二十五日目
水本としては、件の少女がどういう経緯で故曜十郎氏の管財資産に住まわっていたのか。それを正しく理解する必要がある。水本と齋の間で佐々木未来と仮に名前を与えられた彼女の実の名前を知ることもまた重要だ。
「犬猫じゃあるまいし、住処が変わったくらいでおいそれと名前を変えて良いわけがあるかよ」
「どうしました」
水本はつい憤りのまま口に出していた。事務所内で書類を配って歩いていた中田が反応する。
「いや、すまん」
そのまま水本は口をつぐむ。中田も特に詮索するほどの興味はなく作業に戻る。
「ちょっと出てくる。戸締まりを頼む」
そういって水本は事務所を出た。
出先から遠藤邸に連絡をつけ、翔一郎との面会を求める。
翔一郎は不在だったが、帰宅後の面会の約束を取り付けて水本は散歩をする。
日が落ちて食事を済ませてから遠藤邸を訪れた水本は割と落ち着いていた。
「何かあったようですね」
翔一郎は水本を書齋に通し腰を落ち着けさせると、開口そう尋ねた。
「新しい曜十郎氏の関係者を見つけました」
「伺いましょう」
屋敷の写真を束ねたものを水本は翔一郎に渡す。
「幾人か亡くなっていたようです」
「死因は」
「調査の者の所見では餓死だろうと」
「祖父の手配が途絶えて、ということですかね」
翔一郎は写真をめくる合間に大きく息を飲み吐いたものの、冷静だった。
「場所に見覚えはありますか」
「いえ全く。覚えがあればと思っていたのですが、特には。ところで」
「はい? 」
「亡くなった方たちの遺体の写真がないようですが、警察にでも引き渡しましたか」
写真から目を上げて翔一郎が尋ねた。
「とんでもない。そんな勝手はしませんし、させません」
「調査の方も? 」
「そういう意味では信用ができる人材です」
「遺体の写真はありますか」
翔一郎が改めて問うたのに水本は分けておいた写真を渡す。
「争った形跡はなかったそうです」
「ああ、この格好は祖父の趣味ですな。うちにも同じのがありますよ。詳しいわけではないですが、まぁ間違いないでしょう」
遺体の写真に映る服装を眺めながら、翔一郎が笑いとともに言った。
「死因は外傷によるものではない、という見立てです」
「写真の彼女らが家にいる連中と同じような訓練教育を受けていたなら、賊にやられたってことはないでしょうね。彼女らは男性警官とだってやりあえるくらい強いですよ。拳銃までってのは戦争経験者だからですかね」
写真をローテーブルに重ねておき、翔一郎は水本に目をやる。
「で、先生のお話はなんですか」
翔一郎の静かな目は水本を試していることを隠していない。
「子供が一人生き残っていたようです。女の子です」
意外な展開に翔一郎は身を乗り出した。
「その子は今どちらに」
「衰弱が酷いようなので病院に預けてありますが、命に別条はない様子です」
翔一郎はふむ、と鼻でため息を付いた。
「先生のご提案はどのようなものですか」
「施設に預ける際に後見のお名前をいただくか引き取っていただくか、の判断を頂きたい、と思います」
「法や義務ではなく道義上、という認識でいいですね」
「もちろんです」
「その子の写真がないのは私がどちらも断った時のためですね」
少し表情をゆるめて翔一郎は訊いた。
「写真を見てからでは判断が鈍るといけませんから」
真剣な水本に翔一郎は微笑む。
「施設に預けるくらいなら、うちで引き取りたいところですが、それも今すぐは困る」
翔一郎は口を開きかけた水本を手で制した。
「――先生も知っての通り、離れを整理するにあたって、家つめの女中たちの落ち着き先を探しているところです。彼女らに直接の世話を頼むのが一番角が立たないでしょう。どのみち慰労金退職金はそれなりに出すつもりでいましたし、既に幾人かは故知の縁で就職も決まりました」
「彼女らの新居は目処が付いているのですか」
「就職先のそばがいいと思うので、特に定めてはいませんが、不動産業界に縁がないわけでもないですし、その辺はなんとでもなるかと」
「屋敷の処分はどうしましょう」
「写真の限りでは大きいですね」
「現地は見ていませんが、登記からですとかなりの広さです」
「以前出てこなかったところを見ると、登記の名義は私どもとは関わりないのですよね」
「相続の類系を調べる必要はあると考えていますが、今のところそうなります」
「では、そちらは私には関係ないと思います。道義として祖父の関係者の敷地で保護した子供を助ける手伝いまでは致しますが、今更大きく波風が起こるのはさすがに勘弁いただきたい」
翔一郎は皮肉に微笑む。
「わかりました。そうしたらどうしましょう。女の子の容態が安定してから、身元を確認してご連絡という流れでいいですか。おそらく十日かそこら入院という見込みですが」
「そのようにお願いします。ああ、経費はこちらでお支払いしますので、そのようにまとめておいてください」
「助かります」
「祖父の遺した面倒であるのは間違いないところなので、仕方ないでしょう」
穏やかな、というには複雑な表情を浮かべて翔一郎は言った。
「息子たちを甘やかせ過ぎました」
身寄りのない女達を追い立てるようにしていることを指しているのだろうと水本は察した。
「忘れていました。保護した女の子の写真です。年齢はわかりませんが、ちょっときれいな髪の子です。近々直接会ってみることにします」
「お願いします」
二人は席から立ち上がり、握手を交わす。
「こちらこそ、お時間いただきまして、大変助かりました」
「引き続きお願い致します」
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