第12日「せんぱいが嫌いな食べ物と飲み物は、なんですか?」

 # # #


「せんぱい。提案です」


「何だよ、また」


 今日も普段通りの場所に落ち着いた、後輩ちゃんが言う。


「昨日、大惨事になったじゃないですか」


 忘れもしない。「頭の悪い会話」をしようとして、俺がはじめに想像したのがバカップルみたいなやつで、なぜかいきなりやってみることになって、お互いに致命傷を負ったあれだ。


「変なことをするからいけなかったんです。ふつうの会話をしましょう」


「ふつうって、何だろうね」


「いつも通りってことじゃないですか」


「いつもってほど、俺たちまだ会話してないと思うんだけど」


「どれくらいですか? 2週間経ってます?」


「今日でちょうど、じゃないかな」


 こいつが話しかけてきたのは、確か木曜日だった。


「で、いつもって何だ。まだそれほど固まってなくないか」


「まあ、そうですけど」


「どういうことだよ」


 あ、でも、後輩ちゃんがドアの横、座席の端の部分に立って、俺がそれの一歩通路側に立つ、この位置関係は「いつも通り」かもしれない。

 この路線はそこまで混み合うことはない。せいぜい、人が多くても座席が全部埋まるくらいだ。立つ場所は選べる。


「だから、いつも通りに『今日の一問』を質問しますね」


「はあ……」


「せんぱいが嫌いな食べ物と飲み物は、なんですか?」


「またえらくベタなところを」


「ふつうに質問してみました」


「好きな食べ物聞いてきたのってだいぶ前だよな? その時まとめて聞いてもよかったんじゃないのか」


「まあいいじゃないですか。早く教えてくださいよ」


 うーん。嫌いな食べ物かあ。


「飴、とか」


「あめ、ですか」


「うん。キャンディな」


「そりゃまたどうして」


「小さい頃、飴玉口に入れたまま本読んでたら、母親に『虫歯になるわよ』って散々脅されてな。そのトラウマか何か知らないけれど、なんか苦手になった」


「他の甘いものは大丈夫なんですか?」


「本を汚すのが一番嫌だったからな。飴以外は本とは離れて食べてた」


 逆に言えば、本を読みながら摂れる甘味は、キャンディしかなかったんだけれど。

 今? 読書する時は読書に集中するようになりました。


「他にはないんですか、嫌いなもの」


「トマトジュースがだめだな」


「トマトは?」


「ぜんぜんOK、むしろあのぷっちん感が好き」


「なんでトマトジュースだけだめなんですか……」


「あのドロッとした感じ、かなあ。『トマトから抽出しました!』みたいな、原型をとどめていないのに確かに残留思念はそこにある感じが」


「わからないです……」


「食べ物の好みばっかりは色々あるよなあ」


 とはいえ、俺はこれでも、好き嫌いの少ない方だと思っている。

 嫌いとはいえ、飲めと言われたら飲めるくらいではあるもん。


 * * *


「後輩ちゃんこそ、嫌いな食べ物と飲み物はあるのか? 『今日の一問』だけど」


 せんぱいも、ふつうに、至ってオーソドックスに、わたしと同じ質問を返してくれました。


「パセリです」


「オランダゼリだ!」


「和名ですか。そんな名前なんですね」


 ああ。思い出したら、腹が立ってきました。


「昔、女子でごはん行った時にランチのお皿にパセリが乗ってて、その中の誰かが『パセリって栄養豊富で健康にいいらしいよ~♪』みたいな無責任なことを言い出したのがいたんですよ。で、みんなでせーのでぱくって食べてみようって。わたし、それまでパセリは食べたことがなかったんですけれど、もう口に入れた瞬間ひどくって、ああ、これは人間が食べるものじゃないな、と。苦くて青臭くて固くて。こんなのは野菜として認めないと、その時に誓いました。あんなの皿に乗ってるだけで十分ですよ」


「まとめると、あれか。苦いのできらいでーす、てか」


「わたしの名演説を一言でまとめないでくださいよ」


「まあまあ。でもパセリ農家もかわいそうだよなあ。丹精込めて作り上げたパセリも、ほとんど食べられずに捨てられちゃうんだから」


「生のパセリはあれですけど、乾かして細かく切り刻んだものがスープに浮かんでることありますから、そっちで心の平穏を保っているんですよ、きっと」


「何そのおしゃれなやつ。俺そんなの知らない」


「クルトンといっしょに浮かんでません?」


「そもそもクルトンってなんですか。シャーペン?」


「それはクルトガじゃないでしょうか」


「ホテル?」


「リッツ・カールトンのこと言ってます?」


 はぁ。


「食パンをサイコロ状に小さく切って、揚げた、みたいなものです。スープとかサラダによく入ってますよ」


「ああ、あのふやけたやつか」


「ふやけたって……」


 言い方があまりにも雑すぎやしないでしょうか。


 # # #


「じゃあ、嫌いな飲み物は?」


「ジャスミンティーです」


 即答だった。


「はあ」


「女子で集まって『わたしジャスミンティーにする』『あー、じゃあわたしもー』とか言って、わたしが嫌だから別なのにしようとしたら『えー、まはるもせっかくだからいっしょのにしようよー』とか言って強引にみんなで注文を合わせて『デトックス効果あるもんねー』じゃないんですよ、まったく」


 目の前の後輩ちゃんから、変にどす黒いオーラが出ている。


「そもそもデトックスってなんですか解毒ですかそんなに毒溜まってるんですかお茶のほんの一杯でその腹の中にいっぱい抱えた毒が全部解毒されるといいですね、他人に同調圧力かけてまでいっしょに頼んだ飲み物おいしいですかすごいですね」


「大変そうだな」


 女子の世界って、やっぱり、怖いんだな。


「『嫌いだから』とかきっぱり言えないくらいの浅い関係だとこうなっちゃいますね」


 ひとしきり愚痴を放出したからか、顔が明るくなっている。

 よかった、のか?


「ジャスミンティーって緑茶ベースなんだってな」


「そうなんですか?」


「それも知らずに嫌いって言ってたのか」


「嫌いだから知らないんですよ。緑茶がもとなら、カフェインも入ってるんですね。デトックスどころか毒を取り入れてるじゃないですか、やっぱり。麦茶最強です」


「麦茶好きだったな、そういえば。俺はコーヒーとかけっこう好きなんだけどなあ」


「え? コーヒー好きなんですかせんぱい。あの苦いだけの真っ黒い液体が?」


「言い方もうちょっとおとなしくしよ? 別に苦さ悪くないでしょ?」


「苦いの、嫌いです」


「人生は苦難しかないぞ、きっと」


「甘い人生ってないんですか」


「それは一部の成功者の話じゃないかな」


 そんな人も、苦労くらいはしてきてるんだと思うけど。


「ちょっとでも甘い人生を送るために、今苦労して、朝早起きして、学校で勉強するんだよ、きっと」


「こういうときばっかり決め顔してせんぱい面しないでください。今日はふつうの会話で、まじめなはなしじゃないはずです」


「普通の会話が真面目な話を含んじゃいけないと誰が決めた?」


「あー、もう! そういうの禁止です。ほら、降りましょう」


 気がつくと、俺たちの乗った電車は学校の最寄り駅に着いていた。

 あと2日間の授業を乗り越えれば、週末の休みがやってくる。今日もがんばろう。

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