03


 青年が最初にいた鳥籠の中へ、少女は降ろされた。耳が尖っていることがばれた瞬間、「地面に落とされて死ぬかもしれない」と心配したのだが、杞憂に終わった。


 けれど少女は、安心していいものか判断しかねた。塔に階段は付いていない。それはつまり、コマドリか、それに準じた能力の持ち主しか塔を登って来られないということだ。ひとまず他の人はここへは来ない、という意味では鳥籠の中は安全に思えた。


 しかし、自分ひとりでは降りられないという意味では、閉じ込められているも同然である。


 目の前の青年が、一体どういうつもりで自分を塔へ運んだのか分からないことも、少女を不安にさせた。


——助けてくれたの? それとも、逃がさないために?


 命の恩人を疑うのは気が引けたが、だからと言って全面的に信頼するのは危険すぎた。


「……ここ、意外と外から見えるから屈んどけば?」


 青年の言葉に、少女は反射的に従った。とにかく逆らわないようにしよう、と思っての行動だった。遅れて、それがどうやら自分を心配しているらしい言葉だと気付く。誰かに耳を見られたら困るのではないか、と言っているのだ。


——このひと、変。


 そんなことを思うのはあまりに恩知らずだったが、少女は変だと思わずにはいられなかった。



 だってこの、尖った耳は、彼にとって憎悪の対象であるはずなのだ。あの恐ろしい怪物は、尖耳族が呼び寄せていると言われていて、彼はそれを相手に命を懸けているコマドリなのだ。どうして心配などしてくれるのか。


 案外、好意的に思ってくれているのだろうか、という考えが浮かぶ。

 ちらり、と少女は上目遣いに青年に目をやった。


 青年は窓に腰掛けて、少女ではなく、別の待機塔の回転針を見ていた。


——そうか、今もまだ、お仕事中なんだ。


 その横顔を見ながら、少女は自分の言動を思い出して恥じた。なにが油断は大敵というだろう、だ。身をもって影の恐怖を体験した今となっては、青年にそんなことを思っていた自分が恥ずかしかった。


 少女の視線に気付いて、青年は一瞬、目を合わせた。

 すぐに視線を外に戻して、


「俺はツェルトっていうんだけど、お前は?」


 普通に話しかけられたことが、少女は嬉しかった。少なくともその言葉に、憎しみだとか嫌悪だとか、そういった感情は込められていないように感じた。


「クローネです」


「クローネ?」


「はい。あの、」


 何を言おうか迷って、


「ツェルトさん。助けてくださって、本当にありがとうございました」


 二度目の礼を言った。


「……別に。仕事だから」


 一蹴されて、少女の——クローネの、意外に好意的に見られているのかもしれない、という淡い期待は、くしゃりと潰れた。優しくしてくれというのも我が侭な話だが、冷たくあしらわれるとそれなりにへこむ。やっぱりお役所かどこかへ突き出すつもりで、ひとまず逃げられないようにするために塔へ連れてきたのだろうか——と嫌な考えが浮かんだ。


 実際のところは、ツェルトには冷たくしている気などさらさらなかった。そういう物言いしかできないだけだった。礼を言ったのが他の誰かでも、ツェルトは同じ調子で「仕事だから」と答えたはずである。が、初めて会ったばかりのクローネに、そんなことが分かるはずもなかった。


 クローネが、何と会話を続ければいいかわからずに黙り込んでいると、ツェルトがぽつりと呟いた。


「耳が尖っていても、襲われるんだな」


 その一言でクローネは、ツェルトが自分の処遇を決めかねていることを察した。

 彼も困惑しているのだ。なぜ影を呼んでいるはずの奴が、その影に襲われるのだ、と。


——だからひとまず、塔へ連れてきたのかな。


 クローネは迷って、迷って迷って迷って、それから、「この人なら話を聞いてくれるかもしれない」と判断を下した。


「……ふつうの尖耳族は襲われません。私は、混血なんです。半分はあなた方と同じ血が流れています。だから襲われます。」


 クローネを振り返ったツェルトの目には、驚きが満ちていた。


 混血などという存在が信じられないようだった。


 見つめられて、怖じ気づく。

 クローネは勇気を振り絞った。


——そう、混血。驚かれるのも無理はない、異端な存在。でも、だからこそ、私にはやらなければならないことがある。


 クローネは、危険を冒してまで街へ出てきた目的を思い出す。目的を果たすには、協力者が必要だった。知り合いなどひとりもいないこの街で、ツェルトは一番味方に近かった。


 窓と窓の間の壁に身を寄せるようにして、周りから見られないよう気をつけながら、クローネはゆっくり立ち上がる。


 正面のツェルトと、視線を合わせた。


「私、影を倒す方法を知っているんです。」


 傾きはじめた日の光が、ちょうどツェルトの腰掛ける窓から射し込んで、クローネを照らしていた。


「どうか、話を聞いてもらえませんか。」


 うすい金色の髪が、日の光を反射して、きらきらと輝いた。


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