24


 ツェルトは林檎を食べ終えると、ひとつ伸びをした。めきめき音を立てそうなほど身体が凝り固まっていて、三日という時間の長さが知れた。ベッドから降りると少しふらついたが、三日も寝ていたわりには普通に動けるようだった。


 適当に服を選び、一階に下りる。リビングから美味しそうな匂いが漂っていて、そちらに足が向きかけたが、我慢して先にシャワーを浴びた。


 さっぱりしてリビングへ行くと、ドアの音に気付いたらしいクローネがキッチンから顔を出して笑った。「上に持って上がろうかと思ってたんですけど、大丈夫そうですね。いま、そっちに運びます」と言って引っ込んで、すぐに皿の乗ったトレイを手に現れた。後ろに付いて現れたキューンは、水の入ったコップを持っていた。


 ツェルトが席に着いて、クローネがトレイから食卓の上へ皿を移し、キューンがコップを置いて机の端に座った。鶏ときのこのリゾットと、ミネストローネだった。ツェルトは「いただきます」と言うのもそこそこに、湯気を立てるリゾットに手をつけた。


「……なんかさ、しあわせだな」


 一口食べてツェルトが呟くと、クローネは向かいの席に腰を下ろして、


「しあわせって、おおげさな」


 と、おかしそうにくすくす笑った。


「いいだろ。影は倒せて、お前は無事で、ご飯は美味しくて、しあわせだよ」


「キュー」


 同意するようにキューンが鳴いて、クローネは嬉しそうに「そうですね」と頷いた。それから真剣そうな面持ちになって、


「ツェルトさん、ありがとうございました」と深く頭を下げた。


「——契約を結んでくださって、本当にありがとうございました。ツェルトがいなかったら、私、どうなっていたか分かりません。いくら感謝しても、しきれないぐらいです」


「あ、いえ、こちらこそありがとうございました」


 ツェルトはつられて敬語で答えて、「いいよ、そんな固くならなくて」と続けた。


 その様子がおかしかったのか何なのか、クローネはふふっと小さく笑って、


「私も、ツェルトのことが好きです」

 そう告白した。


 どうやらそれは、あのときツェルトが鳥籠で送った言葉に対する返答らしかった。


「ありがとう。まあ、知ってたけど」とツェルトが言ってスプーンを口に運ぶと、クローネは「え?」と首をかしげた。ツェルトはリゾットを飲み込んで、


「ゲニアールが言ってたけど、あの契約、両思いじゃないと結べないんだろ? 結べたから良かったものの、いま思うとすげぇ綱渡りだったよな」


「それはその、私も知らなかったというか、確かに『親しき間柄で』とは書いてましたけど、どのくらい親しくなきゃいけないかなんて……」


「——ああ、じゃあ契約にキスが要求されることも知らなかったわけだ」


「それは! それは本当に知りませんでした!」


 クローネは耳まで真っ赤にして必死に訴えた。「だって、あの本には『契約を結ぶ両人で本に触れたまま、私の名前を呼びなさい』までしか書かれていなかったんです。まさか、き、キスしろって言われるなんて思わなくて、いえ、尖耳族の魔法の契約では稀に使われる手法ではあるんですけど、でも書かれていなくて、だから、」


 だんだん涙声に変わっていく主張を聞き流しながら、ツェルトはしばらくの間食事に集中した。ツェルトが黙々と食べるので、クローネは焦ったようにひたすら言葉を紡いだが、その大半はさして意味もないものだった。


 ツェルトはリゾットを食べ終えて、クローネの言葉が途切れたところで口を挟んだ。


「別に責めてるわけじゃないから、そんな泣きそうになるなよ。お前が知らなかったってことはよく分かったから。でもびっくりしたよな——いきなり『よろしい。それでは誓いの口付けを』なんて、冗談かと思った。言われるままにやっちゃったけど、嫌がられてたらどうしようってちょっと心配だったから、まあなんだ、よかったよ」


 クローネは「はい」と答えるので精一杯なようだった。それを横目に、ツェルトはミネストローネを飲み干した。





 食事の後、ツェルトはまず最初にゲニアールが置いていったという書類に目を通した。


 それはリヒトの家族からのもので、リヒトの嚮導員用の墓石に刻む名前に、シュテルネンを使わせて欲しいという内容だった。リヒトは家族に「いつかシュテルネン・リヒトになりたい」という話を散々していたらしい。


 リヒトがピーコック・ターンを習得していることは自分の目で見て知っていたので、ツェルトは迷うこと無くサインした。


 次にクローネから、あの黒い帽子が返ってきたという話を聞いた。帽子を取り上げてクローネを殴った本人が、管理局にわざわざ出向いて、返してやって欲しいと頼んだという話だった。


謝罪の書かれた短い手紙と、もうひとつ別の帽子が添えられていたそうで、もとより大して怒ってもいなかったクローネは、それで完全に許したようだった。


 ツェルトはどうにも腹の虫がおさまらなかったが、その人の気持ちも理解できなくはなかったため、「いつか一発殴りに行って、それでチャラにしよう」と密かに決めた。


 それからツェルトがクローネにこれからどうするつもりなのかと尋ねると、クローネはひとまず両親の所に帰るつもりだと答えた。そうするべきだと思っていたツェルトは「ふうん」と頷いたが、クローネはそれが少し不満なようだった。


「もうちょっとこう、引き止めてくれたり、残念がってくれたり、そういうのはないんですか?」などと拗ねられても困る話で、ツェルトは「引き止めてどうするんだよ。親が心配してるだろうから、帰った方がいいに決まってるだろ」と宥めたが、クローネはやはり不服げだった。


仕方がないので「また来ればいいだろ」とツェルトが言うと、クローネは実に嬉しそうに「はい、また来ます」と笑った。


外は雲ひとつない快晴で、窓を開けると心地よい風が吹き込む。


 窓辺のソファに、ツェルトとクローネは二人で並んで座った。

 




 空はひたすらに蒼く、どこまでも広がっている。

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Caged Children ヒツジ @from13to15

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