21
あれ、と振り返ったときには、すっかりクローネとはぐれてしまっていて、ツェルトは焦った。人混みの中に置いて来てしまったらしい。
「なんだ? あのおチビちゃん、はぐれちまったのか?」
「——みたいだ」
手でも繋いどけばよかった、とツェルトは後悔しながら、
「ちょっと探して来る。キューン預かっといて」
そう言って、来た道を戻った。
少し人混みの中を歩いてみて、見つかりそうになかったので、空から探すことにする。一旦、人混みを抜けて路地に入り、屋根より高く登って辺りを見回した。
——どこだ……?
すぐには見つからなくて、ツェルトは心配になった。早く見つけてやらなければ、と焦りながら少し移動してみようとしたとき、騒ぎは起こった。
はじめは、なんだろうと思っただけだった。ざわっとした喧噪が伝わってきて、そちらに目をやった。そして騒ぎの渦中に黒い帽子の少女を見つけたとき、ツェルトは全身の血が冷えるような錯覚に襲われた。
クローネが必死に帽子を押さえながら、人混みを走っていた。青い花束を抱えた男が、クローネを追って、肩をつかんだ。まずい、と思って駆け出した瞬間に、クローネが殴り飛ばされて地面に転がった。
男がクローネの頭を踏みつけたのが見えた。全力で翔けて、必死に近づこうとした。逃げようとしたクローネが男に腕を掴まれて、ツェルトは笛を鳴らした。
「クローネ!」
名前を呼ばれた少女は傷だらけで、目に涙をいっぱいに溜めていて、自由な方の手を、ツェルトに向けて縋るように伸ばした。
ツェルトはその手を握って、思い切り引き上げた。小さな身体を抱きしめて、その場のあらゆるものを無視して、空へ登った。憎悪と嫌疑の、纏わり付くような視線と声から逃れようと、目に付いた鳥籠の中に飛び込んだ。
鳥籠の中は少しだけ、守られているようだった。
「クローネ、大丈夫か……?」
降ろしてやったクローネは、身体の力が抜けてしまったように座り込んで、嗚咽を上げながらぼろぼろ涙をこぼした。
「……っ……、ツェル……ツェルト、わたしっ、ごめん、なさい。ごめんなさい……!」
長いまつげの先から、涙が雫になって落ちる。
ツェルトは、震えるクローネをそっと抱きしめた。
腕の中の少女が殴られていい理由も、謝らなければならない理由も、どこにもないはずだった。けれど、彼女の存在は許されなかった。それだけで理不尽な暴力は正しくなって、謝罪が要求される。世界はそういう風にできているらしかった。
「クローネ。落ち着け、大丈夫だから」
「……でもっ、尖耳族って、ばれっ……ばれちゃった……っ。ツェルトまで、とがっ、咎められるかも、」
そこで、はっとしたように顔を上げる気配がした。
「私を……管、理局に連れてけばっ、ツェルトだけなら、きっと、許して——」
「そんなこと、できるわけないだろ」
だって、とクローネはしゃくり上げた。
ツェルトは腕の力を緩めて身体を少し離すと、こつん、とおでこをぶつけた。驚いたようなクローネと目が合う。涙を流す少女の顔は擦り傷だらけで、殴られたところは赤く腫れていて、唇のはしが切れて血が滲んでいて、どうしようもなくボロボロで、けれど、どうしようもなく愛おしいと思った。
守ろう、と決めた。
本当に、ただそれだけだった。
「クローネ、契約しよう。俺が飛ぶ。これだけ騒ぎになったんだから、絶対に影が来るはずだ。それを倒して、お前が敵じゃないってちゃんと示すんだ。そうすれば、誰も文句は言えない」
言わせない、とツェルトは思う。それでもなおクローネを認めないなどというやつは、影の餌にするか、空高くから落としてしまえばいい。潰れてしまえと思った。
はたして、クローネは頷かなかった。
ツェルトは、こんな状況になってまで彼女を縛り付ける、様々なものを思った。
迷惑をかけたくないとか、危ないからダメだとか。きっと、人に重荷を押し付けて許される理由が、彼女は見つけられないのだと思う。あるいは、生きていていいと誰かに言ってもらうために、彼女は頑なに、自分がやらなければならないと思い込んでしまっているのだ。
クローネをがんじがらめにするそれらを解いて、頷かせなければならない。
一言で足りた。
「クローネ、——好きだ」
左手で、赤い鉱石が光っている。
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