第11日「『頭の悪い会話』って、どんなのを想像しますか?」

 # # #


 後輩ちゃんの「校則をいっしょに変えてみませんか?」という問いに、俺は答えを返さなかった。

 疑問形である以上それは質問であり、質問であるならば『今日の一問』を除いてはそこに正直な解答を返す義務は存在しない。


 そう自分に言い聞かせて、俺は答えることをしなかった。

 逃げた、と言ってもいい。


 正直、自分の中でも曖昧なのだ。

 そんなことが本当に可能なのか。

 可能だとして、やる意味はあるのか。

 校則が改正されたとして、その後俺はどうなってしまうのか。


 このあたりについて、考えの深さが足りない。時間が足りない。

 だから、質問に沈黙を返し、保留というメッセージを送る他なかった。


 ……最初はイヤホン落としただけだったのに、どうしてそれがこんなややこしい話になったんだ?


 日付が変わって、水曜日になったけれど、まだ返事はできそうにない。

 あ、でも、もし『今日の一問』使われたらちゃんと解答しないといけないのか。どうしよう。


 # # #


「おはようございます!」


 最寄り駅に着くと、右手をおでこの前に持っていって直立不動の状態になった後輩ちゃんがいた。


「なんで敬礼?」


「生徒会長であられる井口慶太せんぱいに敬意を払おうと思って、であります!」


 名前覚えてたんだな……ホームページで見つけたって言ってたし、そりゃ記憶してるか。

 対する俺はというと、こいつの上の名前が思い出せない。下は毎日LINEで「まはるん♪」って書いてあるから覚えてるんだけど。

 思い出せないとこいつに言い返せないじゃないか。なんだっけ。

 えーと。

 「真春」なのにすごい秋みたいな名字だった印象がある。秋って今じゃん。9月……10月……

 読書の秋、違う、スポーツ、違う、食欲の秋……なんかこれだった気がする。

 栗、キノコ、新米……

 あーそうだ。コメだ。米だ。

 思い出した。


「そうか。ご苦労。米山中尉」


 階級は適当である。


「中尉と会長ってどっちがえらいんですか?」


「そもそも軍隊に会長って役職は無いからな?」


「じゃあ隊長でいいです」


「隊長にも小隊だの中隊だのあるんだけど」


「わたしたち高校生なので、高隊こうたいにしましょう」


「いや、小中と来たらふつうは大だからね」


 女子のミリタリー知識ってそんなものなの? ボケてるだけなの?


「へー、だいたい・・・・大隊なんですね、わかりました」


 真面目な顔して、だじゃれを言ってくるものだから吹き出しそうになった。耐えた。


「大隊長ってどれくらいの階級なんだろ。調べるか」


 スマホで検索する。ググればわかることはすぐググってしまう方が、精神衛生上よい。


「ほう。だいたい・・・・少佐らしいぞ。大隊長」


 後輩ちゃんが、ゆっくりとこちらを向いた。


「二番煎じってつまんないですよね、少佐」


「真顔で言わないでくれ、だいぶ傷つくから」


代替だいたい品を要求します」


「お前も二番煎じじゃねーか!」


 * * *


 わたしは軍隊のことはよくわからないですけれど、結局は会長の方がえらいみたいですね。


「今日はどうしたんだよいきなり。なんかいつもとノリが違うぞ」


 電車に乗って、いつもの位置に落ち着くと、せんぱいが文句を言ってきました。まあ、さすがに気付きますよね。


「わたし、思ったんですよ。ここ数日、まじめな会話ばかりして、ちょっと息が詰まるなあと。おもしろいし、楽しくないわけじゃないんですけれど、まじめなおはなしばかりだと疲れちゃうなあって」


「それは……確かに」


「なので、今日はまじめな会話はしません。バカみたいなおはなしをしましょう」


「バカみたいなお話、ねえ。さっきの『だいたい』みたいなやつ?」


 実際、バカみたいな会話ってどんな会話なんでしょうね。

 こんなことを考えているから、バカになりきれないんですよ、きっと。


「あれもあれで、語彙力とか機転とか必要だと思いますけど」


「どうせ俺には機転が足りないですよーだ」


 そんなことは言ってないんだけどなあ。


「まず、バカって何だ?」


 せんぱいが哲学者みたいなことを言い出してしまいました。


「そんなこと言っちゃうとバカな会話になれないじゃないですか、せんぱい」


「ええ、バカな会話するの……」


「バカがだめなら、『頭が悪い』でもいいですよ」


 そういえば、今日はどう『一問』を使おうか考えていませんでした。ここで聞いてみましょうか。


「もっとわかんねぇよ……」


 # # #


 ここ数日真面目なことばかり話していたから疲れちゃった、これはわかる。

 だったらバカな会話をしましょう、これがわからない。


「はい、せんぱい。『今日の一問』です。『頭の悪い会話』って、どんなのを想像しますか?」


 わからないわからないって言ってたら、わからないなりに解答を強制されてしまった。まあ、昨日の件について聞かれるよりはマシか。

 「頭の悪い会話」ねえ。

 頭が悪い「会話」っていうと、なんか、普通に会話できるのにあえて悪くしてる感じがするよね。

 どんなシチュエーションだそれ……って、ひとつ思いついてしまった。


「……せんぱい?」


 うわー、でもこれ言いたくねえ。絶対いじられる。でも契約は契約だしな……


「あの、あれ。バカップル、みたいな」


「はい?」


 思ったより、自分の喉から出た声は小さかった。耳が熱い。


「だから、バカップルみたいな会話。なんかもうお互いしか見えてない感じで、固有結界が構築されてる感じの」


「あー、バカップル……って、カップル!? バカなカップル? せんぱいそんなの想像したんですか!? このおませさんめー」


「おませさんって、俺は小学生ですか」


「恋愛経験はきっと小学生レベルですよね、せんぱい」


「残念」


「え? あ、中学生レベルですか。キスまで、みたいな」


「小学生レベルも行ってないから安心しろ」


 女の子と手を繋いだこともないぞ! すごいだろ!


「ああ……なるほど」


「ところで、俺の『今日の一問』だけど。後輩ちゃんはどう思うんだ? 『頭の悪い会話』って」


 右の人差し指をおとがいに当てて、一瞬考える素振りを見せた彼女は、俺に横顔を見せ、作った声でこう言った。


「ばなな!」


「それTwitterの『頭の悪い人』でしょ」


「だから、何に対しても『ばなな』って返すような会話じゃないですかね」


「それ『会話』っていう? 成立してる? ことばのドッジボールになってない?」


「確かに成立してないです。会話じゃないですね」


 今日は会話の展開速度が早い気がする。

 ここまで話し込んだのに、まだ、3つ目の駅である。


「それじゃあ、せんぱい。せんぱいの思う『頭の悪い会話』、やりましょうよ」


 はい?


「最近まじめなおはなしをしすぎなのは事実です。だから、やってみましょう」


 何を言っているんだ、こいつは?


「はい、ドアが閉まったら始めますよ。次の駅までです」


 彼女がこう宣言するや否や、ドアが閉じられた。

 その瞬間、後輩ちゃんが俺の左手に指を絡ませて、ぐいっと引っ張る。もしかしなくても、恋人繋ぎというやつだ。


「ちょ、何を」


「せんぱーい♡ わたし、かわいいですか?」


 はじめて耳にする、甘ったるい、砂糖成分マシマシの声で、彼女は話しかけてくる。

 俺の鼓膜から糖分が吸収され、脳細胞に浸透していく。そんな錯覚を覚えるくらい、声が頭の中に響いている。


 長いまつ毛が縁取る、ほんのりと潤んだ眼。自然な血色を示す頬の肌はニキビひとつない。

 そして、彼女の声が発せられる桃色の唇から、俺は目が離せなくなってしまった。


 これを、「かわいい」と言わずに何と言うのか。


「ああ、かわ、いい、ぞ」


 途切れつつ、「かわいい」と言い切った瞬間、体全部が熱くなって、心臓がドキドキを超えてバクバク言い始めた。


「ふふっ。ありがとうございます、せんぱい。わたし、世界で何番目にかわいいですか?」


「世界で一番、かわいい」


 「かわいい」と言うたびに、恥ずかしさと高揚感とかがい交ぜになって押し寄せ、俺の思考をオーバーフローさせていく。

 何も考えられないけれど、幸せなことだけはわかる。


 * * *


 ちょっと手を掴んで、ちょっと顔を近付けて、ちょっと作った声で話しかけるだけでこんなに赤くなっちゃうんだから、せんぱいはかわいいです。

 

「わたしはせんぱいがだーいすきで、すきで、すきでたまらないんですけど、」


 「だいすき」と言った瞬間に、「かわいい」と言われるたびに、何かが体の中を上から下まで通り抜けて、幸せなのと居心地の悪いのとが入り交じったような感覚がして、ほっぺと耳が熱くなります。

 これ、けっこう恥ずかしいですね。


「せんぱいは、どうですか? わたしのこと、すきでいてくれますか?」


 身を包む恥ずかしさで気付いていなかったのですけれど、電車はいつの間にか、次の駅に着こうとしています。最初に「次の駅まで」と言ってしまった以上、約束は守らないといけませんね。

 せんぱいが答える間もなく、ドアが、開きます。


「せんぱい?」


 声を元の地声に戻して、ぼんやりしているせんぱいの前で手をひとつ叩きます。


「せんぱい?」



「ん? って、近い近い」


 あ。戻ってきましたね。まだ顔全体を赤くしているせんぱいが一歩後ろに下がります。わたしもまだ耳が熱いので、きっとよそから見たら似たり寄ったりなのでしょう。


「……頭の悪い会話って、恐ろしいな」


 せんぱいが、しみじみとつぶやきます。


「はい……たった1駅分でこんなに消耗するとは思いませんでした」


「俺は後輩ちゃんの声にもびっくりしたけどな。なんだあの甘ったるい声。どっから出てんの? つかいきなり始めんなよ」


「声をつくるのは女子のたしなみですよ?」


「どんなたしなみだよ、怖いよ」


 ひとつ大きくため息をついて、せんぱいがまとめます。


「ともかく。これなら『頭のいい会話』してた方がマシだ。まだ疲れにくい」


「そうですね……これは封印しましょう。恐ろしいです」


 せんぱいは、ふだんなら10秒の隙間でも本を取り出すのに、ただぐったりとして、電車に揺られていました。

 わたしも、スマホをいじる気にはなれず、窓の外をぼんやりと見ていました。

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