
せんぱいが、オレンジジュースを一口飲みました。ドリンクバーから取ってくるときに、「甘いものがほしい」って言ってましたね。
「どうしてか、って聞かれると、面白いから、としか答えられないかも」
「はあ……」
んー、それなら、なんでしょうね。
「せんぱいが、本を好きになったきっかけみたいなのって」
「んな明確なきっかけはないぞ。『これが俺の人生のターニングポイントです!』みたいな」
「えー、つまんないです」
「こらこら。人の人生にケチつけるのやめてくれ。ただ、あれだよ」
目の前のせんぱいは、もう一口、ジュースをすすります。
「親がふたりとも読書好きで本いっぱい読むし、それに一人っ子だからな、俺。家にいる時にそれだけ本に触れてれば、そりゃあ自然に読むようになるんだろ、とは思う」
「へー……」
わたしは、カルピスを一口飲みました。
「そうそう。俺、昨日の一問聞き忘れたんだよな」
「もちこしは、なしですよ?」
攻守交代の時間のようです。
「わかってるって。だから、今日は逃さないように。『今日の一問』、俺からも」
「はい」
せんぱいの口から出てきた質問は、びっくりするほど直球なものでした。
「今日は、どうして、ついてきてくれたんだ?」
「どうして、って」
そんなの、決まってるじゃないですか。
「好き、だからです」
「そうか」
それっきり、せんぱいは黙り込んでしまいます。
わたしは「好き」としか言っていないのに。
せんぱいと同じように本が「好き」なのかもしれないし、もしかしたら神保町という場所が「好き」なのかもしれないし、せんぱいと過ごす休日が「好き」なのかもしれないし、それとも――
たくさんの可能性がまだまだあるのに、せんぱいは、その先をたずねてくれません。
「お待たせしましたー。オムライスです」
お店の人がやってきて、止まっていた時間が動きだしました。
「ご注文は以上でお揃いでしょうか?」
「はい」
「ごゆっくりどうぞ」
それじゃあ、と目配せをします。
「いただきます」
「いただきます」
焦る必要はないと、思っています。
ゆっくり、ゆっくり、せんぱいのことを、もっと知りたい。
わたしが想うのは、それだけでした。
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