二十三日目
問題の土地の住所地から調べた登記の地番の土地はひどく若い番号で古くからあまり手を付けられていない印象だったが、果たして国道に面した山ひとつ分だった。
登記と住所の名義が違うことはよくあることなので、そこは驚きもしなかったが、法人にしていなかったことは少し驚いた。
そういう手管を使うまでもない土地だったのだろう。
国道には面しているが人里からは少し離れていて見当がつけにくい土地だった。途中からは送電線をたどって行ってみれば、あまり大きくない敷地に変電設備がみえる。国道脇に幾つもある退避スペースに車を止めて少し歩く。
小さいとも言えない揚水施設が脇の沢にかかっている。土地の周囲は比較的古い工事で固められており、入り組んだ地形の割には土砂崩れの危険は少なさそうだった。
フェンスに掲げられた赤く関係者以外立入禁止と書かれた樹脂製のプレートには、特に企業名は書かれていない。齋は何枚か周囲の状態を写真に撮ると、どうということはない南京錠の掛かった金網のフェンスを枠に手をかけ軽く伝うように一気に乗り越える。フェンスの作りは偉張れるようなものではなかったが、無理に支えを求めることなくフェンスを軽く揺らしただけで誰に見咎められることもなく、齋はましらの如き軽やさで鮮やかに敷地に入り込んだ。
大きな車の轍がうっすらとアスファルトに描かれている。それをたどるように進む。
日本の田舎にありがちな不便さと物静かさを緩やかな防犯装置としてその工場は存在していた。
高さ三メートルほどのステンレス製の原料サイロを備えたそれは確かに工場のようでもあり、従業員もなく電力もなく機能を停止したそれは廃墟でもあった。
シャッターの脇の扉を見つけ、齋は写真を撮ると今度は自然にピッキングツールを使い、工場に入り込んだ。
機械は大掛かりだったがほぼ無人で操作していたらしく、ほとんどの機械はうっすらと埃をかぶっていた。
出口工程を追いかけてみると工場はどこか別のところにつながっている。
それだけを確認すると齋は工場に鍵をかけ、離れた。
工場の裏手の山は獣道もないような斜面だったが、齋は足元にスパッツ腕貫に軍手という最低限の装具を整え最短ルートを選択した。
生い茂る山肌を踏みしめ進むと、やがて一抱えほどの金属配管が古いコンクリートの基部とともに現れ、齋は鼻を鳴らす。
更にたどるとパイプは地に潜り、蔓薔薇で覆われたフェンスで森が切られ、緑の芝生の庭がみえた。
齋は一気に乗り越えるでもなく生け垣にそって崖沿いの林を歩く。
やがて林の厚みが増しフェンスのサビが土埃と絡まるような色合いになった辺りで、齋は近場の木の高さを活かして一気にフェンスを飛び越える。
そのままフェンスの内側を沿うようにして歩いてゆくとやがて砂利敷の車寄せに出た。
車寄せを玄関に向かって歩くと、お仕着せを着た死体を見つける。雰囲気からすると死後二週間かもっとというところで、日本のことで虫やら草やらがコロニーを作り始めている。
齋は写真を取ると、ポケットから手術用手袋を取り出すと軍手の代わりにはめる。
グズグズに腐り始めている死体に骨折箇所はないようでぞんざいに体を転がしてもあらかたついてくる。
そのまま齋は表情を変えずにお仕着せのエプロンドレスのポケットを探り始めた。
やがて、いくつかのものを玉砂利の上に並べる。鍵束と懐中電灯と小型拳銃それと抱えるようにしていた竹箒。拳銃のマガジンは八発いっぱいで発砲した様子はない。齋がスライドを操作すると、未発射の弾丸が薬室から飛び出した。コンバットロードだった。
齋はしばらく拳銃のスクイズコッカーをハンドグリップ的に弄んだあと、拳銃を遺品の列に戻し写真を撮ると、鍵束と懐中電灯を掴み上げた。離れかけて少し考えて物騒なものを野ざらしというのも気が引けたのか、弾を拾い集めマガジンに詰め直し、拳銃に装填する。スライドを引いて薬室に初弾を送り、更に一発マガジンに詰め、銃把に戻す。ビニールパウチに入れてポケットに入れる。ジャケットのポケットには少し大きすぎる拳銃に、齋は眉を顰める。
齋はそのまま玄関には向かわず庭への生け垣の切り口を進んだ。
屋敷を巻くようにサンルーム前のテラスに至ると、メイドの遺体が階段に腰掛けていた。
既に鳥に突かれて遠目からも死んでいることはわかる。
どちらの遺体も死後おそらく二・三週間の同時期。同じ日の日中という感じか。
ポケットを探れば未発砲の同型の拳銃と鍵束と懐中電灯。写真を撮る。
さすがに鼻を鳴らした。
「こういう場合、全員死んでるとさすがに面倒がすぎるんですけどねぇ」
今は仰向けに倒れている死体に向かって齋は話しかける。そうして拳銃と鍵束と懐中電灯を拝借した。またも膨れるポケット。
そのまま屋敷の外を回り、ガレージの通用口と勝手口を見つけるとガレージに入る。
そこにもひとりがこちらは雨ざらしでなかったからか、黒塗りのセダンにもたれかかり腐るというよりも縮んで色々流れ出している感じだった。
辺りを見ればガレージにはワゴン車くらいは並べて入れそうな大きなエレベーターがあった。もちろん電源が落ちていれば使えない。
写真を取り死体を探ると拳銃鍵束懐中電灯。
使用人に小型拳銃を携行させるというのは、それなりに面倒を予想した上での家長の判断と思えば、この屋敷にはそれなりのものがあるのだろう。小型の拳銃というものは対人制圧には役に立っても、自動車等に対してはあまり大きな効果はないという事実はしばしば問題になるわけだけど、ガレージの大きさを考えるとここに客人用のクルマも入るのだろう。
ならばとみれば、自動車用の出口には車両阻止用のスパイクを載せた小型フォークリフトと頭上には整備用のチェーンブロックが複数入口側に寄せられている。
見た目単純だが大使館と同じ程度の備えを見せている。
ガレージをでたところで出口を完全に塞ぐように蝶番式の鉄の蓋のついた溝が切られているのを見て、齋は笑う。溝の両端には目立たないが太い柱が立っている。慌てて逃げ出すよりは屋敷ごと吹き飛ばしたほうが簡単だろう。あちこちにあるカメラを眺めながら、齋はガレージから屋敷への通用口へ向かう。
鍵はかかっていなかった。
意外と思うべきか、運転手の待合であれば当然かは微妙なところだが、ホテルの客室からベッドの代わりにソファーセットをおいたような造りの部屋を思えば当然なのかもしれない。だが、それを当然とするところからこの屋敷の規模が伺える。
置かれたコーヒーメーカーは空っぽだった。豆がらも入っていないところを見ると最期の日には客はなかったらしい。
壁にかかった電話機は上げても音がしない。
奥へ進む扉には鍵がかかっていた。齋は鍵束を眺めそれらしいものを使う。開いた。
齋は下から順番に部屋を探してゆく。食堂玄関居間サンルーム客間待合寝室テラス浴室。あちこち思い思いの場所でミイラになれず腐り朽ちていったメイドの遺骸があった。浴室の水死体がマシだったのは予め服を脱いでいたから遺品が汚れていないというそれだけで泥と対して変わらない状態の浴槽を掃除するのは骨だろうと想像はついた。
階段裏の待合は興味深いものもあった。大型湯沸かし大のタンクから遺骸の肛門へシリコンの管が伸びていた。
タンクへはまたどこかから配管がつながっていたが、機能は想像がついた。
何が起こったかもわかった。
だが、人物に比して、大仰な警備体制に比して、あるべきものがまだ見つからない。既に見つけた重要な入り口の先が見つからない。
高級な応接宿泊施設はあったが、資料閲覧室か工房に相当するものがないというのはあまりに不自然だ。もっとはっきり言えば大型エレベータのつながる先が見えない。
書齋の電話の脇にある電話番号の控えは、時代で変色したインクが達筆に並ぶかなりの逸品だった。
齋のポケットがまたも膨らむ。
三階のテラスから屋根を登り、屋敷の全図を把握する。暖炉の煙突と別に換気用の配管があった。
齋はポケットからボビンを一握りつかみ出し糸を束ね結び、一つづつ管に落としてゆく。
そのまましばらく腕時計を睨みながら何事かを異邦の言葉をつぶやき続ける。
齋はたまにボビンを新たに管に送り込みながら何事かを唱えていたが、やがて満足したのか三階から屋敷の中に戻る。そして部屋を巡りながら管から落としたボビンを回収して歩く。
そして足りないことに満足して屋敷の探索を始める。
二階の書齋書庫の本棚に仕掛けを見つけ、そこから明かりのない小部屋の梯子段を降りてゆくと高さからして地下につながっていた。
懐中電灯で照らしてみれば、求めていた、それらしい光景に出会えた。
そこは標本の林と膨大なカルテカタログ手稿類の書庫だった。幾らかの標本はホルマリンらしい脱色された姿になっていたが、幾割かはプラスティネーション、幾割かは常温の液中保存でありながら退色や分解がほぼない形で保存されていた。齋は年代に興味を惹かれる。どれもかなり古い。
懐中電灯の細い明かりに照らされる恐らくは年代順に通路沿いの部屋に並んでいただろう資料の世界はやがて開ける。こざっぱりとした手術室と機械室操作室を備えた近代的な病院設備に出た。厚みのあるガラスだかに仕切られた部屋は、重たい扉が開かない引き戸が多い。面倒な作りを開くほどの興味は齋にはなかった。
通路の行き止まりには大きなエレベータとちょっとした処置室。
メイドの遺骸。首から上がない。胸元で手を組み着衣のお仕着せに乱れはない。
そこには上の階にはなかったものがあった。小さいとはいえない乾いた血の痕。
脇のゴミ箱には何本かのカテーテル。赤黒い血液の跡は採血に使用したのだろう。いくつかの輸液パック。その下に芦毛の長い髪。
齋は遺骸の胸元を軽く触れる。
弱い明かりでもわかるほどに服がくぼむ。
肉が腐ったのではなく、なくなっていた。
齋は感心したような表情を浮かべる。
手前の分岐へもどると階段につながっていた。最後のボビンが落ちていた。
階段を降りると少し奇妙な空間だった。
子供の汗特有の甘い潮の香りがする。
むき出しの配管。いくつかの水槽と壁には子供のラクガキ。ゆりかご状のベッドがいくつか。ひとつふたつは状態が良さそうだが、腐るのも時間の問題だろうと見えた。水槽の脇の黄色いビニールプールでも膨らましそうなエアーポンプを抱くようにしてもう一つ遺体があった。つないだ管が傍らの水槽に伸びている。更に別の管が水槽から這い出している。
水の減った水槽の中にあるべきだったものがあった。
大胆という他ないバイパス手術をなされた心臓と短く髪を刈られた女の頭部が水中にあった。
「たすけてください」
容器の中の首を始め部屋の状況に一端は興味が惹かれたものの、一周りしてさて、と帰りかけた齋はかけられた声に振り向く。
「頑張って生きる努力をしたのは大したものだが、貴方はもう手遅れだろう」
水の中の首がまぶたを開いているものの、声を上げられるはずもなく、音もない声が聞こえた。
しかし、それには驚かず齋は返した。
「あの子達は、ふたりは、まだ、生きています。小さいことが幸いしました」
女の声無き声に齋は鼻で笑う。
「その体でこの屋敷の有り様では、お礼はなんでも、というわけにはゆくまいでしょうに」
「探偵さんには、口を使わず話す女、というものに興味を持っていただけないでしょうか」
「私の仕事は生存者はひとりいれば事足りるんですが、人前に出られる姿でないとさすがに困ります」
「ひとりでも構いません。そこの子のどちらかを連れて行ってください。まだ間に合うはずです」
習慣からか水槽の中で女の生首が口を開く。
馬鹿な。面倒を。と一瞬齋の眉が寄る。
「ああ。うん。わかりました。処置してみましょう。一般的な経口輸液で大丈夫ですかね」
少し口を開いてから考えを変えて答えた。
「大丈夫です。ですが、この屋敷の資財は既に使い果たしております。金銭ももとより必要としない生活だったので」
「ああ。遠藤曜十郎氏の死に伴うその辺の事情は概ね理解しています」
「そうですか。亡くなられたのですね」
「あなたは読心というわけではないのか」
「普通、人の心はそこまで整理されているわけではありません。たいていは口に出してみたほうが早いものです」
律儀な答。
「ああ、うん。じゃぁ、まぁ、わかりました。どうなるかはともかく少々手間を掛けてみましょう」
そういってポンプを踏んで空気を送ると生首は嬉しそうに表情を緩める。
「ありがとうございます。ああ、ありがとうございます」
町へは近いという程でもなかったが屋敷の門を開き、丘の下のクルマまで走り、コンビニを見つけるのはそれほどの苦労もなかった。
コンビニの公衆電話で地番を確認したことの連絡を入れるが、水本の事務所は閉じた後だったようだ。
齋は留守番電話に簡素な報告を入れる。
ふと思いついて、ポケットの番号帳を頼りにそのままいくつか電話をしてみる。三軒目であたりを引いた。
屋敷の入口は日が陰るとわかりにくくなる。
プラスチックコンテナとゴミ袋で出来た臨時の子供用風呂は、子供を包んだ毛布をラジエターから抜いた不凍液が緑色に染めていた。
齋はよどみなく資財を揃え、場当たりの機材を組み上げ、応急措置を施してゆく。
経腸の輸液は補水を終えたところで様子を見ている。
血糖と体温が上がり、子供たちの瞼が軽く引き攣る。なるほど、死んではいなかったようだ。目元が汗ばんできた。
ミネラルウォーターで薄めたスポーツドリンクに粉ミルクを溶かしてでっち上げた輸液をおかわりする。
女の生首は子供たちの様子を眺め、表情を緩める。
「どうやって生き延びたのかの説明は少し欲しいですね」
輸液と温水で子供ふたりの処置を行いつつ、齋は尋ねた。
「これです」
そう言いながら、生首は口を開く。舌の上に黒くキャンプ用ランタンの光には鈍色に見える大きめのキャンディー大のモノ。
「多少ではありますが、これが役に立ってくれました」
常識ではありえない乱暴な術式を生き延びた首がそう言う。
「これは私共が太歳星君と称しているモノで、概要だけ述べれば、人の体に必要なモノをつくるモノです。ただ、幾分かの手間が必要です。その世話をして得られるモノに対しては私の身体は大きすぎました」
「上のご同僚は同じ方法を取らなかったのですか」
「手持ちも満足でない中では同じ方法を繰り返すほどの余裕はなかったですし、数が増えれば失敗の可能性が上がるだけでした。そもそもうまくいくとは、あまり思っていませんでした」
「ところでオキシドールと炭酸水。どちらがいいですか」
生首は驚いたように目をパチクリさせる。
「どちらでも。今はどちらもありがたいです」
応えに、ふむ、と瓶の蓋に手をかけたところで齋は気が変わったらしく、部屋の外にでる。
ひとしきり探したらしく、手には大きめの標本ビンを抱えている。
ジャケットとワイシャツを脱ぎ、上半身裸になって齋は水槽の水もろともに生首と心臓を瓶に掬い上げる。
「その水槽では私の車のトランクにはいささか大きすぎます」
こぼれた分を炭酸水とオキシドールとを注いで埋め、手早くガムテープで封をしながら齋は言った。生首は久しぶりの沐浴を楽しむような女の顔になった。
少しベトつく水槽の水は蜜をながした味噌汁のような味だった。
「これが太歳星君とやらですね」
齋は孵卵器のような容器の中から丸みがかった物体をつかみとり、ビニールのチャック付きパウチに入れた。
エボナイトのような艶と奇妙な柔らかさを持った硬さは、縮んだイソギンチャクかナマコのような感触だった。
元々食品冷蔵保存用のビニールパウチに入ったソレは何かの珍味のように見えないでもない。
同じ孵卵器の中にはシャーレが並び中には粗いネットを敷かれた上にエンドウ豆大のモノが並んでいた。
ソレを集めてネットごと同じようにパウチに入れる。
一袋では足りず、何に使うつもりか齋は欲張り、もう一袋使い全部集めて袋に詰める。
「水耕栽培みたいですね。これが太歳星君の種ですか」
「私達の卵子です。大きい物は私の卵巣がそのまま入っています」
「ほう。ああ、うん、じゃぁ人助けみたいなものですね」
言いながら齋は卵大のモノふたつをまとめてパウチに詰め、足元に溢れ落ちていないかを確認する。
服を着た齋は見つけまとめた品物を一気に負い抱え、ほとんど膝から下のバランスだけで二階まで続く梯子を一気に登り切った。
すっかり日も落ち、月明かりが書齋を明るく照らす中、齋は隠し戸を閉める。
「さすがにここまでは掃除してないってことですか」
膝を払いながら齋はぼやく。
荷物の多さ重さよりも、皺の消えたズボンについた梯子の埃の汚れのほうが、齋には気に入らないらしかった。
齋がクルマに荷物を積み込み終えた頃、一台の黒塗りのセダンが門をくぐってきた。
運転手は車止めでエンジンをそのままに、スーツを着た五十かやや年かさの男が後部座席から自分で車の扉を開け降りてきた。
「この度はご連絡いただき、ありがとうございます。先生に於かれましては誠に残念なことでした」
齋は挨拶の言葉を手を上げて遮る。
「ではひとり、お引き渡しします。よろしくお願いいたします」
「それはもう。先生の最後の作品であればこちらといたしましても、大切にさせていただきます」
「その言葉だけで結構です。先生も喜ばれるでしょう」
そう言って毛布に包まった子供を齋は男の胸元に預けた。
男もゆらぎもせずに、にこりと微笑んで子供を受け取る。
「ではあとはいつもどおりに。本当に連絡ありがとうございました」
「はい。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
そう言って車は去っていった。
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