08
クローネの話をすべて聞き終えて、ツェルトは話の内容を必死で整理した。おおまかな流れは分かったものの、細かい点は腑に落ちないことも多くあった。
そもそも、尖耳族の魔法というのが、ツェルト達の使う魔法とはかけ離れていて、理解が及ばなかった。
ツェルト達の使う魔法は、言ってしまえば物理法則の制限を魔力によって超えるようなもので、尖耳族のそれとは全く違った。
血の付いた針でかげを縫い止めたり、ましてやそのかげを使役する呪術的な魔法など、ツェルトには縁のないものだった。
けれど、実際にその魔法のひとつを見てしまった以上、そのような魔法の存在を認めざるを得なかった。
クローネが嘘をついているようにも思えなかった。だいたい、これが手の込んだ嘘なら、酔狂もいいところだ。
——船人に助けられた尖耳族の王女、王女の創造した影のからくり、祈りみたいな願いと、後世に残した影を倒す方法……
様々なものが頭の中を飛び交い、まだ混乱は収まっていなかったが、ツェルトはなによりもまず、言わなければならないことがあった。
「——クローネ、ありがとう」
クローネは「……え」と、困惑したようだった。
「この話を伝えるために、危険を冒して俺たちのところまで来てくれたんだろ? 誰かが話を聞いてくれる保証なんかないのに、それどころか、下手すりゃ殺されるかもしれないのに、たったひとりで。心細かっただろうに——」
誰かに伝えなければならないという、使命感にも似た衝動に突き動かされて。
ありがとう、ともう一度ツェルトが言うと、クローネは目を見開いて驚き、数秒放心した後、堰を切ったように、泣き出した。
これにはツェルトも驚いて、
「え、おい、なんで」
慌てた。
「…………っ……だって、そんな風に、言ってもらえる、なんて、お、思ってなくて」
クローネはしゃくりを上げて泣きはじめ、大粒の涙をぽろぽろこぼした。
ずっと張りつめていた心の糸が、切れてしまったらしい。
膨らんだ孤独と不安のぶんだけ、涙が溢れてくるようだった。
「あー…」
言って、ツェルトはクローネの隣に移り、その頭をがしがし乱暴に撫でてやった。
「泣くことじゃないだろ! そんなに泣くな、大丈夫だから! な?」
何が大丈夫なのかツェルト自身にもよく分からなかった。とにかく泣き止ませなければ、と、それだけである。
クローネは何かもごもごと返したが、全く言葉になってなかった。
ソファの上で丸まっていたキューンも、事態に気付いてクローネの側に飛んできて、慰めるようにキューキュー鳴いた。
「ところでお前、家は? 遠いのか?」
訊くと、コクコク頷いた。
「歩いて、どれくらいだ?」
これには言葉が返ってきた。消え入りそうな声で、みっか、と言ったのがどうにか聞き取れた。
「そんなに遠いのか。話を聞いたら送って行こうと思ってたんだけど、それじゃ無理だな」
何を思ったのか、クローネは顔を上げて、ツェルトの服の裾をぎゅうっと掴んで引っ張った。なんだか必死だ。
「いや、いいよ。泊まっていけば。いまさら追い出したりしないって。離せ。伸びる」
クローネは大人しく従って手を離し、涙をぬぐった。が、やはり涙は止まらないらしく、ぬぐった先から涙が溢れて意味が無い。
「だから、とにかく泣き止めっての」
ツェルトは抱きしめるようにして、クローネの背中をさすってやった。クローネはむしろ、声を上げて泣きはじめてしまって、ツェルトは後悔した。
手に負えない。
「あー。えっと。風呂は? 入るか? 入るなら俺の服貸すから」
クローネはまたコクコク頷く。
「うん。じゃあ、まずは落ち着いて。で、風呂入って、さっさと寝ろ。疲れてるだろ?」
やはりクローネはコクコク頷いて、「……ひぅ、う……」と声を漏らした。嗚咽をむりやり止めようとしているらしい。
「……大丈夫だから。息をゆっくり吸って、吐いて。そう。いい子だ」
抱きしめて辛抱強く背中をさすっていると、やがてクローネの嗚咽は静かになり、肩を震えも止まった。ツェルトが少し身体を離して顔を覗き込んでみると、泣きつかれて眠ってしまっていた。
「……まあ、いいか」
風呂に入らず眠ってしまったが、とにかく静かになっただけで十分だった。
ツェルトはクローネを抱き上げて、二階の寝室のベッドまで運んでやった。泣いていたのを心配してか、キューンが枕の横で丸くなったのを見届けて、居間に戻った。
ソファに寝転がる。
これからどうするつもりなのか、とか、お前の両親は、とか、聞かなければならないことは色々あったし、考えたいことも山ほどあった。が、ツェルトも疲れてしまっていた。
——明日起きたら、仕事に行く前に、少し、話そう。
そんなことを考えているうちに、ツェルトの意識は眠りに落ちていった。
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