15
屈伸、伸脚、前後屈、肩と手首と足首を回して、数回軽く跳躍、と一通り準備運動をしてみて、ツェルトは気付いた。
「クローネお前、身体柔らかいな」
褒めると、クローネは嬉しそうに笑った。
「そうなんですよ。パワーもバランス感覚もないけど、身体が柔らかいことだけが取り柄なんです」
「バランス感覚ないって、一番先行きが不安になるセリフだけどな」
「うっ」
数秒前まで笑っていたのに、すぐにクローネは困ったような顔になった。ころころ表情が変わるので、ツェルトはからかうのが少し面白くなってしまった。やりすぎると怒られそうである。
「……よし、準備運動もやったし、今度こそはじめようか」
「……本当に?」
案の定、クローネに警戒されてしまった。
「本当だって。まずは、浮くところからな」
そう言うと、ツェルトはクローネの左手を取った。そして、きょとんとしているクローネに、「軽くジャンプして」と指示を出した。言われた通りにぴょんっと跳んだクローネは、そのまま、着地することなく浮いていた。
「浮いてる! 浮いてますツェルトさん!」
「俺が操作してるからな。重力を半分逆向きにして、上下方向の力を釣り合わせてるんだよ」
「他の人のも操作できるんですか?」
「できるよ。どこかに触れていれば。俺はこういう神経使うの苦手だけど」
「すごいですね!」
はしゃぐクローネが少し面倒になってきて、ツェルトはわざと淡白に返した。
「うん。それはいいから、感じ取れるか? 上下の力が釣り合ってんの」
「えっ」と小さく声を上げたクローネは、すぐに目を閉じて力を感じ取ることに集中した。
「……はい。わかります」
「その感覚を憶えて、で、自分がそれを操作して釣り合わせるのをイメージするんだ」
ツェルトも感覚を研ぎ澄ませて、クローネの意識が力の操作に介入してくるのを感じ取った。そして少しずつ、クローネの操作する力の割合が多くなるよう、自分の意識を弱める。九割方クローネに力の操作を任せて、それが安定したのを確かめてから、ツェルトは「手、離すぞ」と言って、そっと手を離した。
クローネは三秒ほどその場に留まってから、すとん、と落ちて着地した。
目を開けたクローネは、「信じられない」とでも言いたげな表情で、ツェルトを見上げた。
「私……いま、浮いてましたよね?」
「浮いてたな」
三秒ほど沈黙が流れてから、クローネが口を開いた。
「え、こんな、すぐに出来るようになるんですか? 儀式も、呪文も、魔法陣も魔導書も何もなしに?」
「でもいま、身体に教えただろ?」
「………………」
ぽかんとしているクローネに、ツェルトは「これだけ」と言った。
「あとは、上向きの力を多くすれば上昇するし、横に向ければそっちに移動するし、応用しだい。エネルギーの蓄積ってのはまた別だけど、それができるようになれば一気に加速したり、かかる力を大きくしたりできるようになる。それはまた今度な」
ゆっくりと思考停止状態から回復して、クローネは、「わかりました」と頷いた。
それからツェルトは、「あとは最低でも三〇秒は浮かんどけるように練習なー」と言ってクローネを置き去りにし、離れたところで丸くなってつまらなさそうに尻尾をぱたぱたさせていたキューンのそばまで行って、砂の上に寝転がった。
二時間近くたっても、クローネは三〇秒浮かべるようにはならなかった。
「……ぜんぜんダメだな」
しゅんとしたクローネの頭を雑に撫でて、「ま、そんなに落ち込むなって。サンドイッチうまいよ?」とツェルトは言った。ふたりは昼食をとっていた。
ツェルトは三〇分もあれば出来るようになるだろうと踏んでいたのだが、予想していた以上に、クローネには素質がなかった。
——これは、さすがに早く諦めさせた方がいいな。
これほど上達が遅いなら、わざわざ砂浜まで来る必要はなかったな、とツェルトは思う。諦めるよう説得しようかと考えたが、まだ練習を始めたばかりなのにそれをするのは、さすがに可哀想に思えた。悩んでいると、クローネが口を開いて、
「……ツェルトさんは、どのくらいで出来るようになりました?」
質問されて、ツェルトは正直に答えることを少しためらった。が、結局ごまかしても意味はないか、と事実を伝えることにする。
「……俺も教わったのはお前の年の頃だったけど、最初からできた」
「……うそ」
当然ながら、クローネはショックを受けていた。「あ、いや」とツェルトが言うと、クローネの目に少しだけ希望が灯ったが、残念なことに、ツェルトは訂正しようと思ったわけではなかった。
そういえばツェルトは、クローネの年齢を聞いた覚えがなかったのだ。
「お前、年いくつ?」
「一六です」
「え、じゃあ二つ下か。一二、三かと思ってた」
「…………」
追撃してしまったと気付いて、ツェルトはさすがに申し訳なくなった。
「年の割にしっかりしてんなー、とは思ってたんだけどさ」
「…………」
フォローの効果は薄いようだ。
「あー、一六なら、さんなんて付けなくていいよ。ツェルトって呼んでくれ」
ツェルトは呼び方なんて何でもよかったが、開いてしまった心の距離を埋められないかと思って、提案してみた。クローネは黙ったまま、手に持っていたサンドイッチをむぐむぐ食べ終えると、ぽつりと言った。
「ツェルトさ……ツェルト。私、ちゃんと飛べるようになるんでしょうか?」
「…………練習あるのみ、としかお答えできません」
ツェルトの言葉を聞いてすっくと立ったクローネは、決意に満ちた表情で、
「私、がんばります!」
と、宣言した。
そして呆気にとられたツェルトを残し、少し離れた場所まで移動すると、ひとりで練習を再開した。
——負けず嫌いなんだろうか。
なんにせよ、ポジティブなやつで良かったとツェルトは胸を撫で下ろした。「きゅー?」と見上げてきたキューンを撫でて「クローネ、がんばるってさ」と答えた。
ツェルトの視線の先で、クローネはジャンプして、七秒ほど浮かんで落ち、またジャンプするというのを繰り返した。
しばらく眺めたあと、ツェルトはクローネから視線を外した。
——あれで一六歳か。
ツェルトは、クローネの年齢に少しばかり驚いていた。背はまだしも、一六歳にしては手足も身体全体も、子供のように細かった。あれで一六とは栄養が足りてないんじゃないか、とツェルトが心配になるくらいだったが、それにしては元気である。細いわりに控えめに膨らんだ胸も、おとといの話の仕方も、料理の腕も、確かに一六と言われれば年相応に思えてくる。
——尖耳族ってのが、みんな華奢だったりするのかな。
まあいっか、と投げたツェルトは、「あれで一六歳か」よりもっと重大な問題について考えた。つまりそれは、「一六歳ってちょっとまずくないか」ということだった。
一六歳の女の子としばらくひとつ屋根の下ということに、なんとはなしにツェルトは後ろめたさを感じた。手を出そうとか、あわよくばなどとは思っていないが、それでも一六歳の女の子としばらくひとつ屋根の下、である。嬉しいと言えば嬉しい。
が、何も悪いことなどしていないはずなのに罪悪感があった。意識した途端に、さっきの「身体に教えただろ?」という発言も危うい言い方に思えてきて、ちゃんと説明すればよかったと後悔した。
——本当は左手を取ったときに、飛行プロティストと呼ばれる魔法演算処理を代行してくれる人工原生魔法生物を、少しだけ転移させたのだ。それだけの説明だったはずなのに、それだけのことを面倒くさがったせいで、変に思われたかも知れないと後悔した。いや、相手は特に気にした様子はなかったし、それほど変な言い方ではなかったかもしれない、けど——
つまるところ動揺していた。
——とりあえず、不用意に抱き上げたり、頭を撫でたりするのはやめよう。
そう密かに誓って、ツェルトは退屈そうにしていたキューンと遊んでやることにした。
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