第4章 灰色の朝
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キューンはいつも、日の出と同時に目を覚ます。太陽と結びついた魔法生物であるキューンは、まだ眠たくても必ず起きて「日の出を見届けなければならない」という衝動にかられる。
その日もキューンはツェルトの枕元に丸くなって寝ていたが、日の出を察して目を覚まし、カーテンの隙間に顔を突っ込んで、水平線から太陽が昇って来るのを見届けた。
それからキューンは、静かに部屋の中をくるくる飛びながら、どうしようかと考えた。昨日の朝は泣いていた女の子が心配だったので、すぐにその子の枕元に戻って丸くなった。けれど、今日いつものベッドで寝ているのはツェルトだったし、昨日の夜は女の子も楽しそうに笑っていたからもう大丈夫だと思う。やっぱり海に遊びに行こう、とキューンは決めた。
一度ツェルトの枕元に戻って、まだ寝息を立てている飼い主に「きゅー」と小さく鳴いて、「ご主人、ボクは海へ遊びに行ってきます」と伝えた。
鍵が開けっ放しの窓を器用に少しだけ引いて、できた隙間からキューンは飛び立った。
海面まで降りてぱしゃぱしゃ水をはねさせて、水平に飛びながら、長いしっぽで海面を波立たせた。
ハネツキウサギと呼ばれているくせに尻尾が長いのか、と言われてもキューンの知ったことではない。そもそもウサギとは全く別の生き物である。もふもふしているし耳も長いが、立派な竜の仲間なのだ。
キューンは一度高く飛んで、水面下の魚に狙いを定め、一気に急降下して海へ飛び込んだ。魚を加えて海から飛び出し、そのままごくりと丸呑みした。
それを三回やって、キューンは満足した。
それからしばらく鳥と戯れて、キューンは家に帰った。
バルコニーの手すりの上で、ぶるぶるっと体を震わせて水滴を散らして、出てきた隙間から部屋に戻った。
壁の時計を見て、はたとキューンは自分の役目を思い出した。針が「7」と「8」の間を指している。いつもは「7」を指している時に、放っておくと延々と寝続ける飼い主を起こすのだ。これは早く起こして差し上げなければ、とキューンは慌てた。
まず耳元でキューキュー鳴いた。大抵はこれで起きる。ときどき寝返りを打って嫌がられるが、今日はそれだった。ほっぺたをぺちぺち叩いてみたが、今日はやけに起きるのを渋るではないか。キューンは最終手段に出ることを決める。枕の端をしっかりくわえて、一気に飛び上がった。
「あー……」
やっと起きたツェルトの胸元に枕を落として、キューンは鳴き声を上げた。
「……今日休みなんだけどなー。あ、キューン、お前また海に入ったろ? いろいろ濡れるからやめろって」
ツェルトの困ったような表情を見て、キューンは察した。今日は三日か四日に一度訪れる、起こさなくても良かった日らしい、と。
起き出したツェルトが着替えるのを見ながら、キューンは壁際にかけてある服を持っていこうか迷った。ツェルトはいつもなら最後にこれを羽織る。けれど、起こさなくていい日は着なかった気がする。その服の代わりにツェルトがグレーのシャツを羽織ったのを見て、キューンはやっぱり今日は違う日だ、と思った。
頭に乗ると、
「冷たい」
と、振り払われて、キューンは少しだけ海に入ったことを後悔した。
ツェルトを追って洗面所に行き、それから居間に行くと、女の子がいた。キューンはまだ女の子の名前を憶えられていなかった。
「おはようございます、ツェルトさん。いま起こしに行こうかと思ってたんですよ」
「おはよう、クローネ。早いな」
そうそうクローネという名前だった、とキューンは思い出した。クローネに「キューちゃんも、おはよう。濡れてるけどどうしたの?」と言われて、キューンは「キュー!」と鳴いて返した。
テーブルの上にはいろいろ並んでいて、昔みたいだとキューンは思った。クローネはキューンに、小さく切り分けた林檎を出してくれた。食べやすくて、これは昔と違うな、とキューンは思った。
食事の後、クローネがバスケットにサンドイッチをたくさん詰めるのを見て、キューンは「何やら出かけるらしい」と気付いた。
「こんな格好で大丈夫ですか? スカートはさすがにやめたんですけど」
サンドイッチを詰め終わったクローネが、ツェルトに尋ねる。紺色のブラウスの下に短いズボンを履いて、いつもの帽子を被っていた。
ツェルトはクローネを一瞥して、
「まあ、大丈夫だろ」
と、いまいち当てにならない返事をした。うーん、とクローネは少し悩んで、「これでいいや」と言った。それから「あれ?」と首をかしげて、
「ツェルトさん、お休みでもそれ付けるんですね」
と、ツェルトの笛を指した。
「——ああ、これ? 何があるかわかんないからさ。お前こそ、その重たそうな本をなんで持ち歩くんだ?」
「……うーん、何があるかわからないから?」
答えを真似たクローネに、ツェルトは「あっそ」と返してキューンの方を向き、
「キューンはどうする? 出掛けるけど、付いて来るか?」
キューンはもちろん付いて行く。
ツェルトとクローネの後に付いて飛びながら、キューンは少し寂しかった。
クローネが来てから、ツェルトは自分にあまり構ってくれなくなった気がする、とキューンは思う。クローネは最初はお客さんかと思ったが、今日でたぶんもう三日目だと思う。いつまでクローネは家にいるのだろうか。ずっといるのだろうか。それは困る。
でも今日いなくなってしまうならそれはそれで寂しい。二人で楽しそうに話している。混ざりたい。喋れればいいのに。どこに行くんだろう? 今日は遊んでくれないの?
「……きゅー……」
ツェルトもクローネも、キューンの寂しげな鳴き声にちっとも気付かず、話を続けた。
「……そう、お墓の近くにわりと広い砂浜があって、そこを見つけてからは、砂浜で兄貴に教わってたんだ。あそこなら、滅多に人が来ないし、下が柔らかいから落ちても大丈夫だと思う」
「お、落ちるんですか?」
「最初のうちはけっこう落ちるだろうな。大した高さじゃないから大丈夫だって。それに転んでも痛くない」
「……ツェルトさん、私のことすごい運動音痴だと思ってませんか?」
「え、違うのか? さっきだって、何もないところでつまずいただろ?」
「そうですけど」
クローネがしゅんと俯いたのを見て、キューンは少し心配になった。泣きそうなのかもしれない。初めて会った日にも泣いていたと思う。もしやご主人は女の子を泣かせる悪いやつなのだろうか。いやいや、まさかご主人がそんな酷いことをするはずがない。違ったらどうしよう。
キューンの心配をよそに、ツェルトは会話を続ける。
「あ、そこの花屋に寄っていいか? ついでにお墓参りしたい」
ぱっと顔を上げたクローネが「はい」とうなずいて、ふたりが花屋の前で立ち止まった。キューンはその隙にツェルトの肩に乗ることに成功する。日に照らされてほとんど毛皮が乾いていたので、朝のように振り払われたりしなかった。
「キュー、キュ?」
ツェルトが白いガーベラとマーガレットの花束を受け取ったのを見て、キューンはやっと、どこに行くのかがわかった。キューンはその花に見覚えがあった。匂いも憶えていた。お墓に供えるやつだ。
あの場所に行くのはちょっと久しぶりだな、とキューンは思った。
「キュー! キュー!」
キューンは一生懸命に主張して、花を持つ役割をもらった。
「大事にしろよー」
そんなことをツェルトが言っている。
「だいじに」くらいならキューンも分かる。噛んだり、振り回したりするな、ということだ。キューンは言われなくとも大事にするつもりだった。
——だってこれ、あのひとのためのお花でしょ?
花を持って、行き先も分かって、さっきより少しだけ元気に、キューンはふたりの後ろを付いて行く。
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