16
クローネはひたすら同じ動作を繰り返していた。少し離れたところでは、サンドイッチを平らげたツェルトがキューンと遊んでいた。具体的には、どこからか拾って来た木の棒をツェルトが全力で投げて、キューンが全力で追っていた。
クローネが「どうやったらあんなに遠くまで投げられるんだろう」と感心するような距離まで飛んでいく木の棒を、キューンはなんだか狂ったみたいに追いかける。
空中でキャッチしそこねた棒が海面に浮かんだときには、それを目掛けて海に突っ込んでいた。棒をくわえて海から出てくると、一度ぶるりと身体を震わせて水滴を散らし、ツェルトのもとへ戻った。そして「褒めて」とでも言うようにツェルトの頭や肩にくっついて、ツェルトを困らせていた。
——まだ春だから、ちょっと冷たいだろうな。キューちゃんは平気みたいだけど。
クローネはそう思った後すぐに、練習に意識を戻した。
ジャンプして、力をコントロールする。そのまま浮いて、「一,二、三、……」と頭の中で数えた。今回は十二秒、浮かんでいられた。
未だにクローネは、自分が浮かべるということが不思議でならなかった。プロティストなるものの存在は母から聞いていたものの、それの転移がまさかこれほど簡単だとは知らなかったし、それが誰にでも——自分にも——ちゃんと扱えるものであることが、不思議だった。
尖耳族の魔法は、もっと使い手を選ぶ。ある魔法が使えない者は一生使えない。誰にでも使える魔法も少なからずあったが、大抵は血筋で使える魔法が決まっていた。
外れた血筋の魔法は、扱えても効力が低く、練習しても上手くはならないのが普通だった。強力な魔法になるほどその傾向は顕著で、それは「制約が厳しくなるほど、魔法の性能が上がる」という尖耳族の魔法の性質に基づいていた。
音の魔法のためには尖耳族と船人で契約を交わさなければならないことも、契約が一人一つしか結べないことも、制約のうちだった。ただし、これらは血筋に関係なく契約を可能にするための「代わりの制約」程度だろうというのが、両親の見解だった。
音の魔法の制約の大部分は、つまりクローネ自身が担っていたと推測される。混血が生まれ、その子が見捨てられず育てられ、文字が読める程度まで教えを受け、あの本に接する機会を与えられ、そして、尖耳族と船人の和解を望むこと。それだけの条件を引き換えに、音の魔法は力を与えられる。
尖耳族の魔法に比べ、船人の魔法はずいぶんと汎用性が高いようだった。上手い下手はあるものの、それは字がきれいかとか、泳ぎが上手かとか、あるいは料理ができるかとか、そういう類のものらしい。
——なにか、アドバイスやコツってないのかな。教えてくれればいいのに。
小さな不満が頭をよぎったが、クローネはすぐにそれを打ち消した。十二歳にして初めからできたというツェルトに、そんなものが必要だったとは思えない。聞けば何かあるのかも知れないが、そもそもアドバイスしようという発想がなさそうだ。
もうちょっと練習して、それでダメだったら自分から尋ねてみよう、とクローネは頭の中にメモした。
——十二歳、か。
確かに、子供扱いされていたとは思うけれど。
幼く見られたいたことがクローネはショックだった。つまりそれは、そういう風には見られていなかった、ということだと思う。考えても落ち込むばかりなので、クローネは気を取り直して練習に集中した。
軽くジャンプする。十四秒。またジャンプ。十一秒。次は、十三秒。……十二秒、十五秒、十三秒、十四秒、十五秒、十四秒、十五秒、十三秒、十五秒、一六秒……。
少しずつだが着実に滞空時間が伸びて、クローネは嬉しくなった。嬉しさをバネに「もう一回」と繰り返す。滞空時間が長くなるにつれて、一回当たりの疲労感も増していったが、それすら気にならないくらいにクローネは夢中になっていた。
そのうち、遊ぶのに飽きたのかあるいは疲れたのか、ツェルトもキューンも昼寝をはじめた。キューンは濡れたたままで寝転んだツェルトの胸の上に丸くなっていたが、ツェルトはすでに諦めたようだった。
それを横目に見ながら、クローネはまたジャンプする。一〇回に一回くらいは、三〇秒以上浮かべるようになっていた。疲労を感じながらも、「もう少しでマスターできる」という思いが、クローネに無理をさせた。次に着地したとき、クローネはふらついてその場にへたり込み、そのまま気を失って倒れてしまった。
クローネが目を覚ますと、仰向けに寝かされていた。ツェルトの着ていたシャツがかけられていて、その上にクローネの帽子が乗っていた。もう夕暮れ時で、太陽が傾きはじめていた。
「お、気がついた?」
声のした方にクローネが顔を向けると、ツェルトがいた。その左手に戯れていたキューンが、クローネが目を覚ましたことに気が付き、クローネの顔のそばまで近づいて「きゅー?」と鳴いた。「大丈夫ですか?」と言っていると受け取ったクローネは、身体を起こして、返事の代わりにキューンの頭を撫でてあげた。
「あの、すみません。倒れちゃったみたいで。……ごめんなさい」
また迷惑をかけてしまった、とクローネは落ち込んだが、対するツェルトはさほど気にしていないようだった。
「加減がわからないうちは俺もよくやったよ。ま、次から気をつけろ。体力なさそうだしな」
「はい。気を付けます」
答えてからクローネは、ツェルトでも倒れたことがあるのか、と意外に思った。
クローネの無事を確認したキューンが飛び立って、上空でくるくる回った。それを見てから、クローネは尋ねた。
「……ツェルトさんもよくやったんですか?」
「兄貴がさ、“浮かんだまま俺が帰ってくるまで待ってろ”とか言ってどっか行って、忘れて帰って来なかったときとか、意地張ってやり続けたらぶっ倒れたりしたな。ひどいだろ?」
ツェルトの口調には、笑わせようとしているような響きがあった。緊張が解けて、クローネの顔がほころびる。
「いろいろと、すごいお兄さんだったんですね」
「ひどい兄貴だった」
そう言ったツェルトは笑っていた。
「——優秀な嚮導員で、料理ができて、顔も良くて、俺を引き取って飛び方を教えてくれて。感謝してる。自慢の兄貴だった。で、全部をぶち壊すくらい、女遊びがひどかった」
「……隠し子だっていうの、私が一二歳に見えるとしても、お兄さんが一六の時の子供になりますよね?」
クローネはお墓で見た享年から計算してみたが、自分が十二歳に間違われたことを考慮して見積もってみても、兄だと言う人は自分と同じ年齢で父親になったとしか計算できなかった。
「そういう嘘が通じそうになる兄貴だったんだよなー」
言ってから、ぱたんと砂の上に寝転がったツェルトは、「で、もう平気?」とクローネに尋ねた。
「はい。もう大丈夫です。こんな時間まで待たせちゃってごめんなさい」
キューンがツェルトの上に乗ろうと降りてきて、手で払われた。
「あんま申し訳なさそうにすんなって。飯と迷惑を天秤にかけたら、だいたい釣り合うから」
——ご飯の力は偉大らしい。
そう思ったクローネは、思わず笑ってしまった。
そして、
「じゃあ帰ってご飯にしましょう。」
と提案した。
が、意外なことにツェルトは、「いや、もうちょっとここに居よう」と答えた。
「というか、帰れない」
「……何かあるんですか?」
「ここに来ると、キューンが日没を見たがるんだよ。むりやり帰ろうとすると引っ掻かれる」
「キューちゃんが?」
「太陽が好きみたいでさ。朝は毎日、日の出を見ているみたいだし、夕方も大抵はどこかに出て日没を見ているみたいなんだ」
キューちゃんにそんな性質があったとは、とクローネはキューンのことをひとつ知れて嬉しくなった。
「……ここなら、すごく綺麗な日没が見られそうですね」
「綺麗だよ。キューンがここで見たがるのもわかる」
心の中で、クローネはキューンにお礼を言った。クローネには、ツェルトと一緒に海に沈む太陽を眺めるということが、とても幸せなことに思えた。
「楽しみです」
ふふ、と小さく笑ったクローネは、下がりはじめた気温のせいでくしゃみをした。
「寒かったら、それ着とけば?」
言われてクローネは、ツェルトのシャツを羽織った。
——なんだかな。
こんな素敵なシチュエーションにも関わらず、ツェルトに全く気にしている様子がない。そのことがクローネには少し歯がゆく思えて、けれどやっぱり幸せだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます