第43日「せんぱいって、どこの美容院行ってるんですか?」

 # # #


 翌日。

 案の定、昼すぎに、隣の駅まで呼び出された。


「あ、せんぱい! ここですよー」


 相変わらず、人目を魅くコーディネートだ。顔がいいのも相まって、周りからちらちらと見られているのには気付いているんだろうか。

 きっと、気付いているのだろう。その上で、あえて無視している、のだと思う。

 ……小心者の俺からすれば、あり得ない話なのだけれど、こいつなら。


「待たせたか?」


「午前中から待ってるのでだいじょうぶです」


「は?」


「うそですよ。たとえですたとえ。前もって連絡しとかないと午前中に落ち合うのは無理って話です」


「はあ……」


 まあ、それは俺のライフスタイルだし? 変える気はない。

 というか、変えようとしても、眠すぎて無理。起きれない。平日だって、気力を振り絞って起きているのだ。


「まあ、そんなことよりだいじなことがありましたね」


 向かい合って立っている後輩ちゃんが、目を細めてこちらをしげしげと見る。


「似合ってますよ。というか、メガネが似合ってなかったんですね」


 そう。

 素直な俺は、ちゃんと後輩ちゃんのプレゼントを使って、コンタクトレンズを入れてきた。指じゃなくてシリコン製のピンセットみたいなやつだったから、恐怖感みたいなのはなかった。

 でもなあ。やっぱり学校ある日は厳しいなあ、とも思った。入れやすさ自体は、そこまで変わらなかったから。今日も、片方入れるのに10分かかってしまった。


「そりゃ、どうも」


「じゃあ、行きましょうか」


 後輩ちゃんがくるりと振り向いて(スカートがふわっとなった)、駅の出口に向けて歩き始めた。


 と思ったら、止まった。

 そして、バツが悪い顔を見せて、こう言った。


「ところで、どこ行きましょうか?」


 * * *


 せんぱいと合流して、いざ出発しようとして、気がつきました。

 わたし、今日どこに行くか、何も考えてませんでした。うっかりしてました。


「は?」


 せんぱいも、何が起こったかわからないという顔をしています。


「せんぱい、どこか行きたいところ、ありますか?」


「いや、あのな。俺はふつう週末に行きたいところがないから家に引きこもってるわけでな」


「ないですか?」


 せんぱいが、数秒間黙りこくって、また口を開きます。


「あるといえば、あるな」


「ほうほう」


「間違っても、デートで行くようなところではないけどな」


 そう前置きすると、あのね、と前髪を引っ張って、せんぱいは言いました。


「髪、切りに行きたい」


「確かに、伸びてますね」


 男の人の標準がどれくらいかわかりませんけれど、せんぱいの現状は、ちょっと伸びすぎな感じがします。前髪が眼の下まで達して、視線を遮りそうなくらいです。


「じゃあ、そこに――」


 言いかけて、やめました。もっと、面白そうなことを思いつきました。


「ん?」


「せんぱい、『今日の一問』です」


 どうせこの人のことだから、ろくなところには行ってないんでしょうけれど。


「せんぱいって、どこの美容院行ってるんですか?」


 # # #


 あのなあ。俺は男だ。


「美容院なんて上等なところ行ってないって」


「ああ……」


「おい、なんだその安心しましたみたいなやっぱりそうですよねみたいな眼は」


「いえ、なんでも」


「あれだよあれ。1000円カット」


 髪切ってもらうだけで文庫本プラスアルファの金額取られるの、冷静に考えたらバカらしい話である。まあ、人件費とかもろもろ乗ってその値段なんだから、仕方なくもあるけれど。

 美容院ってもっと取られるんでしょ? やだやだ。


「なるほど。わかりました」


「そういうお前はどこ行ってるんだよ。『今日の一問』」


「はあ……」


 溜息をついたかと思えば、後輩ちゃんがきっとした目を向けてきた。


「せんぱい、ついてきてください。教えてあげますから」


 こう言われてしまうと、俺に拒否権はない。

 いや、駄々をこねれば拒否くらいはできるんだろうけど、面倒だ。


 しばらく歩いて、怪しげなビルに入って、ガタガタ揺れるエレベーターに乗って、後輩ちゃんのシャンプーの香りが漂って。

 チン、とドアが開くと、そこにはやはりと言うべきか、美容院があった。


「あの」


「お金はわたしが出すので」


 そういう問題じゃないんだよ。なんというか、これは、心情の、信条の問題なんだよ。

 おしゃれに、ファッションにお金をかける必要なんてない。そう信じて暮らしてきただけに、こういう空間には、入るだけでとまどいが生じてしまうのだと思う。

 俺が立ちすくんでいるのを気にもせず、後輩ちゃんはスタスタと中に入っていく。


 訂正。気にしてた。

 俺の手を引いて・・・・・・・、彼女はドアを押し開けた。


「お? 真春ちゃん、いらっしゃい。こないだ来たばっかりだけど、どうしたの?」


 微妙なタメ口での接客。正直、好きではない。


「わたしじゃなくて、こいつです」


 後ろ手に鷲掴みしていた俺を、ぐぐっと前に突き出す。


「お? 彼氏? 真春ちゃんにもついに春が」


 否定しようとした言葉が、なぜか喉から出てこなかった。


「帰りますよ?」


「ごめんごめん」


 そう言うと、チャラい人がこちらを向く。腰にハサミがついてるから、たぶん、この人が美容師なんだろう。あれ? 美容師? 理容師? まあ、どっちでもいいか。


「さて。はじめまして。真春ちゃんの担当をしている、美容師の秦野はたのです」


「どうも。井口です」


「井口くんね。よろしく。それで、今日は?」


 今日はどうする、ということだろうが、あいにく俺は一切こういうお店の経験がないので、どういうことを言っていいかもわからない。

 しばし考えていると、後輩ちゃんが口を挟んでくれた。


「いい感じにしてやってください。そこのダサい男を」


「ダサいってなんだよ、ひどくね?」


「事実なので」


 まあ、そうなんだろう。「ファッションに必要以上の気を使わない」人は、気を使う人から見ればダサく見えるんだろう。そりゃあ、な。


「よーし、わかった。お兄さんに任せてくれ」


 肩をぽんと叩かれて、椅子に案内された。


「ちなみに、カラーはOK?」


 一瞬、襟が髪の毛で汚れても大丈夫か? と聞かれてるのかと思った。そんなわけがなかった。


「黒のままでお願いします」


 こんなんでも、一応生徒会長なのだ。

 地毛がどうこう、茶髪がどうこう、話題になっているのは知っている。

 でも、やっぱり、なんかその、ねぇ? 「優等生」といえば、黒髪のイメージは、どうしてもあるし。俺は、わざわざそれに逆らいたいとは思わない。


「はいはい。じゃあ、始めますね」


 * * *


 30分ほど、待ったでしょうか。

 シャンプーまで終えたせんぱいが、戻ってきました。


「うん。いいですね」


 さすがに染めるまではしてくれなかったみたいですけれど、重くてもさもさしていた髪の毛がすっきりして、ちょっと印象が変わっています。


「それだけかよ」


「秦野さん、ありがとうございました」


 お礼を言って、お店を出ました。


「どうでしたか、せんぱい」

 

「あんま変わらない気もするけどなあ」


 秦野さんの手によってワックスで固められた髪は、それなりに仕上がっていて、首から上はけっこうかっこいいと思いました。

 首から下、洋服はダメですが。無難オブ無難ですね。


「つぎは、服を買いにいきましょうか」


 小さくつぶやいた言葉が、道路を走る車の音に重なって、かき消えます。

 となりを歩くせんぱいの耳に届いたかどうかは、わかりませんでした。

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