十九日目

 齋夜月が水本弘蔵弁護士事務所に呼び出されたのは、水本が通夜に出る前に阿吽魔法探偵事務所に遠藤曜十郎氏の通夜に出席するようにと電話連絡しようと留守番電話に吹き込んでから二週間が過ぎた後だった。

 世間では携帯電話のデジタル回線化が始まり、ようやくポケットに入れて持ち運んでも邪魔にならない大きさの電話機が市場に出始め、ポケットベルが片仮名を表示するのが当たり前になっていた。

 水本は探偵ならせめてポケベルを持て、と齋に苦言を呈し、折り返しが公衆電話って迂遠ですよね。携帯電話も三十分しか電池もたないとか探偵業なめすぎでしょとか、そんなやり取りがあったはずだが、結局、齋は携帯電話はおろかポケベルも持っていない。

 水本弁護士も事務所に人はいるからポケベルは持っているが、携帯電話はまだ料金が高いし、そこまで仕事に追いかけられるのもどうかと思うそんな時代。

 もちろん齋は水本の事務所と下請けの優先的な専属契約を結んでいるわけではないが、有能な弁護士にありがちな傲慢な気安さで水本は齋に絡む。

「連絡とれないってのはそろそろどうにかしないか」

「ちょっと出掛けていたもので」

「どこに」

「で、遠藤曜十郎さんってのは、私が通夜に出ないといけないような人だったんですか?」

 受ける気もなく齋は話題を変える。

「私の顧客の祖父殿だ。自然な形で関係者の面通しをしておきたかったんだ」

「それだけですか」

「金持ちは人見知りだからな。知らない人間が身の回りをうろつくのを好まない」

「うろつかなくっちゃいけないような案件なんですか」

「わからんよ。だが、これだけ資料があるってことは、内容も察してほしいもんだ」

 齋は箱の中のファイルの背表紙を軽く引き抜き眺める。

 翔一郎が遺品の整理をおこないつつそれらしい書類をまとめて送ってくるのだが、既に二箱増えていた。

「なんか凄そうですね」

「スゴい金持ちなんだよ」

「先生は好きそうですね」

「僕は嫌いだよ。金持ちの相手は神経を使う」

「こういう歯応えのあるの好きでしょ。年甲斐もなく」

 齋がからかうように言うのを水本は鼻を鳴らして応じる。

「いつき、よつき、くん。――歯応えを楽しんでもらおうと思って、君に連絡したんだ」

 水本は話を切り替えるように齋の名前をゆっくり発音して言った。

 でだ。と水本は亡くなった人物の戸籍謄本のコピーを示す。

「これが亡くなった遠藤曜十郎氏の戸籍なんだが、縁故の地番を調査してほしい。あと生前定期的に消耗品を発注していたようなんだが、小規模な食品工場か何かを維持していたんじゃないかと思う。ラムネとかバクダンとかああいう感じの駄菓子みたいな」

 バサッと束ねられた請求書を見せて水本が言う。

「先生も探偵できそうですね」

 請求書の束をパラパラとめくりながら齋が言う。

「からかうな。足を使って調べるのはお前の仕事だ」

「故人が何にお金を使っていたのかを調べてこいってことですか」

「色々噂はある人物だから、隠し子の一人や二人いてもおかしくないし、伏せた形で小さな事業をいくつもやっていてもおかしくはない」

「つまり、遠藤さんの隠し工場と隠し子と縁故のある土地を調べてこいと、そういうことですか」

「全部が出てくるとは思っていないが、始末はきちんとつけたいからな」

「地番を見ると平城とか奉天とか大連とか上海とか妙な土地の名前も出てくるんですが、中国観光でもしてこいとかそう流れですか」

「クライアントに納得いただけるなら経費も落ちるが、そうでなければ自腹だな」

 齋は箱の中の書類を束ねたフォルダーを引っこ抜いてはざっと眺めということを気もなさそうにやっている。

「色々やっていたようだから油断はならないし、いくつかの銀行口座と投資信託があるようだが、海外はまぁあまりそれっぽいことはないと思う。それよりは国内だろう」

「アムステルダムブリュッセルとかリヒテンシュタインベルンとかマルセイユベイルートとかプラハベルリンとかそれっぽいですが、まあちょっと古いですしね。気のせいでしょう」

「なんのことだ」

「あ、うん。単に想像の翼が欧州まで駆け巡っただけです。香港シンガポール辺りまで出張して、白茶やキーモンの良さげなのを買ってくる、とかはなしですかね」

「今回は人別調査ではない。ただの、遺産相続にまつわる資産状況の確認だ」

「ただの。ってあたりがすでに気合いが入っていますよ」

 齋は書類ホルダをあちこち抜いては中身を改めながら茶化す。

「ただの、には違いない。一般業務だ」

「金持ちの遺産相続といえば、探偵小説だったら人死にのひとつも出るところなんですがね」

「遺産相続ごときで殺人がそんなに日常的に起きてみろ。陳腐化して日本の探偵小説から遺産相続にまつわる分野がなくなるぞ」

「そんなもんですかね。可憐な美女の相続人とか、俄然燃える展開じゃないですか」

「だいたいそろそろ飽きてきたんだ。遺産相続に可憐な悲劇のヒロインが登場するという展開に。金持ちってのは相応に長く生きるものだから、遺産相続する主たる人々は相応に歳を食っているんだ。だから本来は、いい加減歳を取っていて変な知恵がついていて、という連中が多い。欲深い成り上がりって連中ももちろん多いが、総じて類は友を呼ぶの例え通りで、最初っから最後まで裏も表もなく進むもんさ。子供を毟るとなったら、ぐうの音も出ないくらい理路整然と毟るし、そんなことをするくらいなら、大人になった子供が恨みを抱かないくらいには筋を通すだろ」

 齋の軽口の言いぐさが癇にさわったのか、水本は一気に捲し立てる。

「まぁそうとも限りませんが、先生が仕切りに入ればそうなるでしょうね。遺産相続の面倒が事務処理だけになれば、仕事も減って結構です」

 基本的な資料集めは、各地の法務局と市区町村役所を巡れば良いだけのことなので、時間だけが障害になるわけだが、意外とバカにならない手間で、そこに手間賃が発生する。

 多少の無理はものともしない齋が仕事引き受けてくれるなら、少なくとも書類集めや実地確認の手間はずいぶん省ける。

「で、どうだ。どれくらい掛かる」

「まぁ、二週間ちょいくらいですかね。全部が順調に上手くいって、外務省がスッと仕事してくれれば。満州帰りの戸籍史料って別棟扱いだから、そこで時間とられると厄介ですけど、それくらいじゃないですか。電話で予約が必要ってのもアレですが、以前よりは大分マシということにしておきましょう」

「そっちもそうだが、不動産の方はどうだ」

「どうだ、もなにも、行ってみりゃいいじゃないですか、この公共料金の地番に」

「だがそんなところに家はないぞ」

 ロードマップで地番を当たり水本が言った。

「先生、地番を探すのに、ロードツーリングマップなんかあてにするのは、どうかしていると思いますよ。基本、国土地理院発行かゼンリンの地図以外は信用しない方がいいです。それだって半年もすれば更新されているでしょうし。いま私をなんの用事で呼びつけたか、忘れているんじゃないでしょうね」

 呆れたように齋が言う。

「そういうものなのか。都市部はこれで事足りていたが」

 水本も近隣の都市部はゼンリンの地図を使っているが、詳細地図は揃えればかさばるし何より安いものではない。それにロードマップでも都市部の幾つかの街区を軸に目的地を絞ることはできないわけではない。

「せめて縮刷版くらいは買った方がいいですよ」

 水本は意外なほどに落ち込んでいた。

「あ、うん。とはいえ、まぁ、流石に遠い保養地の詳細な地図がこの事務所にあるとも思えませんし、そこを気にしても仕方ないでしょう。今週は近場の役所巡りを先にして手が空いたら、ちょっと見てきます。書類揃えるの先にしないと先生の仕事止まりますよね」

 ファイルを箱の中に戻しながら齋は言った。

「そうしてくれ。コピーは必要か」

「一回りして足りないものがあったら次はもらいますよ。明日から早速近場を回ってみます。どうせ地番の現場を確認したら報告しないとでしょうし、お役所巡りが終わったら来週の頭にもう一回来るつもりでいます。火曜辺りかな」

 齋の頭の中ではある程度どういう順にどこに回るかが出来上がっているらしい。

「今度は連絡できないってのはやめてくれよ」

 職業人としての常識から水本はひとまず釘を刺しておく。

「田舎ですからね。公衆電話を見つけたら電話するようにします」

 齋は鼻を鳴らしてそう言うと、水本弘蔵弁護士事務所を出ていった。

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