第35日「後輩ちゃんは、どの手を出すんだ?」
# # #
遡ること12時間前。昨日の夜10時に、LINEが届いた。
まはるん♪:こんばんは
まはるん♪:せんぱい、明日あいてますよね?
まはるん♪:遊びにいきましょう
朝10時に、隣駅で集合と言われた。どこへ行くかはどうせ聞いても教えてくれないだろうから、もう聞かなかった。
休日の午前中に俺を活動させてくれるな。マジで。
そして、今。
まだ微妙に残る眠気を押し殺しつつ、隣駅の改札を出ていくと、もう後輩ちゃんはそこにいた。シンプルなニットが暖かそうだ。手に持った傘はいつもと違う白と黒のボーダーで、おしゃれである。
俺、傘なんて一本しか持ってないんだけど。まあいいや。
「よっ」
「待たせたか?」とか、「お待たせ」とかは、言ってやらない。休日の午前中に集合時間を設定するのが悪いんだ。俺は別に遅刻したわけじゃないし。
「待ちました」
と思ったら、自分からこんなことを言ってくる。相変わらず、したたかな女だ。
「俺も布団を待ってるからな。帰って寝直したい」
「だめですよ」
「せめて毛布くらい」
「そんなこといいながら、なんだかんだ来てくれるせんぱい、すきですよ」
ちょ。好きとか軽々しく言わないの。びっくりするじゃん。心臓がどくってなっちゃうじゃん。
と、まあ、普段と似たようなやり取りを軽くやってから、後輩ちゃんは歩き始めた。この、プチミステリーツアー、どうなんですかね。俺としては、どこ行くのかくらいは把握しておきたいというか、心の準備をしておきたいんだけど。
* * *
5分くらい歩いて、カラオケやさんに着きました。10時に開店なので、まだ混んでいないはずです。
「カラオケ?」
「はい、カラオケです」
「あの、
「そういう意味だったんですね」
知らなかったです。
「俺、先週も」
「カラオケ来たんですよね。おともだちと」
知ってます。
「じゃあなんで」
「わたしもせんぱいと行きたくなったからですよ?」
「あの……はい」
わたしの理由は理由になっていないですけれど、なぜか納得していただけたようです。
「せんぱい、DAMとJOYどっちがいいですか?」
受付で好みを尋ねられたので、せんぱいに聞いてみます。
「DAMだろ」
「じゃあ、DAMでお願いします」
部屋番号のプレートと、ドリンクバーのコップを受け取りました。
* * *
先週も来たんだよ。カラオケ。
こんなに短い間隔でカラオケに来たのは、はじめてだ。
部屋に入って、気がつく。
密室で、こいつとふたりきりになるのは――俺の部屋があったか。じゃあ、外の密室ってことで。カラオケボックスは密室じゃないか? 鍵かからないし。どうなんだろ。
でも、薄暗くて、ちょっと狭くて、そんな部屋で並んで座っていると(荷物を置いたりすると並んで座らざるを得なかった)、どうしても、隣の彼女のことが気になってしまう。
お互いの距離は、拳一個分くらいか。これが、今の、俺と後輩ちゃんとの距離だ。
「せんぱい? どうしたんですか、黙っちゃって」
「ん? ああ、いや、なんでもない」
こいつの前で、むやみに考え事をするもんじゃない。なんかニヤついてる。
「かわいい後輩とふたりだからって、変なことしちゃダメですよ?」
「はいはい」
あっぶねえ! 条件反射でかわいいかわいいって言いそうになったわ!
舌を噛んで、無理やり止めた。
「ちぇっ」
「ねえ、今舌打ちしたよね?」
「してませんよ?」
「いや絶対したでしょ」
「そんなはしたないことしませんよ」
「はぁ……もういい」
狭いので、普段よりも、後輩ちゃんの声が近くで聞こえる。
「ところでせんぱい。勝負しませんか」
「勝負?」
こどもの日に飾る……って、それは菖蒲。
「採点機能、それも『精密採点
「単純だな」
「あれこれ条件つけると、おたがいにめんどくさいと思いますよ? あら探しで」
「確かに」
「勝者は、『一日一問』みたいな感じの、ひとつだけなんでも言うことを聞かせる権利を得ることにしましょう」
「唐突にすごいの持ってきたね?」
「もちろん、常識的な範囲で、ですが」
「常識」って、便利な言葉だよなあ。
「せんぱい、よろしいですか」
「なんで勝負をすることになったのかを除いては」
「わたしがせんぱいと勝負してみたくなったからです」
「なるほど! 俺の意思は考慮せずってわけだね!」
「ここに来てる時点で消極的賛成だとおもってます」
それを言われてしまうと、何も言い返せない。
ぐっと詰まった俺を横目に見て、後輩ちゃんが嬉しそうに笑う。
「決まりですね。それじゃあ……どっちから入れますか?」
先攻は重要だ。先に歌った人が取った点が、今後のひとまずの基準になる。
色々奥の手はあるとはいえ、俺は歌に自信はあまりない。できれば、先に歌って、それなりの点数を最初に取ってしまいたい。
「先攻は大事だからな。公平に決めよう」
「じゃあ、じゃんけんですね。勝った方から入れましょう」
そ の 言 葉 を 待 っ て い た ! !
「よし」
合意は形成された。
心のうちで勝ちどきをあげながら、それを表情には出さずに、俺は聞く。
「『今日の一問』だ、後輩ちゃん」
俺と後輩ちゃんの間でじゃんけんをするときには、必勝法がある。
「後輩ちゃんは、どの手を出すんだ?」
そう。
「今日の一問」。絶対に、正直に答えなければいけない質問で、どの手を出すのか、聞いてしまえばよい。これで答えが何であろうと、それに勝てる手を出せば、必ず勝利を得られる。約束された勝利の拳だ。
* * *
うわあ……
せんぱい、じゃんけんに、どれだけ本気出してるんですか。そんなに先攻がいいんですか。
でも。質問のタイミングを意識し過ぎて、重要なことを忘れてますよ。
わたしの答えは、こうです。
「え、右手ですけど」
どの手を出す、としか聞かれていないんですね。わたしは右利きなので、じゃんけんではだいたい右手を出します。
せんぱいの意図はわかりますけどね。抜け道が見えていてなお、それに乗ってあげるほど、わたしはかわいくないですよ。
「お前なあ……」
あ。せんぱいが頭を抱えて、小さなテーブルにつっぷしてしまいました。
もー、誰ですかこんな風にしたの。わたしですね。
では、追い討ちをかけましょうか。
「ではせんぱい。わたしからも『今日の一問』です」
こう聞けばよかったんですけどねえ。
「せんぱいは、この後のじゃんけん、グー、チョキ、パーのうち、どの手を出しますか?」
「グー出します……抵抗します……拳で」
「わかりました」
それでは、お手を拝借。
「じゃーんけーん……」
こうして、わたしは無事に、先に曲を入れる権利を手に入れたのでした。
最初は……そうですね。盛り上がる感じの、これにしましょう。
# # #
後輩ちゃんの歌は、めっちゃうまかった。
ほんとに、ニコニコとかで歌い手してても違和感ないくらい。
声質は自由自在だし、音程も外さないし、感情も豊かだし。機械採点だとやはり音程メインだからかそこまで点数は伸びなかったが、それでも90点は超えていた。
「うまいな」
「うまいでしょ?」
「はいはいうまいうまい」
いや、正直、すげえわ。
というか、自信なかったらそんな勝負しないか。
んー。一曲目から90点出せる気はしないしなあ。どうしよう。
とりあえず、適当なアニソンかな。
# # #
こうして、何巡かが過ぎた。
今のところの最高点は、後輩ちゃんが最初に歌った曲。彼女はあれからずっと、アップテンポの曲しか入れていない。元気のいいのが好きなんだろうか。
俺はというと、適当な曲を歌うも、後輩ちゃんの点数を超えられない。これはもう、伝家の宝刀を抜くしかないか。
リモコンを操作する。画面に、次の曲のタイトルが浮かび上がる。
演奏時間、約1分。題名は、『海』。そう。童謡である。
誰もが知っている、童謡。普通のカラオケで歌うと大顰蹙を買うことになるが、まあ、今日なら許されるだろう。
それに、童謡は、子どもが歌うことを前提に作られている。つまり、歌いやすいメロディーラインなのだ。
現に、ほら。
92点が出た。後輩ちゃんの点数を、見事に抜き去った。
これで、今後、彼女が点数を伸ばさなければ俺の勝利になるのだが。
次に後輩ちゃんが入れた曲は、某アニメの2期のエンディング。テンポがゆったりとしていて、とても歌いやすいはずだ。
彼女が息を吸う音をマイクが拾って、部屋全体に吐息が響いて、なぜかぞくっとした直後。
後輩ちゃんが、本気で歌い始めた。
今までのはウォーミングアップだったんです、とでも言うほど、圧倒的な歌唱力。さっきが歌い手レベルだったとすれば、今度はもはやプロ級だ。喉からCD音源とは、このことを言うのか。
これは、負けてしまいそうだ。
諦める? いや、まだ手はある。
ただ、彼女の歌声が美しすぎて、それを崩すのが、もったいなく思ってしまう。
歌詞と歌詞の切れ目、間奏で、俺は仕掛けた。
後輩ちゃんの方を向いて、その美しい顔についた形の良い耳に、息をふーっと吹き込んだ。
「んっ!?」
背筋がぴんとなって、彼女の口から艶っぽい吐息が漏れた。その間にも、曲は進んでいき、そろそろCメロに入る。
歌い出しのタイミングを合わせて、もう一度吹き込む。ふー。
完璧だった後輩ちゃんの歌声が、乱れる。
ごめんな。でも俺も、負けたくないんだ。たまには勝ちたいんだ。さっきやり込められたばっかりだし。
また、何度か吹き込んだ。すると、俺の攻撃をこらえて歌い続いていた後輩ちゃんが、静かにマイクを置いた。曲はまだ続いているから、歌うのを放棄したことになる。つまり、点が下がる。
「せんぱい?」
なのに、素直に喜べないのは、彼女の声が先程までの歌とは様変わりしているからだろうか。
聞くものすべてを威圧するような、そういった圧を含んでいるように感じた。
「はい」
「そういうことするってことは、わたしにもそういうことされても構わないってことですよね?」
顔面に貼り付けられた笑顔が、一周回って怖い。
「ごめん」
「謝って済むなら警察はいらないんです。覚悟してくださいね?」
彼女は俺の膝の上にまたがってマウントを取ると、俺の脇の下から、思いっきりくすぐり始めた。
ぞくぞくとした感覚が背筋から脳へと駆け上がって、すぐに何もわからなくなって、ソファに倒れ込んでしまった後は、上半身を這い回る彼女の手の感触だけを感じていた。
くすぐりは、頼んでおいたポテトを持ってきたカラオケ屋の店員がドアを開けてくれるまで続いたらしい。気がついたら、テーブルの上にポテトが乗っていた。
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