14


 岬のお墓に付いて、キューンはきょろきょろと辺りを見回した。お墓には、キューンと同じくらいの背丈の、四角くて白い石の板がたくさん並んでいる。何か書かれているが、キューンには読めない。あの人のお墓はどっちだったっけ? とキューンは思う。それは他の石よりとびきり大きかったから、キューンはすぐに見つけた。


 ゆっくり歩いているツェルトとクローネを置いて、一足先にキューンはその墓石に飛んで行った。


 石はとても大きくて、それに文字もぎっしり書き込まれていた。それを見ながらキューンは「きっとあの人はすごく偉かったんだ」と思っていた。だから、こんなに大きなお墓をつくってもらえたのだ、と。墓石のそばに、キューンはそっと花を置いた。


 ツェルトとクローネがキューンに追いついて、クローネが口を開いた。


「これが、さっき言っていたコマドリのお墓ですか?」


「そう。みんな死んだら、ここに名前を刻まれる。個人のお墓がある人も」


 じゃあ、みんなこの下に眠っているんですね、と言ったクローネに、ツェルトは笑って首を振った。


「いや、だいたいみんな、散骨してくれって言うんだ。あそこの高台からさ。死んでも飛びたがるなんて、ほんとバカだと思う。でもまあ、俺もそうしてもらうつもり」


 クローネがちょっと悲しそうな顔になった、とキューンは気付く。


「……影のせいで、こんなにたくさん亡くなっているなんて」


「別に、クローネが悪いわけじゃないだろ」


「でも、やっぱり……。ツェルトさんの知っている人も、たくさん亡くなってるんでしょう?」


「——それは、まあ」


 ツェルトは墓石に刻まれた名前を指差しながら、知っている名前を読み上げた。


「——————————」


 そして最後に、


「……シュテルネン・ヒメル」


と、言った。


 キューンはその名前を聞いて、ぴくりと反応した。あの人の名前だ。


 クローネが、ツェルトを見上げて、


「……お兄さん?」


 と、聞いた。


「え?」


「違いました?」


 ツェルトは少し考えるようにして、


「……俺、ツェルトって名前しか言ってなかったよな?」


 そう、不思議そうな顔をした。


「料理しないって言ってたのに、キッチンに道具が揃ってたし、それにあの部屋も。……一緒に住んでいたんですよね? だから、そうかなって」


「それだけじゃ、名前までは分かんないだろ」


「だって、すごく大事そうに呼んだから」


 ツェルトが観念したようにため息をついた。


「……そっか、気付くもんなんだな。合ってるよ。俺が、シュテルネン・ツェルト。兄貴は、三年前に影に喰われて、川に落ちて死んだんだ」


 あの人がいなくなったとき、ツェルトはずいぶん悲しそうだった、とキューンは思い出す。泣いてはいなかった気がする。ぼうっとお墓の前に立って、すごく遠くを見ているみたいな、でも何も見ていないような、透明な目をしていたと思う。ぽつりと「あーあ」と呟いて、それから「なんだ、兄貴でも死ぬのか」と言って、お墓の前から立ち去ったのを憶えている。


キューンに言葉の意味はよく理解できなかったが、すごく悲しくて寂しくて悔しくて、少し投げやりに、ちょっと怒って、何かを言ったのだということは分かった。

 あの頃はたしか、赤っぽい髪の眼鏡の人がしょっちゅう家に来て、食べ物を置いて行ったはずだ、とキューンは思う。


「ごめん。隠すつもりはなかったんだけど、言い出せなくて。あ、シュテルネンって、家の名前って言うより称号みたいなもんな。師弟間で引き継がれるんだ。俺は孤児院の出で、兄貴が引き取って育ててくれただけだから」


 ツェルトの声を聞きながら、キューンは鳴き声をあげて空をくるくる飛んだ。


 ヒメルが死んでから、キューンはツェルトのそばで眠るようになった。



     ◆



 お墓参りをすませて、ツェルトはクローネを連れて岬から飛び降りた。崖伝いに少し移動して、崖と崖の隙間にできた小さな砂浜に辿り着く。片手で帽子を押さえて、片手にバスケットを持ったクローネを砂の上に降ろした。


「ここなら誰も来ないし、大丈夫だろ」


 ツェルトがそう言うと、クローネは頷いた。


「すごい。穴場ですね」


 「実はここでキューンを見つけたんだ」とは、ツェルトは言わなかった。説明するのが面倒だったからだ。


 ツェルトは六年前、兄に連れられてお墓参りに行ったときにキューンを拾った。


「俺が死んだらさ、あそこの高台からじゃなくて、お前が登れる一番高いところから撒いてくれよ」と話すヒメルの言葉を聞き流していたら、キューキュー悲しそうな鳴き声が聞こえてきたのだ。どこから聞こえてくるんだろう? と探した十二歳のツェルトは、この砂浜に辿り着いた。


後からついてきたヒメルが「なんかの動物の子供か? 怪我してるな。あ、ツェルト手を出すな、たぶん親を呼んでるんだ」と言ったので、ツェルトは親が来るのを見届けようと思って、崖の上で鳴き声を聞きながら待った。お墓に来たのは朝だったのに、夜まで待っても親は現れなかった。


横でずっと寝転がっていたヒメルが「もうダメかな」と言うので、ツェルトは不安になった。「ダメって、死ぬのか?」と尋ねたツェルトに、ヒメルは困ったように笑った。ツェルトが「あいつ、捨てられたんだ」と言うと、ヒメルは本気で困った顔になった。ツェルトは駆け出して、名前を呼ぶヒメルの声も無視して、崖から飛び降りた。



 そして、引っ掻かれたり噛まれたりしながら、キューンを連れて帰った。


 それにしても兄は辛抱強かったし、その上寛大だったとツェルトは思う。朝から晩までずっと一緒に待ってくれたし、途中で「諦めて帰ろう」と言い出すことすらしなかった。連れて帰ったあとも、ただ「そいつ何食うんだろうな」と言っただけだった。


川に落ちた遺体が見つからなかったせいで、「お前が登れる一番高いところから撒いてくれ」という頼みに応えられなかったことが、未だに心残りだった。


「…………さん。ツェルトさーん」


「え?」


「どうしたんですか? ボーっとして」


 無意識のうちに物思いにふけっていたツェルトは、クローネの声で現実に引き戻された。


「……いや、なんでもない。練習はじめようか」


「はい。よろしくお願いします」


 クローネが、ぺこりと頭を下げる。





 じゃあこれ付けて、とツェルトはポケットから幅の広いバングルを取り出した。


「なんですか、これ?」


 受け取ったクローネに尋ねられて、


「補助具」


 と、ツェルトは短く答えた。


 補助具? と首をかしげながらバングルを左手首に付けたクローネは、すぐに変化に気付いたようだった。


「……うわ、わわ。なんか変な感じがします!」


「下に引っ張られる感じだろ?」


「はい! なんなんですかこれ?」


 えっと、と少しツェルトは考える。


「なんか、自分の体に作用している力を感じ取りやすくするやつ」


「作用している力?」


「そう、重力に引っ張られる感じとか、誰かに手を引っ張られてかかる横向きの力とか、そういうのを知覚しやすくする道具」


 言ったそばからツェルトはクローネの手を取って、思い切り引っ張った。


「ひゃあ!」


 ぼすっとツェルトのみぞおち辺りに頭をぶつけたクローネは、「な?」と言ったツェルトを少しだけ恨みがましそうな目で見上げた。


「あれ? 怒った?」


 体を離したクローネは、少しだけ顔を赤くして、いじけたみたいな顔をして答えた。


「……怒ってません。それに、横向きの力っていうのも、確かに分かりました」


 怒ってないならいいや、とツェルトは説明を続けることにした。


「その、体に作用している力をコントロールして飛ぶんだ。慣れたら補助具なしでもできるけど、感覚を掴むまではそれ付けといて」


「コントロール?」


 そう、コントロール、とツェルトは応じる。


「俺たちが飛ぶときにやってることは、基本的に二つだけなんだ。力が作用する向きの操作と、エネルギーの蓄積。本来は起きるはずのない現象を、むりやり起こすために魔力を消費する」


「それだけ? それだけで、あんなに自由自在に飛べるんですか?」


 クローネは不思議そうだった。


「細かく言えばいろいろあるけど、基本的にはそれだけ。最初からいろいろ言っても意味ないから、今はそれだけ憶えとけばいい。ま、簡単な操作からやってみようか」


「はい!」


 元気に答えたクローネは、わくわくと目を輝かせた。が、ツェルトは思い出したように、


「あ、その前に準備運動な。怪我しないように」


 魔法を使う前に準備運動、ということに、クローネは拍子抜けしたようだった。



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