07



 いよいよ「一番重要なことを話さなければならない」と思って、クローネは気を引き締めた。今日は朝からずっと歩きっぱなしだったし、長い話をしたせいで疲れていたが、そんなことは言ってられなかった。


 けれど、ツェルトは、


「大丈夫か? すごく疲れてるように見えるけど」


と、クローネに気を遣ってくれた。


——ツェルトさんだって、お仕事の後でこんなにたくさん話を聞かされて、疲れているはずなのに。


 と、クローネはツェルトの言葉に感謝した。


「じゃあ、ちょっとだけ風に当たって休んでもいいですか?」


 クローネが尋ねると、ツェルトは、

「ああ。それなら、あっち、ソファのほうに移動しようか」


 そう答えて、ソファの向こう側の大きな窓を開けてくれた。


 クローネは窓の側に立って、夜風に当たった。春の夜風は少しだけ冷たくて、潮の匂いがした。


「……ここ、高いですね」


 窓の外には海が広がっていて、下を覗き込んでみると崖だった。確かに、ここに来るとき街の中心部からけっこう離れたし、ちょっと坂を上ったりしたけれど、クローネは、まさかこんな崖の上に来ているとは思わなかったので少し驚いた。


 真っ暗な水面の上に月の光が揺れていて、綺麗だった。


「明るいと、すごく眺めがいいんだ」


 窓に背を向けるように置かれたソファに座って、ツェルトが言った。


 飛んで来たキューンがクローネの横をすり抜けて、窓から出て行った。クローネは、「あ、キューちゃん」と小さく声をあげたが、ツェルトは「そのうち戻ってくるから」と気にしていない様子だった。


 クローネは窓を離れた。それから、一度テーブルの方へ戻り、鞄の中から一冊の本を取り出した。


 クローネはツェルトの向かいのソファに座って、間に置かれた丸テーブルの上に、その本を差し出した。


「これは?」


「本を開いてみて下さい」


 ツェルトは言われた通り本を開き、中を見て眉を顰めた。


「なんだこれ? 白紙じゃないか」


「純血の尖耳族や船人には、白紙に見えるみたいです」


「純血のってことは」


「私には、そこに書かれたものが見えます」


「…………」


「本に書かれてあったのは、さっきお話しした影の仕組みの理由と、影を消滅させる力を手に入れるための契約、この二つについてでした」


 ツェルトが本を閉じてクローネに返した。受け取ったクローネは、大事そうに本を胸に抱える。


「影の創造に関わったのは、七人の魔法使いでした。他にも協力した人はいたようですが、その人達は少し補助をしただけで、ほとんどのことは、生き残った尖耳族の中で、特に力の強かった七人がおこなったそうです」


「七人? 六人じゃなくて?」


「七人です。そのうちの六人は、それぞれ担当の動物を決めて、そのかげをできるだけ多く集め、像と結びつけて、それぞれに命令を与えました。そして残りのひとり、“七番目の魔女”と呼ばれている、とても強い魔力を持った女性が、影の出現の基本的な仕組みをひとりで創造しました」


「七番目の魔女……?」


「彼女の正体は、船人の王に殺された尖耳族の女王のひとり娘、シュトラーセ姫です」


「姫? よく生き残れたな。真っ先に殺されてそうなもんだけど」


「彼女は、船人の騎士の青年に助けられたそうです」


「……船人に?」


 船人に、とクローネは繰り返した。


「その騎士の青年は、武力で国を奪うことにどうしても納得できなくて、たった一人で、他の船人に背いてシュトラーセ姫を救い出しました。


そして、彼女を他の生き残りの尖耳族のもとまで送り届けたあと、彼を敵だと思った尖耳族の矢を受けて、息絶えたそうです」


 クローネは、そこで言葉を切って、ツェルトに気付かれないよう、息を深く吸った。


この話を思い出すたび、悲しくなる。むかし、クローネが本を読めるとわかって、その内容を初めて両親に話したときなど、クローネは話しながら泣きじゃくってしまったものだ。


幼いクローネにとっては、お姫様も騎士も、あまりにもかわいそうだった。さすがにもう泣くようなことはなかったが、クローネは自分の声が震えていた気がして、気付かれただろうかと、ツェルトを窺った。



 ツェルトはクローネを真っ直ぐ見たまま、一度口を開きかけて止め、ほんの少し目を伏せてから、静かに「……それで?」と先を促した。


「シュトラーセ姫……七番目の魔女は、民の思いに応えて影の仕組みを創造しましたが、心の底から船人を憎むことはできませんでした。だから、こんな妙な仕組みをつくったんです。


星で動く扉をつくって、それに、一日当たりの出現時間の総量に制限を設けて。……民の心を宥めつつ、けれど船人をあまり殺してしまわない方法を選択したんです」


「その人は——優しいな」


 ツェルトの言葉に、クローネは励まされている気がした。


「彼女の願いは、いつか尖耳族と船人が許し合える日が来ることでした。いつかそんな日が来たら、復讐は終わるべきだと」


「それで、混血にしか読めない本に、影を倒す方法を残した?」


「そうです」


 開け放っていた窓からキューンが戻ってきて、ツェルトの横で丸まった。


「……影は死ななくなった、って言いましたよね。でもそれは、本当の持ち主が死ぬ時に一緒に死ぬことはなくなった、というだけで、影が死に至る方法は、もうひとつあります。それは、心臓のかげ、影の核を破壊することです。七番目の魔女が残してくれたのは、その核を破壊する方法です」


 やっとここまで来た、とクローネは思った。


「影が人に対して有効なものは、人も影に対して有効なんです。影が心臓だけ食べてしまうのと同じように、人も影の核だけには触れられます。


そして、影は音で追いかける対象を決めますよね。高音を発する対象を優先的に追う……女性や子供を狙うための特性なんですが、これは、影にとって音は有効だってことなんです。


七番目の魔女が残してくれたのは、尖耳族と船人が契約を交わすことによって、人の身体を、影を霧散させる音を発せられる、楽器のようなものに変える魔法なんです。ただの音ではダメで、彼女が残してくれた方法だけが、影に対して力を持ちます」


 クローネは息を継いだ。


「尖耳族と船人で契約を交わし、音の魔法を得て、それによって影の身体を霧散させて核を見つけ出し、破壊する。これが、影を倒す方法です」



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