11
時刻は少し遡る。
敵性魔法生物管理局は、比較的大きな建物だった。
街の建物のほとんどは国を奪った当時のまま、設備だけを新しくして使われていて管理局も例外ではなかったが、建物の本来の用途が何だったのかは、もはや定かではなかった。ただ、個室が多くある大きめの建物が三棟、コの字に並べられていて、ホテルのような物だったんじゃないか、と言われていた。
ツェルトは正面玄関から入るのが面倒だったので、その個室のひとつ——友人個人の研究室になっている——の窓から直接、室内に入った。
「よっ、ツェルト! ちょっと遅かったじゃねーか。いやあ、よく来たよく来た。まあ座れ」
部屋の主、ゲニアールは慣れた様子でツェルトを迎え入れた。
「わるい、ゲニ。見せたいものって?」
勧められるままに、ゲニアールが指差したソファに腰掛けようとして、ツェルトははたと立ち止まった。ソファの前のテーブルに、ピザやフライドポテト、ビスケットや果物が用意されていたのだ。
ツェルトは不信に思った。
ゲニアールはツェルトと同い年の、敵性魔法生物管理局研究所の研究員である。薄い赤色の長めの髪をヘアバンドでとめていて、眼鏡をかけている。研究熱心なことで有名で、夢中になるとろくに食事も摂らなくなるせいでガリガリに痩せていて血色が悪い。若いながら功績も多く、そのため重大な役職に就いていて、個人の研究室まで与えられている。
ただ、少々研究熱心が過ぎるところがあった。
研究室を見回せば、何かの測定器や記録装置といった実験器具、大量の書物と書類の山などに混じって、彼の数々の発明品が置かれているのがわかる。その多くは、絶賛したくなるような出来で、仕事の範疇以外にも興味を示す彼の発明品の中には、庶民の生活に役立っているものも多くあった。例えば街灯などに使われている鉱石は、ゲニアールが発見して抽出に成功し、使用法を確立させたものである。
けれどときどき、突拍子もないものを造って周囲の人間を驚かせることがある。それを見て人々は「天才の考えることはわからない」と口を揃えて言う。そしてその、突拍子もない発明品のモルモットとして、いままで犠牲になってきたのは友人のツェルトだった。
「……お前が食べ物を用意しているのは、何か頼みがあるときだ」
「そう警戒すんなって。今回のは絶対に喜んでもらえる物だから」
「本当に?」
「本当だ本当。僕が今まで嘘ついたことあったかい?」
「嘘ついてばっかだろ」
「認めよう」
「隠し事も多い」
「それも認める。いいから黙って餌付けされろよ」
ツェルトは諦めて餌付けされることにした。心の中で、まともな発明品であることを祈った。
「これだよこれ」
そう言ってゲニアールが出して来たのは、腕時計のような、バンドに細長い板状の装置がつけられた物だった。
「……なに?」
「言うなれば、騒音レベル測定装置ってとこだな」
「何に使うんだ?」
「影の探知」
どうやら今回は当たりらしい、とツェルトは思った。
「今までは、今日はオオカミの影がこの辺に何体現れそうとか、滅多に現れないクジラが何日頃に現れるはずだとか、そんなことしか分からなかったろう? 回転針が止まるまで、影が来るって分からなくてさ。あれってまあ、細かい時間とか場所に、規則性が見つからなかったからなんだけど。僕は考えたわけだ、何か出現を決定付けるものがあるはずだってね。ここでひとつ問題だ、ツェルトくん。影が獲物を選別する手段は何だ?」
口の中のピザを飲み込んで、ツェルトは答える。
「……声。というより音」
「正解だ。素晴らしい。影は音で獲物を選別する。おそらくは視力が弱い。その影が、出現時間や場所を選ぶなら、やはり音に頼るはずだと僕は考えた。そこで街中に騒音レベル、ようはどれくらいうるさいかってことを測定して記録する装置を仕掛けた。
そして、その記録と影の出現記録を突き合わせて考察を試みた。やはり相関関係はあったよ。前後の時間より極端にうるさくなった時には確実に影は出現していたし、同じ時間ならよりうるさい場所に出現していた」
そこで一旦、ゲニアールは言葉を切った。
ふう、と息継ぎをして続ける。
「で、これは、その発見をもとに造った、騒音レベルを測定して、影の出現を知らせる装置ってわけだ。街に仕掛けた装置とリンクしていて、その場所に影が現れそうになると、この、嵌め込んである赤い鉱石が光る。安全なうちは緑の方な。うまくいけば、回転針より探知が早いよ。最終的には、別の場所にいても何処に影が現れるか分かるようにするつもり」
「……ゲニ、お前やっぱ天才だ」
ツェルトの言葉にゲニアールは満足げに「だろ?」と頷いた。
「まあ、先行研究はあったんだ。騒がしさと影の出現に何らかの関連があるんじゃないかって説を唱えていた人がいてさ。その人は行方不明になっちゃったらしいんだけど、埋もれていた資料を見つけ出して、僕が完成させたってわけ。けっこう大変だった」
へぇ、と感心したツェルトは、「行方不明になった学者」の存在を聞いて、ある可能性に思い当たった。クローネの母親かと思ったのだ。とは言え、訊くわけにはいかないので、その疑問は胸にしまっておくことにした。
「いや、ほんとこれは、ありがたいな」
「おう。僕だってツェルトの役に立ちたいからな」
「……なんでお前が言うと、胡散臭く聞こえるんだろうな」
「ひっでー!」
げらげらとゲニアールは笑った。
「ま、まだ試作品だからさ。しばらく使ってみて、上手く出来ているか報告してくれよ。それを頼むために来てもらったんだ」
「了解」
「うん。よし、食え食え」
促されて、ツェルトは用意されたものをほどほどに食べた。仕事前に食べ過ぎると、碌なことにならないからだ。
「あ、ところで」
ツェルトは、訊こうと思っていたことを思い出して口を開いた。
「研究所の所長って、図書館の館長でもあったよな?」
ポテトをむさぼっていたゲニアールが、うん? と手を止めた。
「敵性魔法生物管理局研究所所長兼王立図書館館長兼第一王女専属家庭教師、な。くそじじいがどうかしたか?」
くそじじいって、と思いながらツェルトは尋ねる。
「いや、ちょっと会えないかと思って」
「くそじじいに? 仕事か何かか?」
「そんなとこ」
「くそじじいならいないぜ。滅多に研究所にも図書館にもいないから、会うのは難しいんじゃねーかな」
すこしだけ、ツェルトはがっかりした。
——しかし、地位ある人をくそじじい呼ばわりとはどういうことだ。
「そうか。やっぱり忙しいんだな。そんなに役職に就いていたら、当然だよな」
ゲニアールは「ちげーよ」と反論した。
「くそじじいがまともにやってる仕事なんて家庭教師くらいだよ。あとの面倒な仕事はぜんぶ僕に押し付けて、押し付けて——」
どうやら怒っているらしい、とツェルトは気付く。
「押し付けて?」
「犬の散歩に行ってんだよ。四六時中! 仕事しろっつったら、年寄りの唯一の楽しみを奪うもんじゃない、だぜ? やってらんねーよ!」
お前も苦労してるんだな、とか、大変だな、とか言おうとして、ツェルトはやめた。褒めることにする。
「つまり、それだけお前が有能かつ信頼されてるってことだろ」
「うるせえ。僕は騙されねーぞ」
騙すつもりは特にないんだけど、と思いながら、ツェルトはビスケットを咀嚼した。
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