第36日「せんぱい、わたしへのお願いは決めましたか?」

 * * *


 外が寒い。布団にくるまったまま、ぼんやりとしていた。


 結局、昨日のカラオケ勝負は、俺が勝った。そういうことになっている。

 色々と禁じ手を使ったとはいえ、勝ちは勝ちだ。俺は、後輩ちゃんにひとつだけ、なんでもお願いを聞いてもらえるらしい。その場じゃ全く思いつかなかったから、とりあえず、保留にしてもらっているが。


「慶太ー? そろそろいい加減起きたらー?」


 ぼーっと昨日のことを思い返していると、リビングの方から、母親の声が聞こえてきた。

 枕元に置いたスマホの画面を見ると、もう昼の12時だ。LINEのメッセージは、1件も届いていなかった。まあ、昨日遊びに行ったしな。今日くらいはゆっくりさせてくれ。


 のろのろと起き上がって、意外とすっきりしていることに気付き(いっぱい寝たからね!)、リビングに出ていった。


「今日もどこかに出かけたのかと思った」


 コーヒーメーカーのポットを手に取って、いつものマグカップに注いでいると、後ろから声をかけられた。


「毎日出かけてたら疲れちゃうし」


 ただでさえ平日は学校あるっていうのにさ。


「あら。その割には最近よく出かけてるじゃない。ほら、昨日も」


 うっ。


「何してたのよ。朝起きたらいなくてびっくりしたわ」


「ちょっと、カラオケに」


「ひとりで? そんなわけないわね。あの娘と行ったんでしょ?」


 うっうっ。


「べつに」


「恥ずかしがらなくてもいいのに。一人息子に、やっと来た春でしょ? もっと色々教えてよ。どこであんなかわいい娘捕まえてきたの?」


 うっうっうっ。


「付き合ってるわけじゃないっての」


「そんなこと聞いてないけど?」


 あっ。


「でも、あんなに仲いいのに付き合ってないのね。さっさと告白しなさいよ、男の子でしょ」


「その男が告白するべきって風潮嫌い」


「なんだかんだ言っても、女の子は頼れる男が好きなものよ」


「あいつに限ってそれはないわ」


 あいつの基準は、たぶん、ただひとつ。面白いか、そうじゃないかだ。あいつにとって。

 裏を返せば、あいつにとって「面白くなくなった」瞬間、あいつが俺に「飽きた」瞬間、今のこの関係は終わりを迎えることになる。


「あらあら、お熱いのね」


「うるさい」


 朝食兼昼食を食べて、部屋に引っ込んだ。


 * * *


まはるん♪:明日の朝、台風くるみたいですね

井口慶太 :マジで!?


 正午を過ぎた頃、せんぱいにラインをしてみたら、一瞬で返事が来ました。過去最速記録だと思います。


井口慶太 :うお、マジじゃん

井口慶太 :休みになるかな

まはるん♪:生徒会長に判断権あったりしませんか?

まはるん♪:わたしもおやすみがいいです


 ニュースを見ると、今日の深夜から明日の朝早くにかけて、関東周辺に来そうな感じです。


井口慶太 :あったら今すぐ休校のメール流してるわ

井口慶太 :そんな大それた権限があるわけないじゃん

まはるん♪:あら、ざんねん

井口慶太 :知ってて聞いたよな?

井口慶太 :俺をブルーにさせるために

まはるん♪:そんなつもりないですって


 わたしが入学してから、台風が直撃しそうなの、はじめてのことだと思います。


まはるん♪:ところで、どうなったら休校になる、とか規定あるんですか?

井口慶太 :なんだっけな

井口慶太 :9時の時点で暴風警報が出てたら休校だったはず

井口慶太 :メールが来る

まはるん♪:9時って

まはるん♪:授業はじまる時間じゃないですか

井口慶太 :矛盾だよな

まはるん♪:おかしいです


 そんなに休みにしたくないんでしょうか。学校として。

 そもそも台風が来ていて外を歩くのも危ないなら、休校でぜんぜんいい気がするんですけれど。家で遊べますし。


まはるん♪:まあ、とにかく

まはるん♪:明日やすみになるといいですね、せんぱい

井口慶太 :まったくだ

井口慶太 :逆さのてるてる坊主吊るして祈っとくわ


 何それ。かわいいです。


 # # #


 台風の存在自体は知っていたけれど、一週間で最も憂鬱な月曜日の朝に、それも直撃してくれるような経過を辿っているとは知らず、俺が勝手にテンションあげあげになっていると。

 後輩ちゃんから、質問が届いた。


まはるん♪:あの、せんぱい

まはるん♪:今日の一問です

井口慶太 :ん

まはるん♪:せんぱい、わたしへのお願いは決めましたか?


 それかー。

 何も決まってないんだよな。どれくらいの「重さ」の要求をするかってところから。


井口慶太 :まだです……

まはるん♪:いくじなしですね

井口慶太 :意気地ないです

まはるん♪:なんでもするって言ったのに

井口慶太 :それ一番困るやつだからさ……


 カラオケボックスにいたときには、その権利が欲しくてたまらなかったのに(というかむしろ、相手に渡さないのに必死だったのかもしれない)、今になってみると持て余している。

 自分が、何を彼女からもらっていて、何が今以上に欲しくて、どんなことを返してやればいいのか。それが、全くわからない。


井口慶太 :まあ、その、


 わからないままであーだこーだ言っていても、仕方がない。

 だから、俺は、自分に縛りを課すことにした。


井口慶太 :明日

まはるん♪:あした?

井口慶太 :明日、お願いするわ。後輩ちゃんに。俺のしてほしいこと


 30秒くらいの間が空いて、返事が来た。


まはるん♪:はい、わかりました


 本当に何も考えてないから、色々考えて、決めないとな。


 できたら、顔を合わせて、直接言ってみたい。そんな感情が、頭のなかで湧き上がった。

 顔を合わせる、なあ。明日、もし学校があれば、それこそいつものように、電車の中で会えるだろう。

 じゃあ、もし、台風で休校になったら?

 台風で休校になるってことは、当然、外出が危険だとして、生徒に注意を促しつつ、学校には来なくてもいいよ、と言っているわけである。

 俺が外出するはずがない。自然、俺が後輩ちゃんと顔を合わせるわけもない。


 それはそれで、寂しい気がした。

 台風なんて、来なければいいのにと、一瞬だけ思った。


 でも、やっぱり、学校は休みになってほしい。授業を受けるというのは、根本的に、疲れる所業なのだ。

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