12



 買い物を終えたクローネは、市場の入り口近くにあった小さな広場のベンチに座って、リヒトを待っていた。手持ち無沙汰に足をぷらぷらさせながら、横に置いた、多くなってしまった荷物について嘆いていた。


ひとりでなんとか持てる量だが、いかんせん重い。いやいや、これはなけなしの筋肉を鍛えるためのトレーニングなのだ、とクローネは自分を励ました。


 それにしてもリヒトさんはどこへ行ってしまったのだろうか、とクローネは首をかしげる。一着だけ服を買おうかと考えていたのだが、リヒトの思わせぶりな様子からすると買わなくてもよいかもしれない、と思ってやめた。


 まだかな、と思いながら鼻歌を歌っていると、


「あ、いたいた!」


 と、後ろの方から声がした。


 クローネが振り返ると、リヒトが屋根ほどの高さから飛び降りたところだった。


 とん、とクローネの前に軽く着地したリヒトは、左右の手に二つずつ、大きな紙袋を下げていた。


「じゃーん!」


 リヒトはにっこり笑った。そして紙袋を差し出しながら


「クローネちゃんが迷惑じゃなかったら、これ、あげます」


 と言った。


「……え、ええ!? どうしたんですかこれ?」


 慌てて立ち上がって紙袋を受け取って、クローネは驚いた。紙袋にはぎっしりと服が詰め込まれていた。広げてみなくても、けっこうな量だと分かる。


 もしかしたら、知り合いから服を譲ってもらって来てくれるのかも、などとクローネは密かに期待していたのだが、思いがけない量に戸惑った。


「俺、年の離れた姉がいるんですけど、その子供——姪っ子ですね。姪の服なんです。年はたぶんクローネちゃんと同じくらいなんですけど、今もうこれくらい背があって」


 これくらい、と言いながら、リヒトは手でその高さを示した。クローネよりこぶし三つ分くらい高い。


「着れなくなった服がたくさんあったんですよ」


 そう言って手を戻したリヒトは、「あれ?」と首をかしげた。


「……クローネちゃん年いくつですか?」

「一六です」


「え、俺と同い年じゃないですか! びっくりした! じゃあ姪の方が年下です。あ、いや、クローネちゃんが小さいってことじゃなく、うちの家系がわりとでかいんですよ。それも、早いうちに伸びて、後から伸び悩むパターンですね。


だから、気にしないで下さいね。とにかく、大きくなっちゃって、もうこの服着れなくなっちゃってて、姉ちゃんが誰か貰ってくれる人を探してたんです。ちょうど良いって言ったのはそういう意味です」


 だから、良かったら貰ってくれませんか、とリヒトはにっこり笑った。


「ほ、ほんとにいいんですか? 私が貰っちゃって」


 はい、とリヒトが頷いたのを確認して、クローネは勢いよく頭を下げた。


「ありがとうございます! すごく助かります!」


 あはは、とリヒトは笑って、


「じゃ、早く帰って先輩に美味しい料理をつくってあげてください。送って行きますよ。あ、俺がそっち持ちます」


 重い買い物袋を持ってくれた。



 ツェルトの家に到着して、クローネはお礼を言ってリヒトと別れた。帰り道でもリヒトは、「先輩は、」とそんな話ばかりしていた。話を聞いていると、リヒトは何度かツェルトから飛び方を習ったことがあるらしいと分かった。


いわく、自分は学校の嚮導員養成過程で飛び方を習ったのだが、実践的なことはまだまだ弱いからツェルトに頼んで教わっているのだ、といことだった。


 クローネは荷物を居間のテーブルに置いて、まず洗濯物を取り込んだ。太陽を存分に浴びたシーツが気持ちよくて顔をうずめてたくなったが、それをすると、そのままソファかベッドに倒れ込んで眠ってしまいそうだったので我慢した。


誘惑を断ち切ったクローネは、慣れた手つきでベッドにシーツをセットして、それからツェルトに借りた服を脱いで、取り込んだばかりの自分の服に着替えた。リヒトから貰った服を着てみたいと思ったものの、料理の最中に汚してしまうのが怖かったからである。



 居間に戻ったクローネは「よし!」と意気込んだ。


 リヒトに教わった、パーフェクトらしいメニューを作るのだ。



     ◆



 窓から家の中に入り、テーブルの上にオレンジ色のものを見つけて、ツェルトはペスカトーレだと確信した。外に漂っていた匂いで、もしかしたらとは思っていた。けれど、それが好物だといった覚えはなかったので、まさかピンポイントで一番好きなものが出て来るとは思わなかったのだ。


 魚介とトマトの匂いが鼻を刺激する。


「……めちゃくちゃうまそう」


 物音に気付いたクローネが、「おかえりなさい!」とキッチンから顔を出した。


「ただいま。ペスカトーレ、大好きなんだけどよくわかったな。偶然?」


 言いながら、テーブルの上に並べられたサラダや付け合わせ、それにクローネが運んで来たスープを見て、ツェルトはしばし固まった。


「びっくりしました?」


 笑いながら、クローネが言う。


「なに? 魔法か何かで、俺の頭の中のぞいた?」


「違いますよ。街で偶然リヒトさんに会って、いろいろ聞いたんです。あ、服も貰ったんですよ」


「服?」


「姪っ子がいるらしいんですけど、その子が着られなくなった服を譲ってくれたんです」


 そういえば、姪がいるって言っていたっけ、とツェルトは思う。話を聞いた限りだと、ずいぶん仲が良さそうだった。というより、リヒトは誰とでも仲が良い気がする。


「そうか。それは良かったな」


 そう言って席に着きかけたツェルトは、


「ダメです。手を洗って下さい」とクローネに言われて大人しく従った。


 手を洗って居間に戻ると、クローネが席に着いて待っていた。ツェルトが向かいに座ると、


「お口に合うかわかりませんが」


 と笑った。


 ツェルトは美味しくないはずがない、と思いながら「いただきます」と手を合わせた。


 一口食べて、「お前、料理うまいな」と褒めた。お世辞ではなく本当に美味しくて、ツェルトはろくに話もせずに、黙々と料理を口に運んだ。早々にペスカトーレを食べ終えて、おかわりある? と尋ねようとして、ツェルトはクローネの手が止まっていることに気付いた。


「……どうした?」


「いえ、気持ちのいい食べっぷりだなーと思って。嬉しくなります」


「だって、めちゃくちゃ美味いよ。お嫁さんに欲しいくらい」


 お嫁さん、という言葉にクローネが動揺したことに気付きもせずに、ツェルトは続けた。


「にしても、リヒトの奴すげーな。俺の好みを把握しすぎだろ」


「……ほんとう、びっくりするくらい、よく知っていましたよ。今日は作らなかったけど、他にもカボチャを使った料理が好きだとか、じゃがいもは蒸してあるものより焼いたものの方が好きだとか、あと苦みの強いものはあまり好きじゃないとか、」


 クローネが次々と挙げる例に、初めは「そうそう」と相槌を打っていたツェルトだったが、途中から押し黙ってしまった。


「あと、デザートに焼き林檎を用意してありますから、楽しみにしててください。


——ってあれ? どうしたんですか? 怖い顔して」


 もしかして、焼き林檎はダメでした? と尋ねるクローネに、ツェルトは首を振った。焼き林檎に罪はない。


「いや、あんまり完璧に把握されてるもんだから、少し、いやかなり——」


 怖い、とツェルトは言った。

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