二十四日目

 水本が自身の事務所でいくつかの作業を並行して進めていると事務所の電話がなった。

 気忙しげに事務員の中田が電話を受ける。

「先生。齋さんからです。遠藤さんの件の中間報告だそうです」

 中田はそう言うとパタパタと元の作業に戻る。

「おつかれさん。どうだった」

「地番に行ってきました。家屋敷に複数の死体と生き残りの少女がひとり。ひどく衰弱しているので、とりあえず病院に運んでおきました」

 齋は挨拶も抜きに本題を切り出した。

「――少女の身元は不明。とりあえず地番の登記名は佐々木未来さんとなっていたから、カッコ仮でササキさんと呼んでおきますが、彼女を私の知り合いの医者にあずけてあります。小児科なので問題ないでしょう」

「あの飲み屋がいっぱい入ったビルの中の医者のところかね」

 色々聞き流せない内容だったが、齋が一気に切り出したせいで、水本は聞き返すタイミングを逸して却って落ち着いた。

「どういう事態になるにせよ、面倒が少ないほうがいいでしょう。アレだったら普通の病院に入れ直しますが」

「いや、いい。たしか、あそこ入院は日に二万とかだったな」

「高いですか」

「病状は重いのか。期間はどれくらいだ」

 水本は目で事務所の様子を見回す。四人が作業をするにはちょっと手狭な事務所は意外と動揺していない。

「さて。主に栄養失調と脱水症状からくる全身不全だそうで健康なら一週間くらいで持ち直して、問題があるならその期間で総合疾病の形で出てくるだろうと。簡単な血液検査はおこなったんですが、搬送前に応急措置はしたものの衰弱が極端なので、どうにもという感じですね」

「ちょっと待て。地番ってどこだったよ」

「近場っていうにはちょっと遠かったですね。地下鉄走ってるようなところじゃないですし、そのせいで先生のところに電話したくても公衆電話ひとつありゃしない」

「そういう重要ごとなら電話のひとつもしてくれよ」

「高速乗る前に一応一回電話したんですが、事務所の電話って誰聞くかわからないですからね。内容までは吹き込み損ないました。仕事している証拠だけ残しましたが」

「あれか。聞いたよ。わかった。で、応急措置ってそんなのでクルマに乗せて大丈夫なものだったのか」

「前に似たようなのを見たことありましたからね。リンゲル液を経腸で大量に入れて、風呂に入れ体温を一時的に上げて、ボディーバッグで搬送。ボディーバッグは車載してるものですし、リンゲル液以外は現地のモノを適当に使いました。まぁ、リンゲル液っていってもそのへんで売ってるスポーツドリンクですし、そっちはまぁアレだったら私の弁当代に色つけてくれればいいです。大仰な薬品のたぐいは使ってません」

 得意気に言う齋の言に従えば、人ひとりは救えたらしい。内心ほっとする。だがこれは枕だったことを思い出した。

「で、地番の登記名は佐々木未来って人らしいが、それが何者であるかは調査したのかね」

「いえ。全然。現地に行って手がかりをと思ったら、生存者を発見したので、中断してご報告、という感じですね」

「すると事情を君が助けたササキさんのお嬢さんに伺うべきなのだろうな」

「どうでしょう。あまり大したことはわからないんじゃないかな」

 齋の声に投げやりな疑念が混ざる。

「聞かんと話にもならんだろう。それとも他に何かあるのか」

 流石に聞き咎める。

「いえ、少女とはいいましたが、見た目三つか四つかともかく幼いんですよね。童女とか幼女っていう日本語が正しかったかもしれません。あと、ササキさんとはいいましたが、髪の色が日本人一般とははっきり異なっているので、相応にややこしいことになっているんじゃないかと」

「なにかの事件だっていうのか」

 死体と聞いた瞬間から犯罪の可能性について疑っていた水本は、しかたなく切りだす。

「現地はそういう雰囲気でもなかったですが、人身売買とか無国籍者とかは想定したほうがいいかもですね」

「わかった。そっちの事務所に行く」

「ご足労いただかなくてもそっちに伺いますが、経費報告もありますし」

「こっちの事務所は今忙しいんだ。変な雰囲気を持ち込まれても困る。そっちへゆく」

 水本が電話を切って事務所の中を見回すと、瞬間事務所が妙な空気に包まれた。

「これから出かけることになった。確認事項のある人はいるかな」

 深呼吸代わりに水本は事務所の天井に向かってそう言った。


 事務所で言付けや引き継ぎをした水本が齋夜月の事務所――阿吽魔法探偵事務所に到着したのは二時間ほどしてだった。

 いつも事務所の名前には胡散臭さを感じるが、ともかく齋という探偵は本人の名前の胡散臭さも輪をかけて胡散臭く、しかし探偵という職業がひどく非公式で自称以上の意味がない日本において、水本にとってそこそこ以上に優秀な探偵であるのは間違いなかった。

 事情によって幾人か部外者を調査に使うことはあるが、いかにも面倒が予想できるような仕事には水本は齋を使っていた。馴れ初めは、外国籍の人物が詐欺まがいの結婚をして行方をくらませた事件の追跡努力の実績を裁判の証拠として必要としたことで、依頼人に引きあわされた。

 警察が情況証拠を抑えた後の出汁殻のような民間調査の殆どは、運とツキによって決定的な局面の当否が定まることが多く、水本にとって齋はツイている探偵だった。

 齋夜月は、毛を刈られた羊のような、はっきり言えば貧相な外見の人物だったが、常に量販店のスーツによれよれながらもネクタイを締めているような日本人社会の成員たろうとする努力を見せる人物でもあり、探偵という職業やその外見上の努力の虚しさを含めて宿命的な胡散臭さと戦う努力を見せているように水本には感じられた。一方でオープンカーに乗るような洒落っ気もあり、機転も利く。

 つまりは、直接ではない外様の部下として、齋夜月はひと通り全て備えた人物と言えた。

 埃っぽい雑居ビルの階段を登り事務所の扉を開けると、艶っぽい珈琲の香が水本を出迎えた。

「いらっしゃいませ。ご足労頂き恐縮です」

 姿を見せないまま、齋の声が出迎える。姿を確認しないままの挨拶に水本は眉を顰める。

「不用心だな」

「どなたかはわかってますから、大丈夫ですよ。盗まれて困るようなものはまぁありませんし」

「自慢してた降下章とやらはどうした」

 前にちょっと話が出た自衛隊のバッヂの話を戸口に立ったまま振ってみる。

「関係者とお話をするための取っ付きのアクセサリでしかないですよ。買えるものですし」

「そうなのか」

「探すところを探せば。学校の校章と同じようなものですからね。学ランの襟章とかああいう感じですよ」

 話しながらようやく齋が現れた。手にはステンレスの丸盆の上に珈琲が入っていると思しきポットとカップがふたつ。

「だが、今盗られると私が困るものがこの事務所にあることは意識してほしいな」

「そうでした。おまたせして相済みません」

 あまり詫びれずに目元だけ軽く伏せて齋は席に先導する。

「珈琲でいいのかとか、ホットでいいのかとか聞かないのか」

「気がききませんで、あるものしかございませんので。いりませんか」

「いりますよ」

 二人は無言で珈琲を味わう。

 齋の事務所で出される珈琲は、水本がかつて再び齋に仕事を依頼したきっかけでもある。

 探偵なんかより喫茶店やったほうがいいだろうと思わないでもないが、探偵よりも喫茶店が儲かるかというと、そういうわけでもないことはよく知っている。

「さて、調査の話を聞こうか」

「そのためにおいでくださったわけですし、もちろん。でも、まだ書面には起こしていませんが」

「いつできる」

 水本は本題を急かすように言った。

「このあと面倒がなければ、晩にでもまとめて明日には読めるものにするつもりです。写真はその後ですかね」

「口頭でとりあえず頼む」

 そう言うと水本は帳面代わりの大学ノートを取り出した。

「まず、地番にあったものはなんだ。別名義の家屋敷ってことだったが、それにしてはホエイパウダーとか液糖とかアスコルビン酸とかなんだか駄菓子工場か何かがありそうな品目があったわけだが」

「ありましたね。そういう施設も。ただ、駄菓子工場ってわけではありませんでした」

「なんだったんだ」

「食品工場には違いなかったんですけど、どこかに納入しているっていう雰囲気ではなかったんですよ。ロゴ入りのトラックなかったですし」

「勿体つけるな」

 自分の頭のなかだけで整理しながら話すような齋の態度に、水本は焦れて言った。

「勿体つけるほど難しい話じゃないですよ。で、地所の登記に比べて工場本体は妙に小さかったんで、ちょっと地所全体を巡ってみることにしたら、丘の上にお屋敷を発見した。という寸法です。勝手口として通用に都合がいいところに工場があってお屋敷そのものは閑静を求めて丘の上にある。って欧州だとわりとある形ですが、まぁそういうお屋敷だったわけです。小さな変電装置もありましたよ。超高圧契約だったですよね。元はもうちょっとなんかすごい研究をしていたのかもしれませんね」

「研究所なのか。屋敷ということだったが」

「ちょっと大した病院みたいな設備でしたけど、個人所有ってことなら屋敷かなと。ホテルみたいにも使えそうでしたけど」

「中に入ったのか」

 探偵の曖昧な物言いに焦れたように水本は問い詰める。

「中に入らないと、幼女を保護できないですよ。まぁ訴える方がいれば、不法侵入と拉致誘拐ってところですが。ポラロイドで良ければ写真ありますから、とりあえず見てください。もうちょっとマシな写真は別に撮ってあるんで、あとで現像して報告書にはつけます」

 ポラロイド特有の厚みはボサボサブカブカとした柔らかさを作っている。

 水本は、自らの犯罪を示唆する齋の言葉に眉を顰めたが、無言で写真の束をつかみとる。

「多いな」

「ちょっとばかり特殊な案件だと思いますよ。屋敷も大きいですし」

「全景はあるか」

「ポラには収まりきりませんでしたね。このへん見てもらえばどんな感じかはわかると思いますが」

「工場からか。丘と森しか見えないが」

 崖に何かを固定する基部のような人工物が見えるが、家屋敷という雰囲気ではない。

「まぁそんな感じですね」

「これは」

 薄暗く水に濡れた落ち葉と水道橋のようなアーチが写っている。ちょっと見では沢の写真に見える。

「ああ、国道から屋敷への分岐の目印ですね。水流れてますが舗装路ですよ」

「舗装路なのか。これが」

「うちのクルマでもわりと楽に上がれました。まぁクルマで登ってみようと思いつく位置ではないのでアレですが、五ナンバーのトラックなら上がれるんじゃないかな。来る向きと大きさによっては切り返しが面倒かもしれませんが」

 坂を登った先にある反しのついた鉄柵やレンガ造りの門前の車止めのループを見て水本は唸る。

「これは。土地も建物も一億二億じゃすまんだろうな」

「この物件規模を考えたらそういうことになるでしょうが、幸い登記の名前は別の方でした。貸借関係はあるかもしれませんが、中の物品を放棄していいということなら、口を拭うのは大した手間じゃないと思いますよ。そう言い切るには余計なものを拾ってきてしまいましたが」

「生者をそういう風に言うのは感心しない」

 齋の軽口に水本が生真面目に不機嫌そうに言った。

「そうですね。まぁ、話の筋としてはここまでです。あとは依頼主の遠藤曜十郎氏の遺品からこの屋敷に関するさまざまが示唆されなければ、問題なかったでオシマイでいいと思いますよ」

「どうやって中に入ったんだ。鍵を持ってたわけではあるまい」

 ポラロイドカメラのフラッシュを使った奥行きのない写真を眺めながら水本は尋ねた。

「私は探偵ですからね。鍵のかかっていないところを探すのは得意なんです。ってのは冗談で、その写真の遺体はこちらの住人だったようで鍵を持っていたんですよ」

 一枚の写真を水本の手元から引っ張りだし、齋は言った。写真には倒れ伏した御仕着せを着たなにかが写っていた。

「よくもまぁ。気味が悪くないのかね。ここまで形が無くなったものに触れるなんて」

「雨ざらしだったせいか、発酵が進んで酸っぱい感じだったのに、それほど鼻に残る感じではなかったですが、さすがに手袋は捨てましたよ。まぁ使い捨てのゴム手袋ですが」

「その鍵はどうした」

 問い詰めるように水本は言った。

「少し考えたんですが、子供を拾って帰る都合上持ってきちゃいました。どのみちもう一回ゆくことになるでしょうし。鍵ご覧になります? 」

「いや、見る必要はないだろ。なんでまた」

 他所の家のものを持ってくるなんて子供っぽいことを、と水本はもそもそと口の中で言う。

「屋敷の現物を見ないでいいですか」

「見てどうするんだ」

「さっきから死体の写真だけ引っこ抜いてるから」

 齋は手元からより分けられた写真を指差して言う。

「こんなものいきなりは見せられないだろ」

「見せるんですか」

「見せないと保護したって女の子を誰が面倒見ることになると思っているんだ。どういう理由で結論になっても彼女が屋敷の関係者なのは間違いないだろう」

「道理ですね」

「屋敷にはあとはなにがあった」

「ナニとは」

「死体のほかに問題になりそうなものだ」

「写真にいくつか写ってますが、そこそこ新しげな医療機器やらあとは蔵書のたぐいですかね。美術品の類は額にかかった写真がいくらかですか」

「工場はどうした。自家用の変電所があるって言ってたな。何に使うんだ。そんな電力を」

「ああ。誤解があるようですが、それなりに大型の検査機器を揃えておいている中規模以上の病院なら、変電施設は普通に持っていると思いますよ。下の食品工場はどっちかというと原料倉庫みたいなもので電気を大きく使うようなものではないので、本命は医療機器だったと思います」

「この道を通れるようなものなのか」

「梱包に多少無理をしていると思いますが、不可能ってほどではないでしょうね。いくらなんでも新品で買って趣味で動かしてとなると高価過ぎます。レイアウトも。ちなみにエレベータがありましたよ。病院なんかで使うストレッチャー式の庄台をそのまま載せられるような大きさでした」

「これか。大きい。それにわりと古いな」

 エレベータの写真を探し出し、水本が感想を述べる。

「昭和初期かそこらのエレベータです。電源が入ってないので使えませんでしたが」

「中で誰か閉じ込められているってことはないだろうな」

「今さら何を。要するにそういうことでしょう。この屋敷の惨状は」

 しばし無言で見つめ合う二人。

「この死体は髪の色がバラバラに見えるのだが、必ずしも日本人ではないということだろうか」

「まぁ、そうだと思います。で、それが保護した女の子」

 写真の全裸の童女の薄汚れた長髪と痩せこけた肌は日本人ばなれして白い。血色が悪いとかフラッシュのせいというよりも、そもそも白いのだろうと思う。臀部からは管のようなものが伸びている。

「陽の光の下で元気にしていれば可愛らしいんだろうな。これが経腸用の管か。ちゃんと応急処置を終えてから写真を取れば別に写真を慌てなくてもよかったろうに」

「ああ、彼女は発見した時ほぼそのままです」

「どういうことだ」

「さあ、しかしまぁ便利だったのでそのまま使いましたが。抜いた時の長さからして小腸辺りまで伸びていたと思いますよ」

「抜いたのか」

「車で運ぶったってボディーバッグの中でせっかく入れた液をこぼされても困りますしね」

「それで大丈夫なのか」

「さあ。とりあえず命に別状はなさそうですよ」

「当面はこの子の回復を待って話を聞くのがひとつか」

「屋敷は行ってみますか」

「いまはいい。それよりは佐々木未来という人物について調べてくれ。私も故人の備忘録を見せてもらうことにする」

「わかりました。お役所周りからでいいですかね。三日四日掛かると思います」

「うん。訃報も打っているのに音沙汰ないというところを見ると、関係が薄いか本人は既に亡くなっている可能性もある」

「そういう人物を当て込んで登記の名義人にした可能性もありますね。まぁ予断は挟まず調べてみますよ」

「そうしてくれ。あとは、ああ、そういえば、遺伝子検査ってアテになるのかな」

 水本が思いついたように口にする。

「どうでしょう。警察はけっこう使ってますね。ちょっと前に学会も出来たようですし、そういう感じでは」

「意外と批判的かね」

 水本は齋が新奇なものを好むと思っていたので、この反応にはちょっと意外だった。

「使えるっていうのと使うっていうのはちょっと微妙に距離があるっていう例かと思いますよ」

「どういう意味だ」

「理屈の上では文句はないが、運用が未熟で恣意的に扱われることもあるので、信用が足りないからなんとなく気に入らない。って感じですね」

「ふむ」

「ですが、その子の身元がわからなくて困るって事になったら上手く使うのはいいと思います」

 齋は遺伝子検査そのものを否定しているわけではないらしい。

「あとはなにかありますか」

「今は思いつかない。ただ、少なくとも年端もいかない子供ひとりが転がり出てきた以上はその決着を優先した方がいだろう」

 水本はじっと齋を目ねつける。

「なんですか」

「本当に他に生存者はいなかったんだろうな」

「正直に言っても? 」

「言え」

「わかりません。彼女を見つけたのも偶然みたいなものですし、衰弱しすぎていて生きているかどうかの確認もそうそう簡単な状態ではありませんでした。他に生存者がいたとしても驚かないですし、見つけられず手遅れになってたとしても神ならぬ身を残念に思うだけですね」

 表情を消した齋の言葉が終わっても水本は黙っていた。

「そうか」

 水本は思い思いの姿で転がる死体や、やせ衰えたミイラのような少女の写真を眺め、やっとそれだけを言った。

 ふと思いついたように、水本は齋に頼み事をする。

 齋は少し呆れたような顔をして、笑い請け負った。

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