第6章 夜明け色の誓い
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翌日クローネは、リヒトにもらった服の中から深い青色のワンピースを選んで着て、ツェルトと出掛けた。
街にはいつもより人が多くて、クローネは戸惑った。
「なんだか混雑してますね」
人が多いというだけで緊張した。キューンを抱っこしている腕に無意識に力が入って、苦しそうな声で鳴かれたので、すぐに力を緩めた。帽子にできるだけさりげなく手をやって、耳が隠れていることを確かめる。
「祝日だからな」
「祝日? 何のですか?」
「……なんだったかな」
忘れた、と言ったツェルトには緊張感などまるでなくて、それを見たクローネは、つられて少しだけ不安が和らいだ。今日まで何度か大通りの辺りまで出掛けたことはあるが、何も問題は起きなかった。帽子を飛ばされないように用心さえしていれば、それほど気を張りつめていなくても大丈夫な気がしてくる。
「それで、どうする? 適当に見てまわるか?」
「はい、そうしたいです。まだこの辺りに詳しくないので、その、ついでにいろいろ案内してもらえると、嬉しいです」
本当は、デート……ではないけれど、この時間をちょっと長引かせたくて言ったわがままだったのだが、ツェルトはクローネの言葉を疑うこともなく、
「ああ、それなら、寄り道しながら六番通りに出ようか」
と頷いた。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
クローネが満面の笑みで喜んでみせると、ツェルトは「仕方ないな」とでも言いたげに、少しだけ笑って返した。
「じゃあ、こっち」
クローネは子犬みたいに、ツェルトの後ろにくっついて行く。
最初にその人に気付いたのはキューンだった。
服飾雑貨を扱っている店が集まっているという六番通りに辿り着く前に、クローネとツェルトは赤い髪の青年に会った。
「キュー!」
キューンは少し離れた人混みの中にその人を見つけて、クローネの腕の中で暴れた。クローネが力を緩めるとひゅんと飛んでいって、肩に乗った。彼は驚いたあとすぐに状況を理解したようで、きょろきょろ辺りを見回してツェルトを見つけると、走りよって来た。
誰だろう、とクローネは首をひねる。
知らない相手だということは向こうも同じだったようで、
「このチビなに?」
開口一番に疑問を口にした。
「クローネっていうんだ」
答えたツェルトは、クローネの方に向きなおって、「クローネ、こいつはゲニアール。研究所の友達」と教えてくれた。
「僕は名前じゃなくて、関係を訊いているんだ」
「……なんでもいいだろ。それよりお前がこんなところに居るなんて珍しいな。いつもは部屋に閉じこもってるくせに」
ゲニアールはクローネを一瞥し、「まあいい」とでも言いたげに鼻を鳴らした。周りをキューンが飛び回っているせいで、いまいち嫌味に欠けた仕草だった。
「眼鏡の度が合わなくなってきたから新調しに来たんだ」
「また視力落ちたのか」
「まったく困ったもんだ。ツェルトが羨ましいぜ。……キューン、こら、髪を引っ張るんじゃねぇ。はげちまうだろ」
名前を呼ばれたキューンは大人しくゲニアールの腕の中に収まった。キューキュー鳴きながら嬉しそうにゲニアールを見上げている。
クローネは、キューンがこれだけ懐いているのだから、ツェルトとは親しい間柄なのだろうと推測してほっとした。研究所の——つまり管理局の人間だと聞いたときには、正直息が詰まる思いがしたのだ。
それでさ、と言ったゲニアールは思い直したように、
「……歩きながら話そうぜ。邪魔になる」
「そうだな」
確かに、三人で立ち止まっていたために、他の通行人の邪魔になっているようだった。歩き出した二人をクローネは慌てて追う。交わされる会話に耳をすましたが、その内容はクローネにはわからないものだった。
「お前の左手の、それの話なんだけどさ」
「ああ、これ?」
「ぶっちゃけどう? 上手く機能してる?」
「してるよ。たまに赤になっても影が来ないときがあるけど、ほとんど当たる」
「んー。ちょっと判定基準が甘かったかもな。赤じゃないのに来ちゃうよりはマシだと思うけど、難しいなあ。まあ、調整してみる」
クローネにしてみれば、ふたりとも歩くのが速かった。
「調整? 別に困るほどじゃないけど。たまに外れて肩すかしってだけで、よくできてる」
「いやいや。こういうのは調整に微調整を重ねてベストな線を見つけ出すもんなんだ。手を抜くとか僕が許さない」
人混みも手伝って、クローネはどんどん引き離された。
「ご苦労なこった」
「というわけで、今度、僕も一緒に待機塔に上げてくれ。データを取りに行きたい」
「それは構わないけど、お前と半日一緒にいるとか疲れそうだな」
「ひっでー!」
このままでは、はぐれてしまう。そう思ってクローネは声を出した。
「あ、あの……、ちょっと待って……!」
目立ちたくなくて、小さな叫びにしかならなかった。当然のようにふたりはクローネの声に気付かず、どんどん先に行ってしまう。
クローネは焦った。少しだけ涙ぐみそうだった。自分のことを忘れているのではないだろうか。そんな不安が募ると同時に、一回くらい振り返ればか、と怒りが込み上げた。
遠ざかるふたりを目で追いながら、どうにか人混みを進んでいると、クローネはふいに後ろから肩を叩かれて立ち止まった。
「え?」
振り返ると、青い花束を胸に抱えた女性が立っていた。
「こんにちは。あなた、リヒトのお知り合いでしょう?」
突然のことにクローネは戸惑って、
「……あ、えっと、リヒトさんのお姉さん?」
女性の言葉と、その女性の持つ雰囲気から推測して尋ねた。
女性はやわらかく微笑んで、
「そう。ローゼっていうの。あなたのこと、探してたのよ」
「探してた……?」
首をかしげてローゼの言葉を繰り返したクローネは、「あっ」と声を上げた。慌ててツェルト達がいるはずの方向へ目をやる。が、もうすっかり見失ってしまっていた。
「……あら、引き止めちゃまずかったかしら?」
「あ、いえ、その……」
どうしよう、とクローネは思った。いますぐ走って追いかければ、ツェルト達を見つけられるかもしれない。そうするべきだと思ったが、クローネは「探していた」という言葉が気になって、できなかった。
「……いえ、大丈夫です。はぐれちゃったけど、向こうが気付いてくれれば空から探してくれると思います。たぶん、ですけど」
「でも、追いかけなくていいの?」
「……いいんです。だって、一回も振り向いてくれないし」
「拗ねているのね」
「……はい」
ローゼはくすくす笑った。
似ているな、とクローネは思う。顔ではなく、纏っている雰囲気にリヒトに近しいものを感じた。喋り方はリヒトよりずっと穏やかで、元気が良いと言うより落ち着いた印象だったが、話す相手の緊張を自然と解いてしまうような安心感があった。
「空からっていうことは、コマドリなのね。そうよね、リヒトのお友達だものね」
ローゼは少しだけ寂しそうに言うと、
「それじゃ、その人が見つけてくれるまで私に付き合ってくださる?」とクローネに笑いかけた。クローネは頷いて、歩き出したローゼの横に並んだ。
「あなたのその服、リヒトから貰ったものでしょう? 娘のお下がりなんだけど、もともと私が作ったものなの」
「え? これ、お姉さんの手作りなんですか?」
「ええ。だから一目でわかったわ。あなたが、リヒトの言っていた、服を貰ってくれた子だって。……その、恋人ではないのよね? まさかうちの弟は、恋人に姪っ子のお下がりをあげるなんてこと、してないわよね?」
「だ、大丈夫です。恋人じゃなくて、」
なんだろう、と少しだけクローネは考えて、
「リヒトさんは、恩人です」
クローネの答えに、ローゼはやっぱり、という顔をした。
「よかった。そうだと思ってたの。私が服を貰ってくれる子を探していたから、たぶん仕事中に助けた子に訊いてみてくれたんだろうなって」
本当は違うのだけど、とクローネは思ったが、それは黙っておくことにした。
「はい。助けていただいた上に、素敵な服まで貰ってしまって……。本当に、ありがとうございます」
ふふ、とローゼは笑った。
「それでね、探していたって言うのはね、」
ローゼはそこで、初めて言い淀んだ。
「……その、リヒトが他界してしまったからなの。できればお葬式に呼びたかったのだけど、ごめんなさいね、連絡してあげられなくて。名前もわからなかったから諦めていたんだけど、きょう偶然あなたを見つけて、せめて、あの子がもういないことを伝えておきたかったの」
クローネは何と答えたら良いかわからず、しばらく悩んだ。
「実は、リヒトさんが亡くなったことは知っていたんです。でも、いろいろ事情があって、お葬式には行けなくて。ごめんなさい」
「そう、いいのよ」
ローゼは微笑んだ。
「お墓参りには、近いうちに必ず行きます」
「ええ。そうしてあげて。リヒトもきっと喜ぶわ」
「はい」
ローゼはやっぱり、やわらかく微笑んだ。
「私もね、これからお墓参りに行くところなの。お葬式のあとの、三日供養の青い花っていうやつね。リヒトは辛気くさいって嫌がりそうだけど」
嫌がるリヒトを想像して、クローネは小さく笑った。
「そうですね。リヒトさんなら、そう言う気がします」
クローネはふと、シュテルネンの称号の話を思い出した。確か、家族の承認が得られれば、その称号でお墓に残してもらえる。そういう話だったと思う。せっかくだから、称号の話について知っているか訊いてみようか——と考えていると、ローゼが「それにしても」と不満げな声を出した。
「あなたのお連れのコマドリは、まだ見つけてくれないのかしら?」
「……そうですね。気付いてないのかも」
クローネは溜め息をついた。冗談のつもりだったが、本当に気付いていないのかも知れないと思う。ツェルトならあり得そうな気がした。肩を落としたクローネの隣で、ローゼは憤慨したようだった。
「こんな可愛い子をひとりにして、何やってるのかしら。まったく」
あはは、とクローネは曖昧に笑った。
「可愛くなんてありません。だってその人、なんていうか、私にちっとも気がなさそうですし」
初対面の相手にも関わらず、クローネは思わず本音をこぼしてしまった。きっと、もっと可愛いくて大人っぽかったら、子供扱いもされず、もうちょっと違う目で見てくれたのではないかと思う。あるいは、耳が尖っていなければ——
「あら、やっぱり男性の方なのね」
「え、あ……」
その一言で、クローネは顔を赤らめた。
そうだ、自分は誰と来たかなんて言っていないのに、だからお姉さんは相手が女の子の友達のつもりで言ったのかも知れないのに、自分が勝手に勘違いして……
混乱するクローネを見つめて、ローゼは面白そうにと笑った。「そうよねー。そうじゃなきゃ、あんな拗ね方しないわよねー」と言って、クローネをさらに赤くさせた。
「……あ、……えっと、あの」
「すごくかわいくて、愛らしいわよ。私の作った服が、こんなにかわいい子に着てもらえるなんて嬉しいわ」
真っ赤になったクローネを、ローゼは下から上まで一通り眺めて、黒い帽子に目を止めた。
「でも、そのワンピースに、黒い帽子は合わないわね。ほら——」
まるで自然な動作で、ローゼの指が帽子にかけられた。
クローネがどきりとする間もなく指が動いて、
「——帽子がないほうが、」
あらわになったクローネの耳を見て、女性は目を見開いた。
クローネの唇から、声にならない悲鳴がこぼれ、
「あなた、その耳……!」
はっとしたように女性は続くはずの言葉を飲み込んで、クローネは帽子を取り返して耳を隠した。
二人の間に沈黙が訪れ、クローネは不安げにローゼの顔を窺い見た。ローゼは驚いた表情をしていたものの、それ以上言及するつもりはないようだった。
「あの、」とクローネが口を開きかけた矢先に、背後から、ローゼが飲み込んだはずの言葉を誰かが言ったのが聞こえた。
「…………尖耳族だ」
ざわり、と周囲の空気が動いた。
「……尖耳族だ。尖耳族がいるぞ!」
あの——帽子のやつが。
その言葉を聞き終える前に、クローネは弾かれたように走り出していた。
——どうしよう。どうしよう。どうしよう!
パニックに陥った頭はろくに働かなくて、クローネは人混みの中をやみくもに走り抜けた。
人にぶつかりそうになりながら懸命に走った。振り返るのは怖くて、隠れられる場所は見つからなかった。息は簡単に上がって、どこにも、ツェルトの姿が——。
ツェルトの名前は呼べなかった。正体がばれてしまったのだ。呼べば、関係が知られれば、ツェルトまで咎められてしまう。そう思って、クローネは叫ぶほどに呼びたい名前を、のどの奥に押し込んだ。
走った。
別の通りへ抜けるはずの路地に逃げ込もうとしたときだった。
クローネは突然肩をつかまれて、帽子を取り上げられた。
驚いて振り返ったクローネの目に飛び込んで来たのは、青い花束だった。
「お前が、お前が娘を殺したのか——」
クローネは、相手を確認しようとして顔を上げ、次の瞬間には、殴り飛ばされていた。軽い身体は朽木のように簡単に飛ばされて、頭を打って地面に転がった。
——あの子の、お父さんだ……!
クローネを殴ったのは、リヒトと一緒に死んでしまった少女の、父親だった。クローネは、混乱する頭でどうにかそれを理解した。逃げようとして痛む頭を持ち上げたが、父親に踏みつけられて、再び地面に打ち付けてしまった。その足は、明らかに耳を狙っていた。
「……ひ、う……」
父親が、憎しみの言葉を吐いている。靴底で耳を踏みつけられているクローネには、何を言っているのかほとんど聞き取れなかった。
痛みよりも、恐怖が勝った。
クローネは身体をひねって地面に手を着き、むりやり、地面と靴の間から頭を引き抜いた。頬を地面でこすって、擦り傷を作った。立ち上がろうとしたクローネは、父親に腕を掴まれた。振りほどこうとしても、力の差は歴然だった。
逃げられない、とクローネが絶望しかけたとき、
笛の音が響いた。
誰もが一瞬、影の来訪を思って動きを止め、クローネの腕を掴む手から力が抜けた。
そして、見上げた先から——
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