06

何から話そうか迷ったんですが、と前置きして、クローネの話は、


「影ってどんなものか知っていますか」


 という質問から始まった。


 ツェルトは正直「何言ってんだこいつ」と思った。


「……国を奪った俺たちに対する、尖耳族の復讐だろ。黒くてでかい怪物で、空を割って現れる。高音を発する物を狙う傾向があって、だから俺たちは笛を吹く。心臓だけを喰う。


魔力が足りなくなるのか知らないけど、三分くらいで勝手にいなくなる。あと、星の運行と連動してるとかで、出現する日時や種類はある程度予測できるらしいけど、詳しい事は知らない。そのへんは局の研究員の領分だな」


 とりあえず思いつく事をすべて言ってみたツェルトに、クローネは「はい」と頷いた。


「じゃあ、あれが、本来は狩りのための魔法だったって事は知っていますか?」


 ツェルトは面食らった。


「——影って、動物みたいな形をしてますよね?」


 続けざまの問いに、ツェルトは困惑した。


「……え、ああ、してる。めちゃくちゃ歪んでるけど、動物のかげが地面に映ったみたいな形で、だから、姿が似てる動物の名前で呼んでる」


「どんな動物ですか?」


「ヘビとオオカミとクジラとガ、あとシカとカラス。全部で六種類。なあ狩りって、」


「影って、本当にその動物達のかげなんです。」


 ツェルトの問いは、クローネに遮られた。


「待ってくれ」


「はい」


「何か怒ってる?」


 一瞬だけ、沈黙が流れた。


「怒ってはいません」


「じゃあ、焦ってるとか? さっきまでと別人みたいな喋り方をするからびっくりしたんだけど」


「これは、その、ツェルトさんがすごくマイペースみたいだから、流されないようにと思って」


 ツェルトには自覚があった。よく言われる事なのだ。


「わかった。続けてくれ。何だっけ?」


「影はもともと狩りに使われていた魔法で、本当に動物のかげなんです」


「意味がわからない」


「じゃあ、実際にやってみせます」


 ツェルトは言葉に窮した。


——今こいつ、なんて言った?


「大丈夫です。危ない事にはなりません」


 ツェルトが不安げに見守るなか、クローネは椅子に引っ掛けてあった鞄から針を取り出して、右手のひとさし指に少しだけ刺した。


「キューちゃん」


 呼ばれたキューンが飛んできて、机にかげを落とした。それを目掛けて、クローネが先に血の付いた針を刺すと、キューンは動いているのに、キューンのかげはその場に縫い止められた。


 ツェルトは驚いた。驚いて、「お前いつの間にそんな風に呼ぶほどキューンと仲良くなったんだ俺が風呂に入ってた間か?」と訊くのも忘れた。


 クローネが手をかざすと、縫い止められていたかげが机からぺろりと剥がれた。


そのかげに、クローネはひとさし指で何かを書き込んだ。紙のように薄かったかげは膨らんで、キューンと同じくらいの大きさの黒い生物になり、そして、キューンのように飛び回った。


「……きゅ、う」と、怯えたキューンがツェルトの頭にしがみついた。


 その黒い姿は、確かに影に近しいものがあった。


 ただし、影はもっと巨大で、歪で、体中に口と目を持っている。


「こうやって引き剥がしたかげに形を与えて、狩りを手伝ってもらうんです。影はいつも本体に縛られているので、解放してあげると言えば、喜んで協力してくれます。


心臓だけに触れられるよう命令式を書き込んで、獣を取ってもらうんです。使った血の魔力がある間しか、自由にしてあげられないんですけど、取った心臓の血の魔力で解放時間を延ばしてあげます。そういう魔法だったんです」


 言っているそばから、血の魔力が切れて、キューンのかげは本来あるべき場所へ引き戻された。


 自分に向かってかげが真っ直ぐ飛んできたのに、ツェルトはとっさのことで動けなかった。


これが影なら死んでいる。キューンは完全に硬直して、ずるりと頭から膝の上へ落ちてしまった。かわいそうだったので、ツェルトはその頭を撫でてやった。


 確かに危ない事にはならなかったが、すこぶる心臓に悪かった。


「……かげって、意識があるのか?」


 やっとのことでそう訊くと、


「え、あるに決まってるじゃないですか。かげなんだから」


 当然のように言われてしまった。


「あ、いや、私は小さいころからお父さんがこうやって狩りをするのを見てたから、ふつうの事なんですけど、ツェルトさん達にとっては、ちょっとびっくりすることですよね。驚かせてごめんなさい」


 ちょっとどころでは無かった。が、ツェルトは責める気にはなれなかった。いちいち気にしていたら、きっとクローネの話をすべて聞き終えるころには疲れ切ってしまうのではないか、と思った。


「……なんだっけ。えっと、影はもともと動物のかげを使役する魔法で、狩りのためのものだった?」


「そうです」


 にわかには信じがたい話だった。


「いまから一〇〇年くらい前に、ツェルトさんたちの祖先が船に乗ってこの島にやってきましたよね。だから、尖耳族はツェルトさんたちのことを、船人って呼んでいるんですけど、船人は、武力で国を奪いました。


尖耳族はその当時、戦うような魔法を全く持っていなくて、なす術はなかったそうです。国を追われて、尖耳族は復讐するために、狩りの魔法に手を加えて船人を襲わせました」


 クローネは一旦、言葉を切った。


「影には、もともとの魔法から引き継がれた性質と、変更された性質のふたつがあります。例えば、影が建物内に入ってこないのは、引き継がれた性質です。これは、万が一暴走したときのための性質だったんですが、変更が間に合わなかったみたいです。

変更された性質だと、大きさとか、体中の口とか、あと、高音によく反応するとか、たくさんあります」


「……歪んでるのは?」


 クローネが挙げた例は、どれも人を襲う上で意味がありそうなものばかりだったが、ツェルトは歪んでいることによるメリットが思いつかなかった。


「あれは、意図して変更されたというより、術者の精神状態が反映された結果のようです」


 ツェルトはなんだか妙だ、と思った。話の内容に対してではなく、クローネの話し方に対してだ。


事務的というか、学術書でも読み上げているような、淡々とした物言いだった。感情がこもらないように気をつけているように見えた。


——混血だから、か?


 どちらの立場にも寄りすぎないように心掛けているのか、無意識にそうなっているのかは分からなかった。


「変更された性質の中で一番重要なのは、かげと持ち主の繋がりを断って、二度と戻れなくしたことです」


「戻れなくした?」


「はい。そして別の物——動物を形取った小さな像と結びつけました。かげは、血の魔力が切れても、本当の持ち主のもとではなく、像のもとにしか戻れなくなりました。


これによって、影は二つの性質を新たに持ちました。ひとつは、死ななくなったこと。かげは、本当の持ち主が死ぬ時にふつうは一緒に死ぬんですが、それがなくなりました。


もうひとつは、凶暴になったこと。本当の持ち主のもとにずっと帰れないと、かげは心が渇いて狂っていくんです」


「……そうして出来上がったのが、影……?」


「そうです」


 それでは影が可哀想ではないか、と一瞬でも考えてしまって、ツェルトは自分自身に対してバカじゃないのかと思った。


「……像は祭壇に集められ、祭壇は地下深くに封印されました。そして、地下から街の上空へ繋がる扉を、星の配置が特定のものになると開くようにしたんです。これが、影の出現が星の運行を連動している理由です」


 クローネの言っていることはおかしい、とツェルトは思った。


「……魔力切れで像に戻った影をもう一度切り離すには、また魔力が必要なんじゃないのか? それに、その、扉? それを動かすのにも、魔力が要るだろ? 封印してしまっても、外から魔力を与えられるものなのか?」


「外から魔力を与える必要はありません」


「どうして」


「人の心臓には、膨大な魔力が秘められているからです。影が持ち帰った心臓の魔力があれば十分なんです。余るくらいです」


 ツェルトは、体中が冷えていくような感覚を味わった。クローネの話を信じるなら、自分はとんでもない思い違いをしていたことになる。


「なら今、影は、誰の手も借りずに動いてるのか? 尖耳族が呼び出してるんじゃなくて、その仕組みだけで、勝手に動いて、俺たちを襲ってる……?」


「そうです。今の尖耳族は、誰一人として、関与していません」


 ツェルトは言葉を失った。


 頭を殴られたような衝撃だった。


「……驚きました?」


「そりゃあ、めちゃくちゃ。信じられない」


「でも、本当なんです。信じて下さい」


 ツェルトはクローネを見た。嘘をついているようには思えなかった。


 考えてみれば、影が星と連動して現れるというのは妙な話だった。コマドリは通常、今までの統計に基づいて導き出された「今日はおそらく、こいつらが現れるはずだ」という情報を局の研究員から聞かされて業務に就く。


それは必ずしも正確ではなかったし、場所や細かい時間までは分からなかったが、それでも、コマドリにとって、拠り所となるものだった。


 尖耳族がいちいち呼び出しているなら、そんな、予測されるような出し方をする必要は無い。



 ツェルトはむりやり、心を落ち着かせた。


「……そうか。じゃあ、俺は、俺たちは、ひどい勘違いをしていたんだな」


「はい。でも、それは仕方のないことです」


 沈黙が流れた。ツェルトは気持ちを整理したかったし、クローネもそれを察して、黙って待った。


ツェルトの膝の上で正気を取り戻したキューンが、飼い主の様子がおかしいことに気付いて、心配そうにツェルトの胸のあたりを引っ掻いた。


 ツェルトはキューンを撫でてやって、


「……もうひとつ、気にかかったことがあるんだけど」


「はい」


「なんで、そんな面倒なことにしたんだ? 魔力が十分にあるなら、俺たちを全員殺してしまうまで、影を出しっぱなしにすることもできただろ?」


「はい。できたはずです」


 クローネは一呼吸おいて、


「今までの話は、尖耳族なら、だれでも伝え聞いている話です。これからお話しする、この仕組みが取られた理由と、同じ理由で残されることになった影を消滅させる方法は、おそらく、私しか知らないことです」


 ツェルトの方へ向き直った。



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