第5日「せんぱいの好きな飲み物は、なんですか?」

 # # #


「おはようございます♪」


「ああ、おはよう」


 昨日、この後輩にそれはもう見事にやり込められてから、どうにも気分が上がらない。

 端的に言ってしまえば、機嫌が悪い。帰宅するや否や母親が気付いて「あんたフラれたの?」とか聞いてきちゃうレベルで、不機嫌オーラが出てしまっているらしい。


 昨日の夜、LINEで、後輩ちゃんと新しく取り決めを交わした。というかこっちから条件を投げつけた。

 例の約束に基づいた質問をする時は、「今日の一問」というフレーズを使うこと。もちろん、「今日の一問」というフレーズを使うのは、一日あたり一問だけにすること。それ以外の質問は、全て自由意志に基づく質問とすること。以上3点、確認というか念押しというかをした。

 秒でOKのスタンプが返ってきたので、後輩ちゃんの方も気にしていたんだろう……うん。そういうことにしよう。


「木曜日ですよ、せんぱい」


「ああ、木曜日だな」


 今日と明日を乗り切れば、憩いの土日が待っている。授業に出なくてもいいだけじゃなくて、厄介な後輩につきまとわれないというのがありがたい。


「あの、せんぱい。わたしたちがはじめておはなししたのも、木曜日だったんですよ? 一週間記念日なんですから、もうちょっと喜んでくれたっていいんじゃないですか」


 今日は9月21日。こいつが後ろから忘れ物を届けてくれたのは、9月14日。確かに、一週間が経っている。イカのゲームやってこいつの話聞き流して学校の授業も聞き流していたら、あっという間に過ぎてしまった。


「早いな」


「え? わたしとの会話が楽しすぎてあっという間だったって? ありがとうございますうれしいです」


「いやそこまでは言ってないけどな……」


「けどけど?」


「まあ、会話の密度が濃かったのは間違いない。ありがとうな」


 騙したり、騙されたり、罠に嵌めたり、嵌められたり。

 有意義かどうかはともかく、面白い時間を過ごしてきたと思う。この一週間。


「へ? あ、そ、そうですか、よかったです……」


 * * *


 ああ、びっくりしました。

 真面目な顔して、真面目に、とんでもないこと言ってくるものだから、このせんぱいは性質が悪いです。


「ん? あー……」


 せんぱいはまだむずかしそうな顔をして、こちらを見据えてきます。


「どうしました?」


「いや、今『密度が濃い』って言葉使ったけどさ、理科的というか科学的には密度は『大きい』ものってこないだ化学の時間に習ったわけですよ」


「はい」


「でも『密度が濃い時間』って言い方はあるじゃん? だったら、日本語的に『時間の密度』と『物質の密度』って違うものなのかな、とか思っただけ」


 とんでもないことを言ってきたと思えば、似たような顔をして非常にどうでもいいことを語り出しました。こんなんだから、このひとは面白いです。

 ふわぁ、とあくびをひとつして、わたしは答えます。


「せんぱい、どうでもいいです、それ。どうでもよすぎて眠くなってきました」


「いやそれひどいでしょ! 俺のしゃべった苦労はなんだったの」


「骨折り損のくたびれ儲けって、よく言いますよね」


「骨折って得たものが疲労感だけとか悲しすぎるな」


「はい……せんぱい、骨折の治療にはカルシウムがいいらしいですよ。牛乳とか煮干しとかたくさん摂取してくださいね」


「あの、俺、別に骨折したわけじゃないから……」


 # # #


「牛乳で思いつきました」


 ドアに寄りかかってぐでーっとしていた後輩ちゃんが姿勢を正して、俺の方を見据える。


「『今日の一問』です。せんぱいの好きな飲み物は、なんですか?」


「昨日と2文字しか変わってないな」


「どうでもいいじゃないですかそんなこと。早く答えてください」


「好きな飲み物、かあ」


 今となってはもう飲めない、ちょっと甘酸っぱい味を思い出した。


「なんどでも ついつい飲みたくなる みんなの かわいい人気者 ん~ダイスキ!」


「どうしたんですかいきなり。電車降りますか?」


「こういうときだけ真面目な顔しないでくれ。好きだったやつのキャッチコピーだよ、頭文字取ってくれ」


 一文字ずつ拾うと、「なつみかん」になる。最後の一文字が反則な感じあるけれど。


「JTの発売してた、『ひんやり夏みかんゼリー』だな」


「なんですかそれ、知らないです」


「まあ、ふつう知らないよなあ。今はJTが飲み物から撤退しちゃって、もう売ってないし」


「はあ……」


「テニスの帰り道にJTの自販機があって、120円握りしめてこれを買って絶妙な回数振って一気飲みするのが毎週の楽しみだったんだよ……」


「いやわたしどんな飲み物か知りませんから……って、テニス!?」


 両肩を掴まれて、揺すられた。もしフィクションの世界だったら、ここに電車の揺れが合わさって、一緒にぐてーんと倒れるみたいな展開があるんだろうけれど、あいにくここは現実世界。俺はしっかりと手すりを握っている。

 彼女が大きく動いたものだから、ふわっと広がった香りが俺の鼻腔に届いた。ファッションの知識がないから、これがシャンプーのにおいなのか、はたまた香水のにおいなのかはわからない。


「いや、そんなに驚くことかよ…… 親に言われてな、最低限の運動は何か出来た方がいいわよって。それで近所のテニススクールに行ってた時期があるってだけだよ」


「せんぱいまったく運動したことないですって感じ漂いまくってるので、びっくりしただけですよ」


 まあ、それは自覚してる。男のくせに肌真っ白だしな。


「ちなみに、わたしもテニスできるんですよ、せんぱい。中学のとき部活でやってました」


「それガチなやつじゃん……すげえな」


「見直しました?」


「いや、なんかでもメジャー競技の部活入ってそうな雰囲気してるから」


「どんな雰囲気ですかそれ……」


 スクールカースト上位な雰囲気って感じ。

 ちょっと明るめの髪といい、ぱっちりと大きく開いた眼といい、制服の着こなし方といい。

 もし同じクラスだったとしても、俺とは互いに名前を認識する以上の接点がなさそうな感じの雰囲気だよ、とまでは言えなかった。


 * * *


 しゃべりすぎましたと言って、かばんからマイボトルを取り出しました。

 シールとかを貼っても剥がれちゃうので特に飾らず、もともとのピンク色のままですね。中には、家から麦茶を入れてきています。カフェイン入りのものをいっぱい飲むのは、身体に良くないらしいので。


「『今日の一問』。お前の一番好きな飲み物は?」


「飲みます?」


 ふたを開けたままのボトルを、ついっとせんぱいの方に向けました。


「ちょ、何してんの? 飲まないから!」


「そうですか…… あ、もしかして照れてるんですか? 見ず知らずの後輩と間接キスなんて恥ずかしい! って」


「……ああ」


 沈黙。


「悪いか?」


 絞り出すようなせんぱいの言葉。顔は真っ赤になっています。不覚にも、ちょっとかわいいと思ってしまいました。

 ……わたしの耳がそこはかとなく熱いのは、気付かれていないといいのですが。


「悪く、ないですよ」


 そうです。だって、わたしだって、どうせ乗ってこないとわかった上で誘っただけなのに、こんなに恥ずかしくなっちゃってるんですから。


「あ、答えはですね。麦茶です麦茶。ミネラルたっぷりでカフェインゼロなんですよ。まるで女子のために生まれてきたような飲み物だと思いません? その割には名前がちょっと残念ですけど。bareleyバーリイ teaティーとかカタカナにしてみたらそれっぽくおしゃれに聞こえますかね?」


 だから、その後のわたしのセリフが少し早口になっちゃったのも、しかたないことなんです。きっと。

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