第2章 赤い罪と罰の継承

05


もうあと五分で六時だ、という時刻に待機塔に現れたコマドリは、元気が良かった。


「先輩! お疲れさまです! 交代します!」


 ツェルトより、二、三歳年下だろうか、という少年だった。


 声の大きさに驚いて、クローネはとっさにツェルトの背に隠れた。


「じゃ、後はよろしくな。喰われるなよ」


 淡々と返したツェルトは、少年に背を向けて、クローネを抱えて窓枠へ飛び乗った。


 慌てたように、少年が言った。


「ちょ、うわ、女の子ですか! 先輩が? 今まで誰にも見向きもしなかったのに? っていうか、かわいい!」


「騒ぐなうるさい。悪いか」


「全然わるくありません! むしろ俺は嬉しいです。先輩には恋人の一人や二人や三人や四人くらい、いて然るべきです」


「多い。兄貴かよ」


 恋人ではない、とか、どんな兄だ、とか思うところはあったが、クローネは口を挟めなかった。


「でも、先輩に彼女できちゃったら大荒れですね。先輩のファンが! 大絶叫間違いなしです」


「お前だけだ」


 なるほどファンなのか、とクローネは思う。尊敬がもはや崇拝の域に達しているように見えるが。実際に、目の前で大騒ぎしている。


——誤解は解かなくていいの?


 クローネの心配をよそに、ツェルトは少し考えて、


「まだお前しか知らないんだ。他の奴には内緒な」


と、言った。


 一瞬だけ驚いた顔をして、少年は大きく頷いた。


「絶対に誰にも言いません!」


 クローネは感心した。恋人じゃないと否定するより、確かにこの方が秘密を守ってもらえそうだ。後輩くんの口は完全に封じられた。拷問にも耐えるかもしれない。


 よろしく、と待機塔から飛び降りようとしたツェルトは、少年に引き止められた。


「あ、先輩! 秘密を守る代わりに、今度あれをやってみせるから見てください!」


「……あれって?」


 怪訝な顔をするツェルトに対して、少年はいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。


「ほら、びゅうって飛んで急停止したあと、好きな方向にパーンって方向転換するやつ!」


「……ピーコック・ターン?」


「そう、それです!」


「お前、やっとできるようになったのか」


 ツェルトの声は、少しだけ感心しているようだった。


「やっと習得したんです。長かった! あれができたら、先輩のところの称号名乗っていいって約束でしたよね? 秘密は守りますから、いいでしょう?」


 諦めたようにツェルトは「わかった」と頷いた。


 ひとり話に付いていけなかったクローネが、ピーコック・ターン? 称号? と、そんなことを考えていたら、何の前触れもなくツェルトが窓から飛び降りて、クローネは悲鳴を押し殺さなければならなくなった。





 ツェルトの家に行く前に、2カ所に立ち寄った。


 一つは、敵性魔法生物管理局の本部だった。ここでは、建物から少し離れた場所でクローネは待たされた。「きょう相手にした影について報告してくるだけだから」ということで、実際ツェルトは十分もしないうちに戻ってきた。


 もう一つは、パン屋だった。聞けばツェルトは、壊滅的に料理ができないらしい。いつもは何処かで食べて帰るが、今日に限ってはクローネがいるため、それはできない。それなら何でもいいか、ということで、パン屋に行くことになった。


 クローネは店内に入るのをためらったが、帽子も被っているし、大丈夫だろうということで結局付いていった。


 もう閉店間近で、選べるほどの商品は残っていなかったが、バゲットを二本と、クロワッサンを三つと、ベーグルを二つ買った。出ようとしたところで、店の奥から店主が出てきて、


「ツェルト、林檎やるよ。好きだろ?」


「ありがとうございます。頂きます」


 林檎を三つ渡された。ツェルトはパンの入った紙袋を抱えていたので右手でひとつ受け取って、クローネがふたつ受け取った。


「女の子を連れているなんて珍しいじゃないか」


「……実は、兄貴の隠し子なんです」


「おいおいさすがにそりゃあ……なくはないか」


「いや、冗談です」


 店を出てから、クローネは不思議そうな顔でツェルトを見上げた。


「むかし、ここのひとり息子を助けたんだ。それ以来よくしてくれる」


 本当はさっきの冗談とやらについて聞きたかったのだが、なるほど、とひとまずクローネは頷いた。


「確かに、ツェルトさんのファンって多そう」


「あほか」


 淡く光っていた街灯がどんどん疎らになって、道がだいぶ暗くなった辺りで、ツェルトが林檎を齧り出した。クローネも真似して齧ってみた。


 ツェルトがきれいに芯だけ残して食べ終えて、クローネがやっと半分に達したころ、ツェルトの家に到着した。


 数軒連なった中の、奥の方にあるこぢんまりした家だった。わずかに明りが漏れていて、誰かいるのだろうか、とクローネは首をかしげた。そういえば兄貴がどうのと言っていたから、お兄さんと二人で暮らしているのかも知れない、と思う。家族で住むには少し小さいように思えた。


 ツェルトが鍵を開けて、扉を引く。きぃ、と小さく軋む音がした。


「どーぞ」


「お邪魔します」


 玄関をくぐると真っ直ぐに廊下があって、左に扉がひとつと、右に扉と階段、正面に扉がひとつあった。正面の扉が少し開いていて、そこから顔を出したのは、真っ白で、翼のある、猫くらいの大きさのもふもふした生き物だった。


 もふもふは「キュー」だか「クー」だか鳴いて、クローネに向かって飛んできた。


「え」


 クローネは固まる。あとから入ってきたツェルトが、後ろから手を伸ばしてクローネの持っていた林檎を掴み、もふもふに向かって投げた。


「悪い。言ってなかった」


「キューーー!」


 もふもふは林檎をキャッチして、実に嬉しそうに鳴き声をあげた。




「名前はなんていうんですか?」


「キューン」


 お客さんがめずらしいのか、椅子に腰掛けたクローネの周りを、キューンは林檎を持ったまま嬉しそうに飛び回っていた。


「キューン」


 クローネが名前を呼んでみると、キューンは嬉しそうに「キュー」と鳴いた。きっと鳴き声から名前をつけたのだ、間違いない、とひとりクローネは頷いた。


「ハネツキウサギを飼っているなんて、珍しいですね。あまり人に懐かないのに」


「はじめは全然慣れなくて、そこら中引っ掻かれたよ」


 テーブルを挟んで、ツェルトはクローネの正面に座っていた。バゲットをそのまま齧りながらキューンを目で追って、手が届く範囲に来た瞬間、尻尾をつかんでテーブルの下に引きずり降ろした。その動作は「うっとうしいから飛ぶのをやめろ」という意味でもあるのか、すぐにテーブル下から顔を出したキューンは、机のはしに座って、大人しく林檎を齧りはじめた。


 かわいい、と思いながら、クローネも残りの林檎を齧った。


「見つけたとき怪我しててさ、治ったら野生に帰そうと思ってたんだけど」


「治るころには、懐いちゃってた?」


「そう」


「かわいいですね」


「まあ、それなりに」


「あの、」


「なに?」


「あのランプって、最初から点いてましたよね。どういう仕組みなんですか?」


 まさかキューンが点けたわけではあるまい。


「日中に光を吸収して、ある程度暗くなると貯めていた光を放出する鉱石が入ってる。町の街灯も同じ」


「すごいですね」


「そうか? お前そんなことも知らないって、どういう生活してきたんだ?」


「あんまり街に行かせてもらえる機会はなくて……お母さんがこっちに居たころの事はいろいろ聞いたけど、最近の事となると特にわかりません」


「あー、最近と言えば最近かな。一昨年に俺の友達が発明したんだ」


「お友達が?」


「そう。三ヶ月くらい見かけなくて死んだかと思ってたんだけど、研究室にこもって発明に開け暮れていたらしい」


「……どんな人なんですか?」


「変人」


 こんな雑談ではなく、肝心な話をしなければ、とクローネは思うものの、なかなか切り出せずにいた。ツェルトも訊いて来ない。待ってくれているのだろうか、と思う。


 キッチンの方から、ケトルが蓋をかたかたさせる音がして、ツェルトが立ち上がった。


「紅茶とコーヒー、どっちがいい?」


「えっと、紅茶でお願いします」


 しばらくして、カップをふたつ持って戻ってきたツェルトは、


「コーヒーと紅茶だけは淹れられるんだけど、それって料理ができることにならない?」


「……ならないと思います」


「そっか」


 クローネの返事に少し寂しそうな顔をした。




 結局、ツェルトはバゲットをまるまる一本と、クロワッサン二つとベーグル一つを平らげた。


 クローネは林檎ひとつで十分だったのだが、「お腹いっぱいです」と言ったら、ツェルトに「見たまんまだな」と評されたのがなんだか悔しくて、むりやりベーグルを胃に詰め込んだ。


 残ったのはバゲット一本だ。


 もうひとつのクロワッサンはキューンの胃の中である。キューンの方がずっと小さいはずなのに食べる量はさほど変わらないなんて。と、クローネはキューンに妙な敗北感を感じた。


 それから、クローネはいよいよ話さなければと身構えた。が、「話って長くなる?」という問いに頷くと、ツェルトは「じゃあ先にシャワー浴びてくる」と居間を出て行ってしまった。


 戻ってきたら戻ってきたで、「もう一杯コーヒー淹れるけど飲む?」とクローネに尋ね、「あ、はい」と答えたのを確認するとキッチンへと姿を消した。


 そんな風に肝心な話は後回しになって、クローネはなんだか不安になった。「あの、聞いて下さるんですよね?」と尋ねたくなるのを我慢して、「きっと、心の準備をする時間を与えてくれているんだ」と思うことにした。


 が、コーヒーを淹れて戻ってきたツェルトは、カップを机に置いて椅子に座ると、


「で、話って?」


 といきなり切り出した。そこには容赦のかけらもなかった。


 クローネはなんとなく感じていた事に確信をもった。


——私が切り出すのを待ってくれているとか、心の準備をさせてくれているとか、そういうんじゃない。この人、ただのマイペースだ!


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