18


 九時過ぎには管理局が手配した他のコマドリに交代したものの、状況説明のためにツェルトは局に呼ばれて、遅くまで引き止められた。訃報を受け取ったリヒトの家族が、葬儀を明後日に執り行うことにしたらしいと最後に聞いて、ようやく解放された。


 あの女の子の葬儀は、明日執り行われるということだった。


 結局ツェルトは、日付が変わる少し前に帰路につくことになった。


 重たい気分のまま家に着いて、鍵をクローネに渡していたことを思い出し、海側に回った。二階の窓から入るつもりだったが、一階の窓が開けられていることに気付いて、そこから入った。


 ソファに座って待っていたらしいクローネは驚いたようだったが、すぐに「お帰りなさい、ツェルト」と言って立ち上がった。


「……ただいま」


 きっとクローネはめそめそ泣いているだろうと思っていたツェルトは、いくらか拍子抜けした。目が少し赤くなっていて、泣き痕が残っていたがそれだけで、気丈な様子に何故かツェルトは少し苛ついた。


「ご飯、食べますか? もし食べるなら、用意してあるから温めます」


 ツェルトは心の中で「リヒトが死んだのに」と思わずにはいられなかった。


「いや、いらない」とツェルトが素っ気なく答えると、クローネは「わかりました」と言って心配するような表情をつくった。


 ツェルトは、クローネよりも自分の方が動揺しているようで、それが悔しいような、弱みを知られたような、わけのわからない気分になって腹立たしかった。


 リヒトの死が軽く受け止められているように感じてしまって、頭では違うと分かるのに、妙に心がざわついて、抑えられなかった。


「去年は、十七人だった」


 無性に傷つけたくなって、思った時には既に口に出してしまっていた。「何が」とは、クローネは聞いて来なかった。


「少ない方だよ。大抵は毎年三〇人近くのコマドリが死んで、同じくらいの人数が補完される。使い捨てなんだよ、俺たち」


 思った通り、愉快なほどクローネは傷ついた顔をした。


 コマドリなんて、みんな呆気なく死んでいく。


 兄貴だってそうだったのだ。


 自分だって、いつ死ぬとも分からない。


 それをむりやり理解させて、ツェルトは暗い喜びに浸った。


 コマドリは、自分たちは、重宝されても大切には思われていないのだ——と、それはツェルトの中でずっと燻っていた思いだった。八つ当たりの様にその思いを吐き出して、ひどいことをしている自覚があるのに言葉を続けそうになって、しかしそれは、クローネに遮られた。


「そんな、悲しいことを言わないで下さい。——そんな、悲しそうな顔、しないで下さい」


 クローネの言葉があまりに真っ直ぐで、ツェルトはたじろいだ。


「悲しくなんか、」と反論しかけて、それ以上言葉が続かなかった。


 自分がひどく情けない顔をしている気がして、ツェルトは顔を逸らした。その場から逃げ出したくなって足早にドアに向かうと、追いかけてきたクローネに袖をつかまれた。


 傷つけるつもりで傷つけたのに、どうして引き止めるのか不思議だった。


 振り返って謝らなければと思ったのにできなくて、代わりにクローネに「ツェルト」と名前を呼ばれた。


「……ツェルトは、どうしてコマドリをやっているんですか?」


「他になかったからだよ」


 もしかするとクローネは、「人を助けるため」とかなんとか、そんな答えを期待したのかも知れなかったが、ツェルトに取り繕えるほどの余裕はなかった。


「——他に取り柄もなかったし、お前の言葉を借りるなら、他に生きてていいって言ってもらえる方法がなかったんだよ。それに、飛べる奴が飛ぶべきだろ。たいした理由じゃない」


「危なくても?」


 尋ねるクローネの声に、ツェルトは「別に」と投げやりに返した。


「俺が死んだって困る奴はいないからいいだろ。兄貴だって死んだし、悲しんでくれる人もいなければ、守るべき相手だっていないんだ。——リヒトみたいな奴じゃなくて、俺みたいなのがコマドリをやるのが、一番いいんだよ」


 袖をつかんでいたクローネの手が離されて、ツェルトはそれをやけに寂しく感じた。


 今度こそ本当に、どうしようもなく、クローネとの関係を壊してしまった気がした。


 今日までクローネは自分を頼りにしてくれていたのに、幻滅しただろうなと思うとやりきれなかった。


「私は、ツェルトが死んじゃったら、悲しいです」


 思いがけない言葉に、ツェルトはびくりと身体を固くした。


 クローネの声には、落胆したような響きは少しもなかった。


 その一言だけでさっきまでの塞いだ気分が嘘の様に消えていった。


 ツェルトはただ、一番欲しかった言葉を見抜かれてしまったようで、気恥ずかしさを感じた。


「……本当に?」と口にしてしまってから、バカなことを聞いたと後悔した。


 案の定クローネは怒ったように「本当に決まってるじゃないですか!」と声を大きくした。


 急にいたたまれなくなって、ツェルトは「おやすみ」と口早に告げてリビングを後にした。クローネは追いかけも声をかけもしてこなくて、おそらく自分の気持ちは見抜かれているんだろう思った。


 自分の部屋に戻って、ツェルトは着替えもせずにベッドに倒れ込んだ。


 先に帰ってベッドで眠っていたらしいキューンが目を覚まして、「どうかしましたか」と問うように髪の毛を引っ張った。


 クローネの言葉が耳に甦る。


 なんだか救われたみたいな気分だった。





 翌朝いつも通りキューンに起こされて、ツェルトは目を覚ました。かすかに雨の音が聞こえて、窓から外を確認すると、静かな雨が降っていた。


 ツェルトが一階に降りると朝食が用意されていた。キッチンから、紅茶を淹れたティーポットを手にクローネが現れて、ツェルトはいくらか気まずさを感じながら、「ごめん」と謝った。


ひどいことを言ったとか情けない姿を見せてしまったとか、そういうことを伝えたかったのだが、上手く言葉にならなかった。


 クローネは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑って


「ちょっと元気になったみたいでよかったです」


 と応えてくれた。


 朝食の途中でツェルトは「リヒトが、ピーコック・ターンできるようになったって言ってたろ」と話をはじめた。


 そんな話忘れているかも知れないと思ったが、クローネは首をかしげて、


「……それって、待機塔でリヒトさんと話していたやつですよね? できるようになったから、称号がどうのって言ってた」

 と憶えていたようだった。


 そう、とツェルトは頷いて、

「飛ぶときのわざのひとつなんだけど、それが出来るようになることが、シュテルネンを名乗っていい条件なんだ。別に出来なくても仕事はできるんだけど、慣習でさ。きのうリヒトは、二回やろうとして、二回とも成功していた」


「……じゃあ、」


「家族から承認が得られれば、あっちの墓の方にはシュテルネン・リヒトで残してやれるかもしれない」


 齧りかけだったバゲットを口に放り込んで、コーヒーを一口飲んでから、ツェルトは言葉を繋いだ。


「あいつの家族が称号の話を知ってるか、あるいは遺書でもあるといいんだけど」


 うーん、と少し考えるようにして、クローネは「リヒトさんなら、そういうこと全部ご家族に話してそうですね」と言った。


 ツェルトもそんな気がした。



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