第17日「でもせんぱい、実はそっちの方がおもしろそうだとか思ってますよね?」

 # # #


「おはようございます。せんぱい、お菓子ください」


「は?」


「だって、10月中はハロウィンなんですよ? お菓子くれなきゃいたずらします」


「お菓子くれも何も、俺は普段菓子を持ち歩く習慣がないんだが」


「ダウトです。誰だって飴のひとつやふたつ……あっ」


 そう。俺はキャンディが好きじゃないのだ。

 だから、ふとした時の「飴いる?」みたいな習慣がわからないし、サクマドロップスのハッカ味はハズレ、みたいなネタもわからないし、なんだか人生損してる気がする。


「町中で急に甘いものが食べたくなった時、どうするんですかせんぱい」


 えええ。


「それってそんなに高い頻度で発生することだっけ」


「わたしは早めに飴舐めちゃいますからあまり発生しないです」


「それ発生してるよね。早めに糖分補給って登山家かよ」


 山登りの時には、水は一口ずつ、こまめに、喉が乾く前に飲むといいらしいぞ。

 その時に水を噛むようにするとちょっとの水でも満足感が高いそうだ。小学校で習った。


「飴封印されたら……ああ、ガムがありますね。でもちょっと違うかなあ。で、どうなんですせんぱい」


「この間はコンビニでどら焼き買った」


 どら焼きと言った瞬間、後輩ちゃんが大きく息を吐いた。


「渋い……和菓子ですか。まあお似合いですよ」


 なんだろう、何も悪いことは言われていないのに、けなされたような気がする。


 * * *


 どら焼き、ですか。

 和菓子って全体的に、やさしい甘さって感じですよね。最近食べてないなあ。


「そういうことで、お菓子をいただけないので、いたずらしますねせんぱい」


「ちょっと待ったその話続いてたの!?」


「誰も中断するとは言ってませんし。それじゃあせんぱい、後ろ向いてください」


「なあ後輩ちゃんよ。『後ろ』って何だろうな」


 急に真面目な顔を作って、かばんからさっと電子辞書を取り出して、せんぱいは語り始めます。


「辞書だと『物の正面・前面と反対の側』ってあるけどさ、要するにこの状態で、こっちが『後ろ』なわけだろ?」


 わたしと向かい合った状態のせんぱいは、肩越しにわたしと反対を指差した。


「はい」


「で、この状態で180度体を回転させると、確かにさっきの時点での『後ろ』を向いたことになるわけだけどさ、そうしたら、その時点での『後ろ』は後輩ちゃんの方に変わっちゃうわけだ」


「代名詞が多くてわかりづらいです」


「つまりあれだ、『後ろ』を向くと『後ろ』が『後ろ』じゃなくなるって言いたいんだよ」


「もっとわかりづらいです」


「そこで、だ。『後ろ』を変えないまま『後ろ』を向くにはどうすればいいか。正面を変えずに目だけ後ろを向けばいい」


 せんぱいは言葉を切ると、肩越しに『後ろ』を見るように、首だけをぐいっとひねった。


「つまり、こう」


 せんぱいの顔自体も少し傾いていて、もし反対側から見たら、この間見に行った『打ち上げ花火』のイラストと同じになりそうなポーズを取っています。

 そんなに、わたしに背中を見せたくないんでしょうか。


 # # #


 こいつから視線を外した日には、それはそれは無慈悲ないたずらをされてしまうに決まっている。わざわざ「いたずらしまーす」って言うくらいだから、相当なものだと思った。

 だから、その、いわゆる「シャフ度」みたいなポーズでお茶を濁そうとしたのだけれど。


「はい。時間稼ぎは済みましたか? じゃあ、『背中を私に向けてください』」


 ところがどっこい・・・夢じゃありません・・・・・これが・・・・・・現実ッ!


「そもそも、俺が後輩ちゃんの指示に従う必要はあるのか?」


 ノリに流されて今度こそ背中を向けそうになったけれど、よくよく考えてみれば、そんな話はしていなかった、はず。


「お菓子くれなかったせんぱいはわたしに従う義務があるんじゃないですか?」


「お菓子をくれないといたずらしちゃうぞ、というのは、ハロウィンとはそういうものだという、大人と子供と双方の合意が形成されていて、なおかつそれでも大人が菓子を用意していなかった時に世間が下す罰を定義したものと言えるんじゃないか。そういうことなら、俺は今日がハロウィン扱いされると十分に認識していなかったから、俺に否はないことになる」


「でも、わたし昨日ハロウィンって言いましたよね? あと、最近かぼちゃのスタンプ送りまくってるんですけど」


 ぐぬぬ。


「いいや。10月中がハロウィンならまだまだ先は長いんだ。だったら今日くらい――」


 後輩ちゃんが、声を被せてくる。


「――今日くらいいたずらしてもいいですよね? どうせ、せんぱいは明日になったらきちんと用意してきてしまうんでしょうし。だいじょうぶですよ、大したことはしませんから」


 ぐぬぬぬぬぬ。


「はあ。しかたないせんぱいですね、まったく」


 ちょっと思案顔になっていた後輩ちゃんは、恐るべきキラーパスを放ったのであった。この場合、キラーシュートって言った方が適切か?


「じゃあ、『今日の一問』です。でもせんぱい、実はそっちの方がおもしろそうだとか思ってますよね?」


 いたずらのために『今日の一問』を乱用するなって。


 こうなった以上、俺は、正直に、誠実に、彼女の質問に解答しなければならない。


 まあ、答えは自明だ。


「はい……」


 何もしないのと、どちらが「面白い」かと聞かれたら、そんなの、未知の方に決まっている。

 一月前には名前も知らなかった後輩に背中を向けて、どんないたずらをされるのかわくわくする方に決まっている。なんか、文章にするとすごくMみたいな感じだな。なんだよ、いたずらをされるのにわくわくするって。


「じゃあせんぱい、後ろ向いて……じゃない、背中向けてください」


 そして――

 何かぞくぞくとしたものが、俺の背中に生まれて、そのまま一気に背筋を駆け上がった。


 体がびくんと震えて、脳には微妙な気持ちよさと不快感が混ざって、肛門がきゅっと締まるのがわかる。思わず、声が漏れてしまいそうになった。さすがに電車の中なので堪えたけれど。

 

 彼女の「いたずら」は、指で背中の中央、背筋をなぞる。ただそれだけだった。

 それだけなのに、彼女の細くてひんやりとした指が、シャツの上から俺の背中をなぞるたびに、未知の感覚が俺の体に溢れていく。

 気持ちいいのか、それとも不快なのか、それすらわからない。

 わかるのは、これが今までに経験したことのない部類の感覚であることと、これをされてしまうと、俺は相手に逆らえなくなってしまうんじゃないかということ、このふたつだった。


「あれ、せんぱい? ぷるぷる震えてますし、耳真っ赤ですよ?」


「やめろ……って言ってもやめないんだろ?」


 これいつまで続くの。


「せんぱい、嫌じゃなさそうなので」


「確かに……んっ……嫌じゃないけど、なんかダメに……んっ……なりそうな気がする」


 人がしゃべってる間もくすぐり続けるのやめて。


「せんぱいはもともとダメ人間なので問題ないですよ」


「そっかー」


 何分くらい、続いたのだろうか。

 実際は1分くらいだったのかもしれないけれど、俺には、5分にも10分にも感じられて、ようやく彼女は満足したのか、手を止めてくれた。


 * * *


「えー、せんぱい、こんなに背中弱かったんですね」


 昨日は耳もとの声にも反応していたりしたので、そもそもくすぐったがり屋さんなのかもしれません。


「いつか仕返ししてやるからな……」


「わたしでやる時は、ブラのひもにひっかからないように注意してくださいね?」


「ちょ、女の子が町中でそんなこと言うもんじゃありません」


「えー、これくらいふつうですよ」


「そうなの?」


 うーん、わたしにもわかりません。


「きっとそうです」


「きっとって何だよ……」


 やっと落ち着いたようで、ようやく元の体勢に戻ったせんぱいは、咳払いをひとつして、こう言いました。


「トリック・オア・トリート!」


 それは予測済みですね。ざんねん。


「キットカットです」


「キットカットかよ……」


「わりと前から入ってるのでとけてるかもしれません」


「融けたら対義語になって、『必ずきっと接着カット』だな」


 つまらない洒落を言いながら、せんぱいはチョコレートを開けました。中身は無事なようです。

 そしてそれを、せんぱいは躊躇なく口に放り込みました。いいですよね、男の人は。体重とか気にしなくていいんですから。


「ごちそうさま」


「いえいえ」


 # # #


 チョコ……チョコかあ。

 女の子からチョコをもらうにしては、ざっと5ヶ月くらい早いような気がするけど。5ヶ月になっちゃうと、もう「約半年」と言っちゃった方がいいくらいかもしれない。

 

 さっき散々いじってくれたお礼だ。今日の質問は、こうしよう。


「『今日の一問』だけど、いいかな」


「なんですか、改まって」


「来年の2月14日にも、こうやってチョコをくれますか?」


 半年後、俺たちの関係はどうなっているのだろう。

 冬休みは短いし、顔を合わせないってことはないと思うけれど。今みたいな雰囲気が続いているのか、何かの拍子に喧嘩して話もしなくなっているのか。

 それとも――もしかしたら、もっと親密になっている、そんな未来もあるかもしれない。

 どちらにせよ、「これからも仲良く通学してくれますか?」くらいの、ちょっとした確認のつもりだったのだけれど。


「えへへー、そんなこと気にしてたんですかせんぱい。もちろんあげますよ、安心してください」


 彼女からの返事は、想像以上のものだった。


「義理チョコか、それとも本命になるかは、せんぱい次第ですけれどね♪」

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