第18日「せんぱいの誕生日、いつですか?」
# # #
ホームで電車を待っていると、首筋にひんやりとした何かが押し当てられて、思わずのけぞってしまう。これ、俺は若いからいいけれど、腰を悪くした人にやったらただのテロだよな。
例によって、こんなことをしてくる奴なんてひとりしかいないわけだ。
振り向くと、ピンク色の水筒を右手に、今日も後輩ちゃんは不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「おはようございます!」
「びっくりするからやめようぜ、おはよう」
「だってせんぱい、ぼーっとしてるんですもん。ちょっかい出したくもなりますって」
「その思考回路が謎だ」
「ぜひ解き明かしてください」
「自分でそれ言う?」
電車が来て、プシューと音を立ててドアが開いて。
今日もいつもの場所に収まって、後輩ちゃんが話を始める。
「さて、せんぱい。今日わたしは、機嫌がいいんですよ」
「なんだよ、いいことでもあったの? 彼氏ができたとか」
最近、ほんとにいじられてばっかりの気がする。たまにはこちらからもいじってみたいと思った。
「彼氏ができるのがほんとうに『いいこと』なのかはともかく、ちがいます」
するりとかわされてしまう。
しかも、なんか俺みたいな逸らし方だな。
「一理あるな」
学生の間に恋人を作ったとして、そのカップルが幸せなゴールインとか、その先に添い遂げるまで行ける確率は、まあたぶん、ごくごく低いと言わざるを得ないんじゃないか。
「でしょでしょー」
えへへ、と笑う後輩ちゃん。
「で、どうした」
「じつはですね、今朝、テレビを見てましたら」
なんだなんだ。
「星座占いで1位でした!」
「占いかよっ!」
「ラッキーカラーは
かばんから臙脂色? オレンジ色? のハンカチを取り出して、こちらに見せてくる。
「どうでもいいわ、占いなんて」
「まあ基本どうでもいいですけど、面倒な時には便利ですよ?」
首をちょっと傾けて、彼女は続ける。
「ほら、何色がいいかなーとか迷った時、占いでラッキーって言われたの☆って言っておけばだいたいおさまりますし」
「ほー」
「感心しました? 褒めてくれてもいいんですよ?」
「はいはいすごいすごい」
棒読み。
「まったく、素直じゃないんですから」
「素直に褒めてるじゃん」
「そういうところが素直じゃないんですって」
* * *
「それじゃあ、『今日の一問』ですせんぱい」
今日は過激なことを聞くつもりはありません。
安直に、流れに沿って、まあそれでもだいじなことを、聞こうと思います。
「せんぱいの誕生日、いつですか?」
「誕生日がわかれば星座もわかるって寸法かい」
「はい、そうです」
「今月の27日だよ」
んーと。
「10月ってことは、てんびん座ですか? あ、でも後ろの方ってさそり座でしたっけ」
「さそりだな」
「腹に一本針を抱えてそうなせんぱいにぴったりの星座ですね♪」
「お前、ぜったい他の星座でもそんな感じのこと考えてただろ」
「いやいや、ぴったりだと思いますよ。ほんとうに」
「いいや、ぜったい違う」
「というか、もうすぐじゃないですかせんぱい。えっと、17になるんですか?」
わたしが今15ですから、そうなります。
「まだ選挙は行けないな」
「そうですね。お祝いしてあげますよ。飴あげます」
「ケーキじゃなくて飴かい」
「飴を雨あられと降らせてあげます」
適当におはなしを進めていたら、気がついたらこんな言葉が口から飛び出していました。
せんぱいのつまらないネタが、
「痛そうだな。というか、あられってお菓子もあるよな。ひなあられとか」
「じゃあそれもあげます。ほんとに飴あられですね」
「なんかもうよくわかんなくなってきた」
「わたしもです。とにかく、適当にお祝いしてあげますよ」
「なんだろう、お祝いされるのにありがたくない」
「心を込めてお祝いさせていただきますから」
「期待しないで待っとくわ」
「はい。期待しないでください」
「自分で言うかそれ?」
なんで星座を聞いたんでしたっけ。
あ、そうそう。えっと、さそり座の順位は……覚えていられるはずもないので、スマホで写真を撮ってきたもので確認します。
んーと。
「せんぱい、ところで、今日のさそり座の運勢は8位でしたよ」
なんか中途半端な順位ですね。
「喜ぶには低すぎるし、落ち込むにも下にあと3分の1もいると思うとめっちゃ複雑なんだけど。どうリアクションしたらいい?」
「そのリアクションで十分ですよ」
それに。
「わたしとの差をとったらラッキーセブンになりますから、今日のわたしとせんぱいの関係はラッキーですよ?」
「斬新だなその見方。関係性がラッキーって、どうラッキーなんだよ」
「何かいいことがあるんですよきっと」
「具体的には?」
「いつもより簡単に飴がもらえます」
「だからいらないっつってんだろ。俺にとってはアンラッキーじゃ」
「雨が降ってきても傘に入れてもらえます」
「お前折り畳み傘持ってるだろ」
「いたずらされません」
「出会い頭に思いっきりされた!」
「こんなところでしょうか」
「普段と変わらないってことがよくわかったわ」
そうです。普段通り。
この普段通りの関係性が続いていくことが、ラッキーなんですよ。きっと。
# # #
「それで、後輩ちゃんの星座は何なの? 結局聞いてないし。『今日の一問』で」
「わたしは、いて座ですね。12月の12日です」
「なんかきれいな並びだな」
そんなきれいな並びから、こんなに腹黒い子が生まれてきていいはずがない。
「せんぱいと、おとなりですね♪」
「え、そうだっけ」
10月後半と12月前半。
星座的には、おとなりになるらしい。
近いんだか遠いんだかよくわからない、今の俺たちの関係を表すには、ぴったりかもしれない。
「つーか、いて座とさそり座か、よりによって……」
「なんですか?」
「なんでもない」
せめて、逆ならよかったんだけど。
こともあろうか、見事に後輩ちゃんがいて座で、俺がさそり座なわけか。
運命のいたずらってほどではないにしろ、この世の中ってものは、局所的にはほんとによくできている。
「えー、気になります」
「だからなんでもないって」
目を逸らしても、逸らした方向に後輩ちゃんがつつつっと寄っていく。
「教えてください」
「ダメだダメだ。どうしても教えてほしけりゃ『今日の一問』を使え」
「もう今日の分使っちゃいました」
「だからダメ。明日でいいじゃん」
「明日になったらどうでもよくなってるに決まってます」
確かに。
「教えてください。教えてくれなければ、また背中くすぐりますよ?」
えっ。ちょ?
「それは卑怯」
「せんぱいの聞き分けが悪いのがいけないんですよ? まったく」
後輩ちゃんは俺の肩をつかむと、ぐぐっと180度回転させようとする。
さすがに電車の中なので、そこまで力は入っていないけれど。そういうポーズをしている。
「ほら、せんぱい? 観念してください」
これ以上やると、さすがに周りにも迷惑がかかってしまいそうだ。
俺がちょっと恥ずかしいだけだし、折れるべきか。
「はいはい。話すから離せ」
手を放してくれた。
「星座は詳しい?」
「あんまりです」
「さそり座の一等星は?」
「アンタレスですっけ」
「知ってるじゃん」
小学校で習うからな。「あれがデネブアルタイルベガ」の次に覚える一等星でしょう。
夏は星の観測がしやすいから、自由研究にもぴったりだ。
「じゃあいて座の一等星ってなんですか?」
「そんなものはない」
一番明るい星でも二等星なんじゃないか、あれは。
「そうでしたっけ。せんぱいに負けたのは悔しいですけど、まあいいです。それで、アンタレスが何か関係するんですか?」
「まあ関係するっちゃするな」
うん。というか核心だわ。心臓だけに。
「いて座とさそり座が隣って話、したじゃん?」
「はい」
「いて座がどういうポーズか知ってる?」
「あの、ほら、『イテッ』みたいな」
彼女はおでこを押さえて、何かにぶつけたようなポーズをとった。
「んなわけあるか」
「やっぱりちがいますか」
「違います。
厳密にはケンタウルスなんだけど、そこは本題じゃないので。
「はい」
「その弓が狙う先がな、」
「さそり座なんですか?」
さすが後輩ちゃん、話が早い。
これなら、この路線で誤魔化せるか?
「ああ。
「わたし、そんなに尻に敷いてる自覚ないんですけど」
「さっきも無理やり話させたし、十分でしょ……」
「それだけなんですね。やっぱり『一問』使わなくてよかったです」
「だろ?」
俺もよかったよ。『一問』使われなくて。
この話には続きがあってだな。
射手の持つ弓の狙いは、夏の夜の低い空に赤く大きく輝く、
そんな関係から、俺の
『一問』が使われたら正直にぜんぶ言わなきゃいけない決まりだからな。逆にいえば、そうじゃなければ一から十まで話さずとも、五くらいで止めてもいいわけだ。
こんなこと言った日には、恥ずかしすぎて、家帰ってから布団でばたばた悶絶するところだった。
うん。よかった。
めでたしめでたし。
# # #
家に帰って、かばんから筆箱と教科書を取り出して、思い出した。
昨日あれほどやっておいて、後輩ちゃん、「トリック・オア・トリート」言ってこなかったな。肩透かしかよ。
お菓子、ちゃんとかばんに入れておいたのに。
ま、10月はまだ始まったばかりだ。どうせ俺の気が抜けた頃に、また仕掛けてくるに違いない。
それまでは、かばんの中に入れっぱなしにしておこう。
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