第37日「せんぱいって、普段朝ごはんに何食べてるんですか?」

 # # #


 朝。まどろみの中で、枕元のスマートフォンが鳴っているのがわかった。

 まず、一回。その後、何回か連続して鳴った。


 5分後。設定しておいたアラームの爆音が響き渡り、俺は目を覚ました。窓の外では、風がごーっと音を立てている。おお、台風だなあ。

 メールが来ている。学校の一斉配信のメーリスだ。タイムスタンプは、6時ぴったり。否が応でも胸が高鳴る。読む。

 タイトルは、「【緊急】本日の授業の取り扱いについて」。これは、来ちゃう? 休校来ちゃう?


 読んだ。

 内容をかいつまんでしまうと、「6時に暴風警報出てたからとりあえず午前中は休みにするわー。9時まで出っぱなしだったら午後も休みにするからまた連絡するなー。それじゃお前ら気をつけろよー」って感じだった。

 そういえば、去年にも同じようなことがあって、同じように拍子抜けした気がする。


 9時まで、まだ3時間もある。寝直すか。


 * * *


まはるん♪:おはようございます!

まはるん♪:午前はおやすみになりましたね

まはるん♪:おめでとうございます


 わたしも、行かなきゃ、と思っていた学校がなくなると、少しはうれしいですけれど。

 それ以上に、今日は、朝の電車の中でせんぱいと話すことがないのだと思うと、さびしくなってしまいます。


 ラインを送ってから10分。既読は、つかないままです。学校からのメールはたぶん確認してるはずですけれど、また寝ちゃったんでしょうか。

 まったく。しかたないせんぱいです。


まはるん♪:おやすみなさい


 # # #


 かけ直しておいたアラームが鳴って、目が覚める。時間は9時の10分前。

 これから9時まで、気象情報のページとにらめっこをすることにしたのだ。起床してすぐに気象チェック、なんつって。俺のつまらないネタを吹き飛ばすかのように、風が窓の外で強い音を立てている。たぶん、まだ出たままだと思うけど……OK。関東一帯に、赤字で「暴風警報」の文字が躍っている。

 よし。これなら。


 一旦ホーム画面に戻ると、LINEの通知が来ていることに気がつく。開けてみると、後輩ちゃんからだった。タイムスタンプは6時頃だ。さっきの学校からのメールのタイミングで来ていたようだ。いまさら返すってのもなあ……

 カーテンを少し開いて、窓の外を見る。雨こそ弱まってきて、ふつうの強さでしとしとと降っているようだが、風は相変わらずごうごうと暴れている。その調子だ。あと10分、いや、5分でいい。暴れててくれ。気象庁も、空気読んでくれ。解除するなら9時1分にして。始業して、そのタイミングでもういいかな? って思って、タイムスタンプを1分でも9時より遅くしてくれればいいから。頼む。

 と、気象庁本部のある東京の……どこだ? 千代田区? まあどっちにしろ、東京の方に念を送っておく。担当者様、どうか頼みます。


 東京の方に土下座を繰り返しつつ、1分毎に警報情報を更新すること10回。ついに、審判の時午前9時が訪れた。スマホの画面をタップする指が震える。

 ええい、さすがに大丈夫だろ。ほれ。


 暴 風 警 報 発 令 中

 休 校 決 定

 完 全 勝 利


 よーし。寝るぞ。


井口慶太 :おやすみー


 * * *


 9時を過ぎると、学校からまたメールが来ました。午前9時の時点で暴風警報が解除されないので、本日は休校とします。各自安全に十分に気をつけるように、とのことです。

 なるほど。休みなんですね。

 何しましょう。どうせなんだかんだで学校はあるものだと思っていたので、何も考えていませんでした。

 とりあえず、せんぱいにラインしましょう。

 そう思ってアプリを開いたのですが、せんぱい、また寝てます。というか、寝る宣言してます。ほんとに寝るのがすきなんですね。布団が恋人ってことですか。もう。

 寝てる間に、何されても知りませんよ?


 わたしは、せんぱいとのトークを閉じて、別の人とのトークを開きます。


まはるん♪:おはようございます

まはるん♪:本日、伺ってもだいじょうぶですか?

まはるん♪:学校が台風でおやすみになったんですよ


 すぐに既読がついて、返事が来ました。


井口恵子 :あら、真春ちゃん

井口恵子 :いつでも歓迎って言ってるじゃない

まはるん♪:ありがとうございます


 そう。相手は、せんぱいのお母さまです。先週、おじゃました時、なぜかラインを交換していました。

 それからちょくちょく、軽くおはなししていたりしました。


井口恵子 :とはいえ。台風なんだから、十分気をつけてね?

まはるん♪:はい

井口恵子 :慶太起こしときましょうか?

井口恵子 :どうせあの子昼まで起きてこないわよ

まはるん♪:あ、せんぱいには内緒でお願いします

 

 どうせせんぱいは、「安全のための休校だ」とかなんとかいって、絶対に出てこないでしょう。

 なら、わたしが行くまでです。しかたないです。


井口恵子 :わかったわ

井口恵子 :じゃあ、着いたらまたこれで教えてちょうだい

井口恵子 :こっそり開けてあげる


 この人もやっぱりせんぱいの母親なんだなあ、と思います。


まはるん♪:ありがとうございます……!

まはるん♪:たぶん、1時間後くらいに伺います

井口恵子 :はーい


 その頃なら、多少風も弱まっているでしょう。ニュースによれば、もう台風自体は過ぎたみたいです。午後からはいいお天気になるかもしれません。

 さて。準備して、行きましょうか。


 途中でスーパーに寄って、せんぱいのおうちに着きました。雨も風も、あんまり大したことはなかったです。


まはるん♪:着きました

井口恵子 :今行くわ


「こんにちはー。突然なのにありがとうございます」


「いえいえ。真春ちゃんが来てくれて嬉しいわ」


 わたしは、かばんから取り出したエプロンをひらひらと振って、お母さまに聞きました。


「ところで。台所をお借りしてもいいですか?」


 # # #


 ドアの開く音で、目が覚めた。

 続いて踏み込んでくる足音が、母親とはちょっと違うような気がして。


「せんぱい!!」


 おかしいな。

 ここにいるはずのない人の声が聞こえる。夢か? 夢だよな?


「せんぱい、朝ですよ! というか、昼ですよ!」


 肩を揺り動かされては、目を開かないわけにはいかなかった。

 裸眼のぼやける視界に映ったのは、思ったより大きい彼女の顔だった。


「近いっての」


「せんぱい、やっぱり裸眼の方がいいと思いますよ」


 定位置にあるメガネを手探りで取って、かけた。


「おはようございます」


「なんでエプロン?」


 彼女は、紺色のエプロンをつけていた。さすがに、おたまは持っていなかった。


「なんでって、せんぱいの朝ごはんを」


「よくキッチン使えたな」


「わたし、お母さまとラインの交換済みなので」


 いつの間にそんなことを。


「さ、行きましょ」


 そう言って、後輩ちゃんは俺の手をむんずと掴むと、ダイニングまで引っ張っていった。

 あれか。胃袋まで掴む気か。


 # # #


「ところで、『今日の一問』なんですけど」


 ダイニングで、向かいのテーブルに座った後輩ちゃんが言う。


「せんぱいって、普段朝ごはんに何食べてるんですか?」


「コーヒー」


「それは飲み物では」


「米」


「だけですか?」


「ふりかけ」


「それは米に付属しているのでは……」


「あと、あれば味噌汁」


 こう言った瞬間、後輩ちゃんの顔が、露骨に緩んだ。


「ああ、よかったー。わたしがつくったのみそ汁だったので」


「そりゃ楽しみだ」


 母親が、となりでニヤニヤしている。どっか行ってくれ。


「後輩ちゃんこそ、『今日の一問』だけど、普段の朝食は?」


「バナナです」


「は?」


「甘いもの好きなので。バナナです」


「作る余地ねえじゃん」


「せんぱい、わたしに作ってくれようとしたんですか?」


 自分でも、よくわからない。

 自然と、口から言葉が零れていた。


「せんぱいの料理なら、なんでも歓迎ですよ」


「はあ……」


 こう言い残して席を立った後輩ちゃんが、お椀に味噌汁を注いで戻ってくる。

 今度は、右手におたまを持ちっぱなしだ。これ、残った味噌汁が床に垂れないのかな? まあいいや。


「はい、召し上がれ」


「なんか癪だけど、いただきます」


 食べ物に罪はないからな。


「なんですかそれ」


 さて。目の前の味噌汁を見る。

 器は、いつもと同じだ。うちで使っている、味噌汁用のお椀だ。中身の色も大差ないし、具はわかめと豆腐。ザ・味噌汁と言った感じ。

 味噌の色が、よくよく見ると、普段とちょっと違う気がする。いつもより、少しだけ色が薄い。誤差といえば誤差だ。

 いざ、口をつける。


 向かいに座る後輩ちゃんが、ごくりと息を飲む。俺は、味噌汁を一口飲み込んだ。


 うん。味噌汁だな。ほっとする。

 普段とちょっと風味は違えど、ダシがしっかりと出ていて、わかめがつるんとしていて、味噌汁だ。

 俺は、無言のまま大きく頷いて、目を閉じた。これが味噌汁だ。


「あの、せんぱい?」


 幸せに浸っている俺を、後輩ちゃんが見つめる。


「どう、ですか」


 不安そうに揺れる瞳を見て、気がついた。これは俺に、感想を求めているのか。


「うん。うまいぞ。安心する味だ」


 だから、率直に、こう答えた。

 すると。後輩ちゃんが目を伏せた。


「せんぱいが、こういう時にどれくらいの度合いでお世辞を言うものなのか、わたしはまだよく知りません。だから、せんぱいが、ほんとうにどう思っているかは、わたしには、よくわかりません。おいしいと思っているのかもしれませんし、気休めでただ、とりあえず言っているだけかもしれません」


 でも――。言葉を区切って、後輩ちゃんがこちらを向く。


「そうだとしても。せんぱいにそう言っていただけた。それだけで、わたしはうれしいです。ありがとうございます」


 目尻に、キラッと光るものが見えたような気がした。

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