第7日「……奢ってほしいか?」

 # # #


 ついに、俺の安穏とした休日にまで、この後輩は魔の手を伸ばしてきた。

 ……「ついに」ってほどでもないな。まだ1週間とちょっとしか経ってないのに。他人との距離の縮め方が上手でいらっしゃる。


 午前中は死守したけれど、午後からは出かけなければいけないらしい。

 どこに行くかは、昨日、学校が終わってからLINEが飛んできた。俺たちの最寄り駅から、学校とは反対方向に位置するターミナル駅に14時集合、だそうだ。「ぜったいに来てくださいね!」と念押しまでしてあった。

 本屋がたくさんある中では一番近いから、結構よく行く街だ。行くこと自体に、抵抗はない。

 そういえば、約束は「質問に答えること」だし、別に俺は、行かなければならないわけでもないのか。だから、もし行くとしたら、俺は自由意志で行くことになる。

 ……あの後輩がそこまで織り込んでいるのだとしたら、きっと、一通りからかってくるだろう。


 うわー、行きたくねえ。


 とはいえ、行かないのも行かないので問題だ。

 LINEと、週が明けた後の登校時間が怖い。なんなら下校時間まで怖い。

 そういうことで、行こうが地獄、行かなくても地獄は確定している。


 ……今週は宿題も少ないし、どうせ家にいてもネットを見るかゲームをするかだろう。

 しゃーない、行くか。


 適当なジーンズとシャツを取り出して着替えてから、俺は家を出た。


 それにしても、後輩ちゃん、ほぼ何も知らない男とふたりっきりで何がしたいんだろうな。


 * * *


 午後1時50分。せんぱいとの集合時刻の10分前です。着きました。

 もう1本早いのでもよかったんですけど、せんぱいとの鉢合わせを狙ってみました、が。

 せんぱいはもう1本早かったようです。外れてしまいましたか。そもそも来てくれるかどうかからして怪しかったので、そこはよかったです。


「こんにちは、せんぱい」


「人違いで……」


 訝しげにこちらを向いたせんぱいが、しばらく固まってしまいます。

 

「マジ? 後輩ちゃん? 誰?」


「いかにも、後輩ちゃんですよ」


 普段はまとめている髪を下ろしてみただけなんですけれど、せんぱいから見るとだいぶ変わって見えるみたいですね。


「さ、『デート』に行きましょう」


 せんぱいの顔が歪んだのは、言い方でしょうか、楽しみなのを抑えようとしてでしょうか。ともかくわたしは、目的地に向けて歩き出したのでした。


 # # #


 びっくりした。

 ふだんと印象変わりすぎだろ。女子ってほんとに怖いわ。髪下ろして服が制服から私服(白ワンピースとか俺みたいな人を殺しにきたとしか思えない)に変わっただけで、印象がまるっきり違う。

 よく見ると、唇の色もふだんより薄い気がする。


「そんな格好もできたんだな」


 どこへ向かっているのかわからない後ろ姿に向かって、言葉を投げかける。


「そりゃ、女の子ですからね」


 歩きながら首だけこちらに振り返って、彼女が言う。


「かわいいですか?」


 かわいいというか、もはや「儚い」ような印象を受ける。どストライク。

 とはいえ、これが「今日の一問」ではないなら真面目に答える必要はないわけで。


「はいはいかわいいかわいい」


 こうやって棒読みで答えておけば、丸く収まりそうな感じがした。


「ぜんぜん感情が籠もってないですね……」


 こんな具合にいつもどおりの中身のないやり取りをしていると、先を行く後輩ちゃんの目的地がだんだんわかってきた。伊達にホームグラウンドではない。


「映画館か?」


 ネットで読んだ「ここはダメ! 初デートのスポットランキング」栄えある第一位じゃないか。


「はい」


 彼女は、上映中の映画のポスターが並んだところで立ち止まった。

 今度は体ごと振り返る。後ろに回した腕があざとい。


「さて、せんぱい。『今日の一問』です。この中で、どの映画が一番観たいですか?」


 映画って、宣伝はばんばん打たれてるけど、1本観るのに1000円以上かかるし、結構思い切りが要るよね。

 映画館まで行かなきゃいけないのも悪い。つまりTSUTAYAはすごいってことだ。


 ふむ。

 色々ポスターが並んでいる。実写もあればアニメもあるし、テレビのCMで観たやつもあればTwitterでめっちゃ流れてくるやつもある。

 そういえば、「なろう」発のやつ、まだやってるのかな……あった。あとは『砂の惑星』の人が音楽作ったやつもある。戦争のやつも興味はあるんだけれど、まあ今日はいいかな。


「『打ち上げ花火』か『膵臓』かかなぁ……」


「あらせんぱい。結構そういうの興味あるんですか? わたしの方に興味を持ってくれてもいいんですよ?」


「物語として観る分にはな」


 自分ではできる気がしないから、せめてフィクションの世界にくらいは浸らせてくれ。


「ちなみにわたし『一番』って言ったんですけど」


「どっちでもいいよ」


「じゃあ上映時刻が近い方にしましょう」


 脇にあった表を見てみると、『打ち上げ花火』の方がもうすぐ始まるようだった。エレベーターに乗り込んで、スクリーンのあるフロアに急ぐ。


「なんか予備知識あります? わたしぜんぜん知らないですけど、この作品」


「絵があそこだな。シャフト」


「軸?」


「いや軸じゃねえよ。アニメーションの会社でそういうところがあるんだよ」


「へぇ……」


 恋愛感情を抱いたもの同士の会話だとしたらぶっちぎりの落第点をつけられそうな豆知識を披露していると、チケットカウンターに着いた。


「高校生2枚、次の『打ち上げ花火』で」


「かしこまりました。学生証の提示をお願いします。席はどのあたりに致しましょう?」


 席を指定したら、重要なことに気付いた。

 そもそも、俺は、女性とふたりで映画を観ること自体はじめてだ。今更ながら緊張してきた。 

 それに加えて、だ。一般的な「デート」では、だいたいの支払いは男が持つものと聞いたことがある。

 今の御時世、男も女も収入なんて変わらないのだし(高校生の身分ではバイトをしていない限りは小遣いが生命線である。それは男も女も変わらないだろう)、割り勘でしかるべきとも思うけれど、「女の子はファッションにお金をかけるんだから男もそれくらい奢るべき」みたいな意見もあってわからなくなってきた。


 わからなければ、どうするか。

 聞けばいいじゃないか。


「なあ。『今日の一問』なんだけどさ」


「はい?」


「……奢ってほしいか?」


 いや、我ながら最低だなこれ。100年の恋も冷めそう。


「『今日の一問』なので正直に答えますけど、そりゃ奢っていただいた方がお財布的にはありがたいです。でもせんぱいから奢られる義理は特にないのでどっちでもいいです」


 誘ってきたのは後輩ちゃんだしな。奢る義理がないといえば、確かにないともいえる。

 なんというか、「奢る」って、特別なことがあった時にやるべきだと思うんだ。


「じゃあ、全額出すわ」


 特別なこと、あったわ。

 週末、どうせのんべんだらりと過ごすであろう俺を連れ出した。それだけで、まあ、映画チケットくらいの価値はあると思う。うん。


 奇妙な会話をする俺達に、映画館のお姉さんの怪訝そうな視線が突き刺さっていた。


 * * *


 映画は、100分くらいで終わりました。

 ループ物だったんですね。それすら知らずに見に来るべきではなかったかもしれません。

 なかなか難解で、シーンの解釈なども割れそうな映画でした。


 上映中には、特にせんぱいにちょっかいは出しませんでした。

 きっと、せんぱいは「がっつり観る」タイプでしょうし、何より周りに迷惑はかけたくありません。


「どうでした?」


「なんか難しかったな……わかんねー」


 カップルで見るような甘酸っぱい映画ではなかったことだけは、確かですね。

 考察するにしても、何度も観ないといけないでしょう。今語れることはあまりありません。


 スマホの画面の時計を見ると、おやつは過ぎたけれど、夕ご飯にはまだまだ早いくらいです。


「せんぱい。この後、どうしますか?」


「どうするも何も、解散でいいんじゃないの? 俺は色々な考察を早く読みたい」


 あまり他人に干渉されたくないタイプなのでしょう。

 今日はもう『一問』も使い切ってしまいましたし、嫌がられてまでいっしょにいる必要もないかもしれません。


「それもそうですね。じゃあ解散にしましょう。せんぱい、映画代出していただいてありがとうございました」


 # # #


 また、びっくりした。


 いや、確かに考察を読みたかったのは事実だけれど、ここまであっさりと開放してくれるとは思わなかったからだ。

 まったく。

 今日は後輩ちゃんに、びっくりさせられてばかりだ。


 ところで、宿題は明日やろうと思っていたし、今日は夜まで拘束されるものだと思っていたから、宙ぶらりんな時間ができてしまった。


 本屋でも寄って、帰るか。

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